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評者◆秋竜山
孔子、十五歳にして漫画家を志す、の巻
No.3467 ・ 2020年10月17日




■若い時、長い間、部屋のカベにはっておいたものであったが、それだけのことであった。寝ぼけたような志であった。「漫画家になるんだ」。このような、調子のいい文句が必要であった。ただそれだけのことであった。志というものは、そんなものにたよりたいものであった。「努力」の2文字。渋沢栄一『現代語訳 論語と算盤』(守屋淳訳、ちくま新書、本体八二〇円)では、
 〈「論語」はわたしが普段から社会で生きていくための教科書にしている古典だが、そのなかから、孔子の志の立て方を探してみると、こんな一節がある。
 「吾、十有五にして学に志す(わたしは十五歳で学問に志した)
 三〇にして立つ(三十歳で自立した)
 四十にして惑わず(四十歳で迷わなくなった)
 五十にして天命を知る(五十歳で天命を知った)」
 ここから推測すると、孔子は十五歳のとき、すでに志を立てていたと思われる。しかし、ここでの「学に志す」という発言は、「学問によって一生を過ごすつもりなのだ」という志を固く定めたものかどうか、やや疑問が残る、おそらく「これから大いに学問しなければならないな」くらいに考えていただけではないだろうか。〉(本書より)
 話はガラッとかわってくる。漫画家である。漫画家になりたいと志すのは何歳ぐらいか。たいがい十歳ぐらいからではなかろうか。「漫画家になりたいなァ」と、夢みるのは、いや、夢ではなく現実的に思えるのが十歳である。私のときがそうであった。そんな年齢のときは、親も反対しない。反対しだすのが、十五歳のときである。孔子は十五歳のとき学問を志したという。漫画と学問は大きく違うような、違わないような。もし孔子が十五歳にして漫画家を志したとしたら、どうだろうか。「あの孔子が、漫画家を!!」である。そして、孔子が漫画家になっていたら、どーなのか。考えても考えられないことだ。孔子の描いた四コマ漫画を見たいモノである。学問的な四コマ漫画だったりして。
 つくづく考えさせられるのは、世の中というべきか時代というべきか、変わってしまったと、思わざるをえない。今の時代、漫画家になりたいというと、親は手ばなしによろこぶ。なぜか? それは、昔のような漫画家ではないからだ。今は、漫画家になっても、それなりに食べていける。場合によっては億万長者にさえなれる。親としてよろこぶのは当たり前だ。昔は、漫画家になりたいというと、親は真っ赤になって怒った。なぜならば、当時は、漫画家というと、ビンボー人の代表というところにあった。「そんなものになって、どーやって生活していくんだ」。親のセリフは一点張りであった。そういわれてみると、たしかに、親のいうことは正しい。漫画家で食べていけるわけがない。つまりは、女をとるか漫画をとるか、と、いうことである。私は幸運にも、そのときは、女(彼女)がいなかった。なぜいないか。それはわからない。私は、そのことで悩むことはなく、女なんて関係なく、漫画をとった。今から考えると、淋しい気もする。あのとき、ひとこと、「女をとる」と、いいたかった。孔子は、女をとるか学問をとるか。女と言ったら、ソンケイしてしまうのだが。それとも、両方か……。オッタ、チカラのチカラは女をすてた。







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