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評者◆小嵐九八郎
作りものや作為を感じさせない
山椒魚・遙拝隊長 他7篇
井伏鱒二
No.3480 ・ 2021年01月23日




■齢を重ねて大老人になってしまい、一日百分の歩きで膝を痛くするようになったとか、若者じゃないのに円形脱毛症になったりと損することばかりだけど、得することもある。得する一つには、三歳で味の感覚は衰えるとの説もある中、漬け物の味が優れていると気づいたことだ。塩分の少なめの沢庵、白菜漬け、京の村上というところの千枚漬け、管理は難しいが糠漬けなどだ。
 もう一つ得したことは、若い頃に読んだ小説や戯曲や詩歌では知ることができなかった良さが解りかけてきたことだ。
 その一冊に、横浜にある新聞社系のカルチャーセンターのテキストで使った、あの井伏鱒二の『山椒魚・遙拝隊長 他7篇』(本体480円、岩波文庫)がある。『山椒魚』は五、六度読んではいたけれど、今更ながら、というより気づくのが遅過ぎたが、文章の凄みである。山椒魚の出られなくなった岩屋の中と外の景色の描写、会話の秀逸さはどう書いていいのか。とぼけとブラック・ユーモアと人生の哀しみが炙り出されるようになっている。
 『遙拝隊長』の方は高校時代に読んだことがあったけれど、ぴーんとくるものがなかった。一九四四年生まれの当方は、七歳まで秋田の草深いところにいたし、川崎に引っ越してきた時には戦争の傷跡は爆弾による池がいろんなところにあったとか、父親が戦死した級友がいたとか、貧しくてノートが買えず新聞紙に線を引いて代用していた級友がいたぐらいしか知らなかったせいだろう。
 その後、学生運動を経て、大岡昇平の『野火』や野間宏の『真空地帯』などを読んで戦争の体験の小説の大切さを知ったつもりになっていたが、七十六歳にして今度『遙拝隊長』を読み、涙を止められなかった。戦争の傷を精神に深く刻み込まれた人間と、周囲を嗤いながらも嗤い切れない敗戦後の人人が、小説のストーリーやピークなどと無縁に記されているのだ。作りものや作為を感じさせないところの作為の深さで読み手を抉る。「ほら、ほら、戦争ってのはするもんじゃねえんだよ」と、井伏鱒二があの世でなおぶつくさ言うように――『黒い雨』と共に、雲の間に聳える二つの岳か。







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