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評者◆中村隆之
もはや事件である――「幾多の過ち」のなかに邁進したマルティニック社会に対する痛烈な批判
憤死
エドゥアール・グリッサン著、星埜守之訳
No.3476 ・ 2020年12月19日




■「我々は彼のテクストを前に、まるで象形文字を前にしていると感じていた」――象形文字のごとく難解きわまりないテクストの著者、それはエドゥアール・グリッサンのことである。グリッサンを読んで育ったカリブ海マルティニック島の次世代の作家たちは、その文学的マニフェスト『クレオール礼讃』(連載第1回)でこう書かなければならなかった。
 20年以上前、筆者が『礼讃』を日本語訳(97年刊)で読んだとき、1975年に出版されたグリッサンの小説がクレオール文学の最重要作と位置付けられていた。しかし、グリッサンから影響を受けた小説家ラファエル・コンフィアンをして「カリブ海の読者にも難解」と言わしめる小説でもある。そんな小説が2020年に『憤死』というタイ
トルのもと、パトリック・シャモワゾー『テキサコ』の訳者、星埜守之氏によって日本語となった。もはや事件である。国際グリッサン研究のネットワークでもその驚きはただちに分かち合われたほどだ。
 『憤死』はどのような小説なのか。
 訳者があとがきで述べるように、本作は、日本語で読める前二作との関連で捉えるとよい。グリッサンのマルティニック・サーガは『レザルド川』(1958年)に始まり『第四世紀』(64年)へと続く。この二作は端的には、カリブ海住民に民としての集団的な意識と自覚を生み出すための叙事的物語を志向していた。
 ところが『憤死』(75年)は、あたかもこの叙事的物語の試みの挫折ないし否定であるかのようである。なぜ挫折なのか。
 それは独立派グリッサンにとり1960年代以降のマルティニックの状況とは、46年の海外県化以降、フランス本国への同化が加速度的に進んでいく絶望的状況だったからである。作中ではグリッサンの先行世代の大詩人にして海外県化の推進者である政治家エメ・セゼールのことは一切触れられない。しかし、カリブ海域の独立運動にコミットし、フランス本国での長年の滞在を経て帰郷したグリッサンは、独立を真に目指さないセゼールとその政党に対して批判的立場をとってきた。
 思い起こせば、第一作『レザルド川』では選挙は希望として描かれた。主人公とその仲間が応援するのは、たしかに45年選挙でフランス共産党候補としてマルティニック選出代議士となるセゼールと思しき人物である。そしてこの希望は島の化身レザルド川を通じても示されていた。しかし、『憤死』では不正投票が横行し、「産業ゾーン」に囲まれたレザルド川は涸れ尽きている。『レザルド川』のときのように描くべき風景すら存在しない。本土資本のスーパー「モノマグ」が各地に進出し、人々はテレビに夢中だ。フランス式の教育にも。そこで描かれる世界は限りなくディストピアに近い。
 しかし、絶望をユーモアによって表現するのが『憤死』の基調だ。この小説が暗い雰囲気をまとわないのはこの諧謔的な調子のためなのだが、そこに漂う明るさはどこか空々しい。この虚しさはどこからくるのか。
 小説には1788年から1974年という時間軸が設定されている。1788年は逃亡奴隷として島に連れてこられたその日に逃亡した始祖ロングエ(作中では〈否定者〉と呼ばれる)の記憶と結びついている。この人物の逃亡は、西洋植民地主義と奴隷制に対する根本的拒否の振る舞いをグリッサンの小説世界では示している。そして、この逃亡の踏み分け道=痕跡の記憶を継承してきたのが呪術師パパ・ロングエだった。
 『第四世紀』ではパパ・ロングエの記憶を継承する相手としてマチュー・ベリューズが登場した。しかし、『憤死』にはマチューも登場しなければ、パパ・ロングエもその名が言及されるさいにはすでに他界している。すなわち、『憤死』の三人の主要人物ドゥラン、メデリュス、シラシエには最初から記憶継承の回路が閉ざされている。
 三人は集合的人称で示される〈われわれ〉の一部だと作中で言われる。定職を持たないこの三人の日雇い労働者は1788年の記憶を知らない。彼ら三人は〈否定者〉がかつて逃げた道を偶然歩くときも、そのことに一切気づかない。「なぜなら彼らは続きも記憶もない年月の反対側というよりも焼かれ耕されたことどものもうひとつの斜面の上、道という道が不明瞭になって水の無秩序になってしまったマングローブの実のなかに転げ落ちたからだ」。このせいで「彼ら自身どちらにせよ避けることはできなかったはずの幾多の過ちを喜んでいる」(76頁)。
 『憤死』はこの「幾多の過ち」のなかに邁進したマルティニック社会に対する痛烈な批判である。と同時に、この社会のなかでしか生きざるを得ない現状から、かすかな希望を見出すための困難な試みなのだ。パパ・ロングエに頼
らずに、〈われわれ〉はいかに1788年を始まりとするもうひとつの記憶を再発見することができるのか。
 「失われた踏み分け道はやはり失われていた」(222頁)。
 それでも三人の一人メデリュスは〈否定者〉の「秘密の道」をついに見出すことになる。ときすでに遅し。メデリュスは周囲から「狂人」扱いされるのだから。真実を垣間見た者が社会から疎外されるというモチーフは次作『痕跡』(81年)に受け継がれる。
 最後に述べておきたいのは、2020年の日本社会のありようは、『憤死』における70年代マルティニック社会に驚くほど似てきているということだ。凄惨な戦争の記憶は都合よく消去され、「日本万歳」という空虚な掛け声が社会の空気に染み渡っているのを感じるのは、筆者だけではあるまい。筆者は戦争を知らない世代だが、戦時体制とは今のように形成されていくのだと感じて空恐ろしくなる。「学問の自由」の次に奪われるのは「言論の自由」だ。黙っていてはいけない。
(フランス文学)







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