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評者◆粥川準二
生殖補助医療の法案可決――「当事者」性について、ふと考えてみた――自分が当事者にならないと問題解決のための情報収集や発信をできないというのは、かなり情けないことではなかろうか
No.3475 ・ 2020年12月12日




■一一月二〇日、第三者から卵子や精子を提供される「生殖補助医療」で生まれた子どもの親子関係を明確にする「民法の特例法案」が、参院本会議で可決された。
 生殖補助医療とは、文字通り「生殖(子どもをもうけること)」を補助する医療技術のことである。具体的には、精子を子宮に注入する「人工授精」、精子と卵子をシャーレ上で受精させる「体外受精」、第三者の女性に出産してもらう「代理出産」などがある。「不妊」を解消するために開発されてきたものなので、「不妊治療」と呼ばれることもある。
 ポイントは、生殖補助医療で使う精子や卵子には、子を望むカップルではなく、第三者のものも使うことができることだ。このことによって、妊娠可能な精子・卵子をつくることができない者も、子どもをもうけることが可能になる。しかし当然ながら、子どもとの「血縁(遺伝学的なつながり)」は、自分とではなく、精子や卵子の「提供者(ドナー)」との間にできることになる。
 生まれてきた子どもが、自分を誕生させた精子や卵子は父親や母親のものではないと知ったとき、どう思うだろうか。今回、与野党が合同で提出した法案は、こうした問題に対応できていないようだ。
 拓殖あづみは、この法案がこれまで各分野で行われた調査や研究の結果をまったく反映していないと厳しく批判する(「不十分すぎる…精子・卵子提供で生まれた子どもの親子関係を定める法案の〓大きな課題〓」、現代ビジネス、一一月一六日)。提供された精子や卵子で生まれた子どもの父や母は誰なのか、これまでいくつかの裁判で争われてきたのだが、この法案の条文では「これらの争い」を「避けることができない」と拓殖は分析する。
 そして法案に、生まれてきた子どもたちの「出自を知る権利」への配慮がないことが大きな問題だと指摘する。拓殖は、提供された精子で生まれた当事者たちのなかには、「精子提供者」のことを知りたがる者がいることを、海外の事例で解説する。
 提供された精子で生まれたことを二三歳のころに知って苦しんだ、という石塚幸子は取材に対して、「今まで信じてきたことやアイデンティティーが崩れた時、それをもう一度立て直すには、自分を形づくるパズルのピースを埋めていくことが必要。ドナーの情報がわからなければ、パズルは空白のままで再構築できないのです」と語る(國崎万智「「精子という“モノ”から生まれた」感覚に苦しみ…ドナー提供で出生した女性が『出自を知る権利』を求める理由」、ハフポスト、一一月五日)。また記者会見でも、「提供者情報の管理、情報開示、親から子への適切な告知や相談体制といったシステムが整わないなら、この技術は行われるべきではない」と強く主張した(中川聡子「精子提供で生まれた子ら「出自知る権利認めて」 生殖補助医療法案修正求める」、毎日新聞、一一月二四日)。
 また生殖補助医療においては、別の当事者性もありうる。フランスの生命倫理政策を学生のころから研究し続け、『フランスの生命倫理法――生殖医療の用いられ方』(ナカニシヤ出版、二〇一五年)という著作もある小門穂は、ある時期、研究者兼当事者になった。「2011年、ドイツ文学の研究者である夫と結婚。同じ非常勤講師だった夫の就職を機に子どもをもつことを考えたが妊娠しない。不妊治療に取り組むも心身への負担は重く、3年目に気持ちが切れた」(社納葉子「「突っ走る」生殖医療は誰のため?」、ふぇみん、一一月五日)。小門は「子どもがいてこそ本物の人生が始まる」と思っていたが、やがて「子どもがいなくても自分の人生は始まっている」と思うようになったという。しかし、そうはいっても「「子どもが欲しかったなー」という気持ちはずっと持ち続けるかな?」と、その微妙な心境を明かしている。
 生命倫理学者やフェミニストは、生殖補助医療を含む生殖医療に批判的なことがしばしばである。筆者もいちおう生命倫理学者であり、フェミニズムに共感することも多いのだが、小門の「気持ち」を尊重したい。
 また私見では、研究者には欧米かぶれが多い。フランスの生命倫理法も肯定的に紹介されることが多い。しかし、小門は、フランスが「日本に比べて社会の変化を反映させる努力はすごくしている」ことを評価するものの、同国では出生前診断の実施件数が日本よりもずっと多いこと、優生思想的な条項が法律に存在すること、「すべての女性」に生殖医療を提供すると述べているものの、実際の政策は「すべての女性」を救うようにはできていないこと、などを指摘する。「人権意識が高いというイメージがありますが、すべての人に優しい社会ではありません」と、なかなか厳しい。
 小門は生殖医療について「人を幸せにする技術であってほしい」と語る。筆者は、法律で生殖(補助)医療を「人を幸せにする技術」にできるのなら、そうしてほしいと思う。だが前述の通り、法案は当事者の懸念に応えていない。
 ところで当事者といえば思い出したことがある。複数の論客が感染症パンデミックを予想・警告していたことを筆者は知っていたが、自分がその当事者になるとは思ってもみなかった。もっとも、現在、このパンデミックの当事者でない者はいない。その点が二〇一一年の震災・原発事故のときとの大きな違いだ。
 福島県相馬市で働く医師・越智小枝は、原発事故でも今回のパンデミックでも、「誰かの責任追及に明け暮れ、何を解決したいのか分からないような報道やSNS上の批判も後を絶ちません」と述べる(「災後の歴史を選ぶ」、原子力産業新聞、一一月一九日)。
 筆者の実感は少し異なる。問題解決に興味を持たず責任追及だけを求める声は、今回のパンデミックでは原発事故のときよりも少ないと思う。それは、研究者もジャーナリストもSNSユーザーも、みんな当事者になってしまったからではないか。そして、自分が当事者にならないと問題解決のための情報収集や発信をできないというのは、かなり情けないことではなかろうか。少なくとも研究者やジャーナリストとしては。
(県立広島大学准教授・社会学・生命倫理)
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