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評者◆杉本真維子
おもいだしてはならない
No.3478 ・ 2021年01月09日




■東京の自宅付近に古い倉庫を借りて、生まれ育った実家の厖大な荷物を置いている。本来なら父が他界して実家が消滅したときに、処分しなくてはならなかったものだが、どうしても踏ん切りがつかず、親戚の反対を押し切って、トラックに載せて長野から東京へ運んだ。
 それから、あっという間に十年が経った。中身はガラクタ同然のものばかり。ほかの契約者のように荷物を出し入れする必要がないので、倉庫内に立ち寄ることもほとんどなく、ただただ賃料だけを納めた。無駄だなあ、と思いながら、毎月うなだれて支払いに行った。ばかだなあ、と思いながら、月末になると支払いに行った。そうまでして、擬似実家をこしらえておく必要が、私にはあった。突然の父の死と故郷の喪失は、簡単に受け入れられるものではなかった。
 でも、もういいのだ。今月いよいよ処分することに決めたものの、とにかく気が重い。積み上げられたダンボール箱のうちの、おそらく一つも、こっちに来てから開封していない。
 あけたい、でもこわい。何年もひらかないままの箱は、だんだんとただの箱ではなくなってくる。あの箱の中には、たしか祖母の着物や帯が。祖父のアルバムが。あの箱の中には、たしか父がほそぼそと経営していた会社の帳簿や名刺の類が。すでに全員この世にいないので、物たちは取り出されても、持ち主に会うことはない。
 私の荷物から、思い切って開封していく。七五三の着物セット。スカーフ。図工の授業で作った、ウイスキーの瓶に粘土を塗って作った蝋燭立てや土焼きの壺。蝋燭立は城をモチーフにしたもので、一部粘土を塗らず素地のガラス瓶をのぞかせ、窓に見立てている。さらに城は象の姿と重ねられていて、最上階の窓から長い鼻を伝って地上へ降りられるようになっている。
 なかなか独創的だね。子どもの自分を褒めてあげた。手作りのものは、落ち着いた気持ちで眺めることができた。一方、すっかり忘れていた、ガラクタのような小物類は、胸を締めつけた。観光地のキーホルダーやハンカチ、気に入ってぼろぼろになるまで使っていた文房具など、思い出の中身はもう覚えていないのに、そのときの気持ちだけが、においのようなものとともに、蘇ってくるようだった。でも、なぜか心にブレーキのようなものがかかって、結局、息苦しさだけが残るばかりだ。
 そんなとき、ふいにこの詩が降ってきた。
「おもいだしてはならないゆめを/おもいだしてはならないのです/ゆめからさめたただそれだけを/よろこびとしていきることです/だれかしきりにささやくけれど/いまもしきりにささやくけれど/おもいだしてはならないゆめの/いつかはさめるゆめのほとりで」(「夢」全篇――池井昌樹『遺品』より)
 いまいるここはゆめのほとり。ゆめからさめてもまだゆめのなか。どっちみちゆめなら、そんなにつよく握りしめなくたってだいじょうぶなのだ。荷物を運び出し、からっぽになった倉庫の写真を一枚撮った。そのあとで、「おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、ゆめからさめたらまたね」と言った。人生の前半、これにておわり。







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