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評者◆対談 西川秀和×安達正勝
フランス革命の影の主役――死刑執行人・サンソンの苦悩の生涯
サンソン回想録――フランス革命を生きた死刑執行人の物語
オノレ・ド・バルザック著、安達正勝訳
No.3469 ・ 2020年10月31日




■この十月、オノレ・ド・バルザック著『サンソン回想録――フランス革命を生きた死刑執行人の物語』が国書刊行会から刊行された。パリの死刑執行人〈ムッシュー・ド・パリ〉を代々務めるサンソン家の四代目当主として、ルイ十六世、マリー‐アントワネット、ロベスピエール、ダントン、サン‐ジュストら三千人余を手にかけた男、シャルル‐アンリ・サンソン。本書はサンソン家に代々伝わる資料と直接取材を基に、フランスを代表する文豪バルザックが描く、革命期を生きた処刑人の物語である。本邦初訳のこの一冊をめぐって、訳者である安達正勝氏にメールにて話をうかがった。聞き手は大阪大学外国語学部の講師で、『サンソン家回顧録』の個人訳も手がけている西川秀和氏にお願いした。(本紙編集・村田優)

■死刑制度に疑問を抱く死刑執行人

西川 安達さんがサンソンを最初に知ったきっかけはなんですか。サンソンはフランス革命のさまざまな人物や場面に関わっています。中でも有名なのはルイ十六世やマリー‐アントワネットの処刑だと思いますが、やはりその辺りから関心を持ったのでしょうか。
安達 フランス革命の経緯を追えば、必ずサンソンに行き当たりますが、特に強い関心を持つようになったのは、シャルロット・コルデとの関連からです。コルデは三大革命指導者の一人マラーを殺害した女性ですが、白い百合の花のような清楚な容貌と犯罪内容とがあまりにもアンバランスだったために《暗殺の天使》と呼ばれました。なぜ、こんな犯罪を犯すに至ったのか、その謎を解明するために執筆を思い立ち、いろいろと調べました。死刑判決を受けたコルデと一緒に馬車に乗ってサンソンは刑場に向かうわけですが、その途中、コルデに対していろいろと優しい配慮をするのです。それがとても印象深かった。
西川 なるほど、きっかけはコルデとサンソンからですか。確かに処刑場に到着する直前にサンソンがコルデにギロチンを見せないように気をつけるという配慮がありましたね。サンソンはそういう繊細な心遣いができる人だったようです。安達さんから見ると、サンソンとはどのような人物でしょうか。
安達 死刑執行人と聞くと、毛むくじゃらで赤ら顔、荒々しい、がさつな男を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、シャルル‐アンリ・サンソンはまったくそういう人ではなく、教養豊かな紳士でした。知らない人からは、態度、雰囲気から貴族と間違われることもありました。
 まず、サンソン家の人々の暮らしぶりについて簡単にお話ししておきましょう。
 サンソン家は、十七世紀後半から十九世紀半ばまで、六代にわたって代々パリの死刑執行人を務めた家系です。差別され、孤立した生活を余儀なくされていましたが、経済的には豊かで、子供が迷子になりそうな広壮なお屋敷に住んでいました。公務員としての俸給も高かったのですが、医者を副業とし本業を上回る収入を得ていました。普通の医者が匙を投げたような患者を快癒させるなど、腕は非常によく、評判を伝え聞いた宮廷貴族も診察を受けにきまし
た。裕福な人からは高額の報酬を受け取るが貧しい人からは一銭も受け取らないというのがサンソン家の伝統でした。教会に寄進したり、界隈の貧しい人たちに定期的にパンを配ったりもしていた。だから、一般の人たちからは忌み嫌われていても、世話になった人たちからは敬意を受けていた。三代目の頃は普通の工場労働者の約百倍の年収がありましたが、代が進むにつれて様々な事情で少しずつ家計が悪化していきます。
『サンソン回想録』の主人公、サンソン家四代目当主シャルル‐アンリは、父親が病で倒れたために十五歳で家業を継ぐことになりましたが、人を殺める職務は悩み多いものでした。非常に信仰心の篤い人物だったので、自分の職業はキリスト教の教えに反すると思われた。教会で祈りを捧げているとき、どこからか「汝、人を殺すなかれ」という声が聞こえてきて胸苦しい思いをしたりもした。それでも、家業を中断したのでは先祖を裏切ることになる、自分の仕事は社会の安全のために犯罪者を罰することだと自分に何度となく言い聞かせ、職務を遂行した。一大転機となったのは、ルイ十六世に死刑判決が下されたこと。革命当初はルイ十六世は国民の間に絶大な人気があった。革命初期のスローガンは「国民、国王、国法!」(国法とは憲法のこと)であり、国民と国王が一丸となって改革を推し進めれば素晴らしい世の中になる、と人々は楽観的に信じていた。シャルル‐アンリは一貫してルイ十六世を敬愛し続けてきた。〈国王陛下も、それはミスは犯しただろう。それでも、しがらみにとらわれながらも国をよくするために精一杯の努力はしていた〉――彼にとって、ルイ十六世は断じて犯罪人ではなかった。自分の死刑執行人叙任状にはルイ十六世の名前があり、国王によって任命されたということも心の支えであったのに、その国王を手にかけざるを得なくなって、職務に対する正当性の根拠が根底から揺らいでしまった。死刑執行人でありながら、死刑制度に大きな疑問を抱くようになるのです。もともと「人の命は神から与えられたものであり、人の命について裁量できるのは神だけなはずだ」という考えがありましたが、晩年には、はっきりと死刑制度に反対するようになります。
 世間の偏見と闘わなければならないというだけでも大変なことなのに、さらにさまざまな悩みを抱えた心優しい人物、というのがサンソンですね。世の中の不条理が我慢ならなかった。
西川 私の考えでは、サンソンという人物は死刑執行の当事者という点に重要性があると思っています。死刑制度について考える場合、死刑執行人がどのような思いを持っていたかという視点も重要です。明らかに冤罪だとわかっていながらも死刑執行をしなければならなかった苦悩もあった。ギロチンはフランス革命における闇であり、サンソンは否応なしに闇を背負わされた人物です。そういう人物であることは、バルザックがサンソンを題材に選んだのと関係があるのでしょうか。
安達 バルザックはいろいろなことに関心を持つ多作な作家です。フランス革命から題材を取った小説も何編か書いています。サンソンに特に強い思い入れがあったわけではないと思いますが、死刑制度は人間の本性に反するので廃止するべきだとサンソンに語らせているのは、バルザックの本心でもあると思います。二百年も前にこういう立場に立てたのはすごいことです。フランスで死刑制度が廃止されたのは一九八一年ですが、今でもサンソンという人物に対する偏見が残っているかもしれない。死刑制度を支持する人たちにとって、死刑執行人は自分の考え・願望を実行に移してくれている人なのですが、日本では死刑制度に賛成しながらも死刑執行人であるサンソンに嫌悪感を持つ人が結構多いのではないでしょうか。これは“大いなる矛盾”と言っていいのですが、なるべく死に関わり合いたくないというのは人間の本能ですから、自然な感情でもあります。
 バルザックは四代目サンソンの息子五代目サンソンに会い、サンソン家から資料提供を受け、自分でも資料を集めた上で書いたのですが、作家の性といいますか、創作部分も混じっていると思います。
西川 『サンソン回想録』を読むと、なんらかの資料を基にして書いていると思われる点がたくさんありますね。ところで、歴史上重要な人物であるにもかかわらずサンソンの肖像画が伝わっていないのはなぜでしょうか。
安達 今回『サンソン回想録』の表紙に登場するサンソン像は後に刊行された本の挿絵です。六代目サンソンが死刑執行人であった頃までは、歴代当主の肖像画が家に飾られていた。したがって、これらの肖像画は『サンソン回想録』が刊行された頃もまだ存在していたが、その後行方不明になってしまった。先祖を名誉に思わないサンソン家の人々によって処分されたのかもしれないし、どこかの屋根裏にでも放置されているのかもしれない。いずれにしても、残念なことです。
西川 もしそれが偶然発見されることになったら、これまでぼんやりとしかわからなかったサンソンの顔がわかるかもしれませんね。私の手元に一八七〇年代にパリで刊行された挿絵入りの『サンソン家回顧録』があります。もしかすると、歴代当主の肖像画をもとにして挿絵を描いているかもしれませんね。

■『回想録』と『回顧録』の違い

西川 今回、安達さんが翻訳したのは『サンソン回想録』で私が翻訳したのは『サンソン家回顧録』です。名前が似ていてややこしいですね。『サンソン家回顧録』という題名は英語の縮約版のMemoirs of Sansonsから付けました。Sansonsと複数形になっているので「サンソン家の人びと」ということですね。では安達さんはどのような経緯で『サンソン回想録』という題名をつけましたか。
安達 『サンソン回想録』Memoires de Sansonという題名はバルザック自身が付けたものです。ただし、フルタイトルは『フランス革命期の刑事判決執行人サンソンによる、フランス革命史に貢献するための回想録』です。このフルタイトルを縮めた『サンソン回想録』が題名とされるのが普通です。邦訳するにあたり「フランス革命を生きた死刑執行人の物語」という副題を付けました。ちなみに、『サンソン家回顧録(回想録)』のフランス語原題はMemoires des Sansonです。つまり、Sansonは複数形にならない。フランス語には、ブルボン家とかコンデ家とか由緒ある家系の名字は複数形になりますが、一般庶民の名字は複数形にしないという奇妙な決まりがあるのです。こちらのフルタイトルも結構長いです。
西川 そうでしたか。ではバルザック『サンソン回想録』とアンリ‐クレマン・サンソン『サンソン家回顧録』の違いはどのようなものですか。
安達 簡単に言えば、バルザック『サンソン回想録』はバルザックが四代目当主シャルル‐アンリ・サンソンに成り代わって書いたもの、アンリ‐クレマン・サンソン『サンソン家回顧録』はサンソン家の一員六代目当主によって書かれたものです。西川さんは英語の縮約版から『サンソン家回顧録』を訳されたわけですが、どんな感じでしたか。
西川 『サンソン家回顧録』はフランス語の原典では全六巻ととても長いものです。そこで私は分量が約三分の一の英語の縮約版をもとに翻訳しました。ただせっかくなので重要な部分はフランス語の原典から抜粋して翻訳しました。『サンソン家回顧録』はシャルル‐アンリの孫アンリ‐クレマン・サンソンがサンソン家全体の歴史を示しながら、サンソン家は社会全体のために「法の剣」として奉仕してきたのであり、決して忌み嫌われるべき存在ではないと訴えようとしたものです。アンリ‐クレマン・サンソンは当時の年代記などを参照にしてフランス全体の歴史を語りながら、それにサンソン家の話をうまく絡み合わせています。そうすることでサンソン家という一族がどのように歴史の奔流に揉まれながら生きてきたのかを活写できていますね。サンソン家の一族の話ですが、四代目当主シャルル‐アンリ・サンソンについて語った部分が非常に多いです。特にシャルル‐アンリ・サンソンの日記は当時の記録ということでとても価値が高いと思ったので今回、フランス語の原典からいっさい省略せずに全訳しています。
安達 サンソン家は裕福でしたから、アンリ‐クレマンはかなりの遺産を引き継いだはずですが、骨董趣味やギャンブルで財産を食い潰し、金に困ってギロチンまで質に入れたために死刑執行人を罷免されるという、サンソン家の面汚しになりました。でも、その後、一族の歴史を六巻の本にまとめ、一族の名誉のために奮闘したわけですから、結局はサンソン家の大功労者になりました。アンリ‐クレマンは『回顧録』の中で正面切って死刑制度廃止を訴えています。フランスで実際に死刑制度が廃止されるのは本が出て百二十年後のことですが、彼は「文明の進歩にともなって死刑制度はいずれ廃止されることになる」と確信していた。当時の人々からは「何を夢みたいなことを」と失笑を買ったことでしょうが、先見の明があったということになります。
西川 アンリ‐クレマン・サンソンもなかなか興味深い人物ですね。これまで祖父シャルル‐アンリに関してさまざまな本で書かれてきたことを『回顧録』を刊行することで訂正したいという思いがあったようです。アンリ‐クレマン・サンソンはバルザックの『サンソン回想録』を読んでいたようで影響をかなり受けていると思います。安達さんはどう思いますか。
安達 アンリ‐クレマンは自分も筆に自信のあるなかなかの文化人でしたから、バルザックの価値はよくわかっていたはずです。その影響も、当然、受けていたと思います。当初は『回顧録』の冒頭にバルザックの短編小説『贖罪のミサ』を掲げようとしたほどです。この小説は、心ならずも国王陛下を手にかけてしまったシャルル‐アンリの苦悩を描いたものですが、後に短縮して『恐怖時代の一挿話』という形に書き改められました。
西川 『贖罪のミサ』はシャルル‐アンリがルイ十六世のためにひそかにミサをあげていたという話ですね。当時は宗教的な混乱でミサをあげるのも大変でしたから。シャルル‐アンリが強い信仰心を持つ人物だとわかるエピソードでした。
安達 大変というより、命がけのことでした。ことが明るみに出れば、シャルル‐アンリ自身が死刑になったはずですから。

■ポップ・カルチャーとしてのサンソン

西川 実は私がサンソンを初めて知ったのはごく最近のことです。さまざまな英霊たちが自分のサーヴァントとなって戦いを繰り広げるスマートフォン向けRPG『Fate/Grand Order』(略称『FGO』)というものがあるのですが、このゲームにはかのサンソンが出ています。ほかにもビリー・ザ・キッドやジェロニモといった史実の人物も登場しますが、私はアメリカ史が専門なので最初は彼らに関する記録を翻訳することから始めました。彼らが実際にどのような人物だったのか知りたいという人がそれなりにいましたから。『サンソン家回顧録』の翻訳も同じです。サンソンについて知りたいという人たちの後押しを受けて翻訳を思い立ちました。安達さんがサンソンに関する本を初めて出した頃と今は状況が違いますか。昔と比べると、サンソンの名前を知る人はやはり増えているのでしょうか。
安達 そうですね、私が『死刑執行人サンソン』(集英社新書)を出したのは十七年前のことですが、あの頃と比べるとサンソンの名前を知る人は増えていると思います。たとえば、荒木飛呂彦さんが『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』の主人公の一人「ジャイロ・ツェペリはサンソンをモデルにした」と言っていますし、坂本眞一さんが私の本を出典にして『イノサン』という歴史漫画を描いています。お二人とも売れっ子の漫画家さんです。『イノサン』は私の本とは大分違った話になっているのですが、昨年暮れにミュージカルになり、連日満席の大盛況だったそうです。実は私もミュージカルを見に行ったのですが、会場前に若い女性たちがずらりと大勢並んでいるのを見て非常にびっくりしました。観客の九五パーセントは女性でした。もっとも、女性の方々の目当てはイケメン俳優で、私の本のことなどほとんど知らなかったと思いますが(笑)。
西川 『回顧録』によると、シャルル‐アンリは「サンソン風」という言葉ができるほどファッションに気を使っていたようです。今風に言うと、シャルル‐アンリもイケメンだったかもしれませんね。さきほど、日本では死刑執行人であるサンソンに嫌悪感を持つ人が結構多いのではないかというお話がありましたが、ポップ・カルチャーで取り上げられることで日本におけるサンソン像になにか変化があったと思いますか。
安達 おっしゃるとおり、若い頃のシャルル‐アンリはかなりおしゃれなダンディーでした。身分を隠してアヴァンチュールに浸っていた時期もあります。後にルイ十五世の公式寵姫になるデュ・バリー夫人も付き合った女性の一人です。その頃はアンヌ・ベキュという名前のお針子にすぎなかったのですが、高級娼婦の時期を経て田舎貴族と形式上の結婚をし、伯爵夫人として宮廷に上がりました。奇しくも、数十年後、二人は断頭台の上で再会することになります。ポップ・カルチャーで取り上げられるようになってシャルル‐アンリのイメージは変わってきたとは思いますが、好感度がどの程度上がったかは、若い人たちに聞いてみないとわかりませんね。
西川 最後の質問になりますが、漫画にもミュージカルにもゲームにも登場するようになったサンソンですが、安達さんは今後さらにどのようなサンソンが登場すると思いますか。もしくは登場してほしいと思いますか。私はいつか宝塚の演目にも登場するのではないかと思っています。
安達 劇になって全国規模で公演されればいいなと思っています。宝塚はフランス革命関係の演目をよく上演するので、私も何度かプログラムに書かせていただいたことがあります。宝塚の舞台にサンソンが登場したら、素晴らしいことです。とにかく、サンソンという人間がいたということが日本でなるべく広く知られるようになることを私は願っています。
(了)







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