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評者◆睡蓮みどり
なんて罪な映画なのだろう――セリーヌ・シアマ監督『燃ゆる女の肖像』、ユッカペッカ・ヴァルケアパー監督『ブレスレス』
No.3475 ・ 2020年12月12日




■人間関係について考えるとき、私はよくDSのことを考える。ゲーム機器ではない。ドミナント(支配欲)とサブミッシブ(服従欲)のことだ。いわゆるSMと混同されがちかもしれない。しかもSMは性的なプレイのことだけを指すわけではないと私は思っている。むしろそれはごく表層的なものであって、深い信頼がないと成立し得ないものだからだ。そういえば昔、歌舞伎町に住んでいた頃、エナメルのブーツを履いて歩いていたら、突然「女王様!」と声をかけられ、どうか踏んでほしいと懇願されたことがあった。真昼間の路上だった。当然、気味が悪いし、SUBWAYのターキーサンドをテイクアウトして食べるのを楽しみに家に帰る最中で、それどころではなかった。私は非常に空腹だった。それに私は女王様ではない。たとえ女王様だとしても、そんな風に相手の都合を考えずに「ただ女性に踏まれたい」という性的願望を押し付けてくるような人物の望みを叶えるわけがない。当時は意味がよくわからなかったのでただ固まってしまった。露出しない露出狂に遭遇したような感じだった。けれど、もし、それが本当に大切な人の切なる願いであったならば状況は違ったに決まっている。サンドイッチに負けるような人に私の人生は変えられるわけがない。
 何が言いたいかというと、緊張感のないDS関係は存在しない、ということだ。馴れ合いということも存在しない。自分本位な関係性などあり得ない。下手をすると大怪我をしたり、死んでしまう可能性も十分にあるからだ。だからこそ、セーフワードというものがある。どこまでが自分の限界かを相手に知らせるものだ。言葉が使えないときには手をあげるとか、他の手段で相手にそれを伝える。合図が出たらそれ以上のことをしてはいけないというのがルールだ。『ブレスレス』でプレイ中、顔面をビニルで覆われ声の出せない主人公ユハ(ペッカ・ストラング)は、手に持ったガラスの球体を手放すことで、支配者のモナ(クリスタ・コソネン)に限界を知らせる。
 妻を不慮の事故で亡くした医師のユハは現在、思春期真只中の娘と暮らしている。ひょんなことがきっかけでモナに首を絞められ意識が遠のいていくと、妻の幻想を見るようになる。そのことが忘れられず、ユハはモナの元を度々訪れる。そのようにして始まった二人の間には当然金銭が介在する。つまり彼はお客でしかない。しかしエスカレートしていくユハの死とすれすれの願望に、モナは徐々にペースが崩されていく。観ていてとても不安だった。エスカレートし映画のテンションはどんどん上がっていく一方で、果たしてこの物語はどこ
に行ってしまうのだろうか、と。ユハが受け入れることを示すためにモナにどんなことをしてもいいと伝え、あることが行われる。このクライマックスを迎えた後、もう二人の間には不幸な人間関係しかあり得ないように思えたのだ。フェティッシュなシチュエーションが続き、一歩間違えればおしゃれアート映画止まりだ。ご存知のように(?)、映画を「おしゃれ」と形容するのは悪口だ。しかし甘かった。そんな予想の遥か上にスルスルと行ってしまう。観ればわかる。この映画のラストシーンはとにかく最高だ。彼は悲しき変態から愛情深い超人となる。こんなに幸せで穏やかな気持ちになるなんて! 本作ではユハとモナの距離感だけでなく、娘との距離感も丁寧に描かれていることも特筆したい。彼の人生の始まりに乾杯。

 映画の好みは人それぞれというのを承知の上で、今年どうしてもおすすめしたい映画がもう1本ある。『燃ゆる女の肖像』だ。18世紀フランスの孤島に暮らす貴族の娘エロイーズ(アデル・エネル)と彼女の結婚のための肖像画を依頼されたマリアンヌ(ノエミ・メルラン)の物語だ。マリアンヌは画家ではなく、あくまでエロイーズの散歩係として接するよう母親から命じられる。エロイーズは結婚を拒んでおり、以前の画家も彼女の肖像画を描くことができなかった。身分を隠しているマリアンヌは彼女を堂々と描くことができず、エロイーズを盗み見るようにして画を描き上げていく。
 肖像画を描くという目的のために観察していたその視線は、いつの間にか彼女を追いかけている。二人の顔がその心境を表すように重なり、少しの動きでずれ、また重なる。その一瞬のぶれが目の錯覚のようにも感じたのは、そのとき私はすでに泣いていたからだと思う。どこからだったか、気がついたときには私は映画を観ているという部外者でいることができなかった。けれどもできる限り彼女たちの邪魔にならないように、じっと静かにしていなければならないと思った。緊張感が迫ってきて、胸が熱くなり、感動という魔物に襲われる。
 溢れてくる涙の原因が何なのだろうと考えていたが、なかなか言葉が見つけられなかった。セザール賞で脚色賞を受賞したアニメーション映画『僕の名前はズッキーニ』も本作監督のセリーヌ・シアマが脚本を担当している。元々は脚本家としてデビューした。過去の監督作でも少年少女の秘めたる感情に光を当ててきた。それも本人が驚かないように、そっと、ゆっくり光を当てるのだ。観客に対しても驚かせようとか、奇をてらったことはしない。これを優しさだと言ってしまうのは、粗雑で申し訳ないような気がする。もっといろんなものが複雑に混じり合って、見たこともない色を初めて見たような深い胸の痙攣が生じる。
 孤高の女が二人、惹かれ合う。二人は何も奪い合わない。決して傷つけ合わない。隠しながらも晒そうとし、戸惑いながらも触れようとする。戸惑っているのに揺るぎない。ただ好きだという確信が、強さを持って存在している。その強さは屹立している。誰の力も借りずに、自分の足で踏ん張って立っている。私は気づく。もう決して、夢見るような恋物語を必要としていないのだと。誰かが誰かに憧れるのも、誰かが誰かに依存して傷つけ合うのも、私はもう恋愛映画とは呼べないだろう。この映画に出会ってしまったら、もうこれから先、生ぬるい恋愛映画を見ても何も感じなくなってしまうだろう。なんて罪な映画なのだろう。まだ会ったことはないけれど、私はおそらくこの監督のことが好きなのだ。彼女の映画を堂々とこの目で追い続けたい。
(女優・文筆家)







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