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評者◆休蔵
「移動」には様々な物語が内包されている
砂漠が街に入りこんだ日
グカ・ハン著、原正人訳
No.3465 ・ 2020年09月26日




■本書は移動の小説という。8編からなる短編集であるが、主人公は必ずしも共通しない。本書は「私」の語りで、私からみた「あなた」に注目することもある。それでも視線は「私」による。その「私」はどうやら別々の私のようで、「雪」の主人公である「私」はウエイトレスをしていて、「一度」の主人公である「私」の車窓の窓に映る姿は「ぼうっと座るひとりの男」。
 それでは舞台はどこか。地名が出てくるのは「ルオエス」の舞台ルオエス。この短編だけマクドナルドなど実在の店舗が登場するが、それ以外はもはや場所の詳細など関係ないと言わんばかりだ。
 さて、本書は移動の小説ということだった。ほとんどの人が生れ落ち、生きて死んでいくまでに移動を繰り返す。レジャーや仕事が多いだろうし、進学や卒業に伴う場合もあるだろう。本書の主人公たちもまた移動を繰り返す。飛行機での移動もあれば、メトロの乗る場合もある。ただ川を横断するだけの場合もあるが、これも立派な移動で、その人にとっては大きな意味を帯びることがある。
 ただ、本書が取り扱う移動は、単に場所を移り変わることだけではないような気がした。例えば、時の移ろい。「一度」の主人公は大使館で「君」に再会する。脳裏には昔の記憶がよみがえり、頭の中で時の移動を果たす。
 また、立場が大きく変わることも、ある種の移動と言えるかもしれない。「真夏日」に出てくる「あなた」はテニスで名をはせている女子高校生。同じ高校に通う女の子たちに人気絶大。しかし、ひょんなことから人気の絶頂から滑落することに。滑落した場所にいる主人公……。これもまた移動か。
 「聴覚」の主人公である私は母親によるテレビ・ラジオの騒音に悩まされ続けた。でも、聴覚を失うことで、安寧に辿り着く。これもある意味、移動ということが言えるかもしれない。
 単なる場所を移すだけではない様々な移動。解釈の幅を広くすることで、物語は深みを帯びる気がしたが、考え過ぎか。
 「雪」はあなたの死を知り、あなたを思い返す主人公「私」の目線で進行する。学生時代の一場面を振り返る「私」は、お互いの記憶の齟齬に気づく。「まるで私たちには共通の過去などなく、まるっきり異なるふたつの過去が、このテーブルの周りに混じり合うことなくただ隣り合っているようだった」(43‐44頁)という一文は、自らを省みるきっかけを与えてくれた。こんな経験、誰にでもあるのではないか。過去の記憶が食い違い、しばしば言い争ってしまうような、そんな経験。時の移ろいは同じはずなのに、その間の経験が過去の記憶を違うものに変えてしまったのか。それとも当時から違う解釈で捉えていただけなのか。いずれにせよ、大きな時の移動を果たした後に擦り合わせた記憶が合致するとは限らない。
 移動に様々あることを考えるきっかけになった本書。特に時間経過という移動について、やたらと考えさせられた。著者は韓国出身で、フランスに移住し、フランス語で本書を著したという。単なる場所の移動だけではなく、文化の移動、言語の移動の後に世に問うた本書に詰められた想いをどれだけ読み解けたか、実のところ自信がない。ただ、じっくりと耽溺することはできた。そして、これからフォローしていきたい作家を見つけられたことは間違いない。







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