|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
評者◆秋竜山
腹の虫さまざま、の巻
No.3465 ・ 2020年09月26日
■秋の夜長アァうるさいな腹の虫の声
人は誰でも腹の中に〈虫〉をもっている。腹の虫である。そのことに誰も気づかない。それどころか、虫の存在そのものを知らないのである。その虫に気づくのは、腹がへった時、腹の虫は「グググ……」と、同じように鳴り出す(泣き出すというべきか)。そこで、はじめて、己の腹の中にいる虫のことを認識するのである。腹の虫は、腹がへった時以外はさわがない。腹の虫が鳴ってから腹がへるということはありえない。私は若い頃、この腹の虫のことで取材したことがあったが、かなり昔のことで、全部忘れてしまった。おぼえているのは、戦前のラジオの時代の頃のこと、ラジオ放送で腹の虫の実況放送をこころみたが、成功したのか、失敗したのか、肝心なところを忘れてしまったのだから話にならないということだ。ラジオの時代の面白さで、イワシの大群の中を潜水艦でもぐって、その実況放送をしたというのである。今のようにテレビの時代であったら、もっと面白かったであろうに。 渋沢栄一『現代語訳 論語と算盤』(守屋淳訳、ちくま新書、本体八二〇円)で、 〈人は「万物の霊長」――すべてのなかで、もっとも進化した生き物というのは、人皆みずから信じているところである。ならば、同じ人と人との間には何らの差もないはずなのに、世間多数の人々を見ると、「上を見ても際限がなく、下を見ても際限がない」と口にしている。(略)人が動物のなかでも、もっとも進歩したものだと認めるなら、人と動物の間には、まず優劣をつける何かが存在しているはずである。(略)人と動物とはどこが違うのかというような問題も、昔は簡単に説明されたかもしれないが、学問の進歩に従って、そんな単純なことすら次第に複雑な説明を要するに至っている。〉(本書より) 人は腹の中に腹の虫なるものを宿している。が、では動物はどーなんだろうか。猿は、ブタは、ゾウは、腹の中に虫がいるのだろうか。人の腹の虫は「グググ」と泣く。腹がへったということを泣き声で知らせるのである。他の動物も、同じように「グググ」なんだろうか。腹を持つものには必ず、腹の虫が住んでいるとしたら、腹の虫にもいろいろ様々だろう。そして、満腹の時の「ゲップー」も、腹の虫の「もー、食べられません」なんだろうか。 〈これは事実かどうかはわからないが、人間と動物との違いは、きわめてわずかでしかないことは、この話によっても理解できるものである。頭が一つ、手足が二本ずつあって人間の形をしているからといって、われわれはそれをただちに人だと断言することはできない。人が動物と異なる点は、道徳を身につけ、知恵を磨き、世の中のためになる貢献ができるという点にある。(略)「動物のなかで最も進化した証としての能力を持つ者だけが、人の真価を持っている」といいたいのである。〉(本書より) 千円札が落ちていた。そこを通りかかった、すべての動物はひろおうともせず、見むきもせず通りぬける。ところが万物の霊長だけが、その落ちている千円札をひろって立ち去るのだ。人間だ。お金に目の色をかえるのが万物の霊長であるということは、それが進化というべきだ。他の動物たちはどう思っていようが、人間はえらいのである。秋の夜長を鳴きとーす、アァ面白い腹の虫。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
取扱い書店| 企業概要| プライバシーポリシー| 利用規約 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||