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評者◆福島亮
「黒と白の世界」を問い直すために――人種とは制度であり、人種を本質化しようとする議論には何度でも否といわねばならない
No.3464 ・ 2020年09月19日




■今回からしばらくの間、新しく出た本や最新のイベントとの出会いについてささやかな報告を留学先のフランスからお送りしたい。そうはいっても、オンラインが主流の今、実は一番恋しくて仕方ないのが当の出会いである。直接的な形でなされる出会いがすっかり危険で贅沢なものに、あるいはどういう理屈か罪深いものになってしまった。そんな状況を肯定しないためにも、今回は、ちょっとだけ道草をしながらある本との出会いについて述べてみたい。
 八月一六日、筆者はコレーズ県に遊びに行った。三年前にあるシンポジウムで知り合ったGから遊びにおいでと誘われたのだ。パリからブリーヴ=ラ=ガイヤルドという駅まで高速鉄道で片道四時間かかる。「コロナ禍」だから車内はガラガラだろうと思っていたら大間違いで、席はみっちりマスク姿の人で埋まっていた。国外に行くのが難しい分、国内旅行で我慢しようとみんな考えているのだろう。目的の駅に着くと、若者でごった返すホームにひとり、青いマスクをした白髪のおじいさんがいる。Gだ。Gの家は市街地から自動車で四〇分ほど行ったトラヴァサックという村にある。パリで生まれ育ったGが、粘板岩の産地として有名なこの村に居をかまえたのは三〇年ほど前。居をかまえた、といっても、半分くらい崩れた、屋根もないような廃墟を買い、それを何年もかけて修理し、そうしてようやく住めるようになった家に、ひとりで住んでいるのだ。定職についてないから融資を受けられなかったんだ、とGはいう。在野の研究者であり、小説家であり、写真家であるGが就職しなかったのは、自由でいたかったから。そんな自由の探求者Gと、到着してから二日間、朝から夜遅くまでずっとお喋りをした。彼が世界中を旅して撮った写真について、それから香港と中国について、あるいは植民地主義者の像の破壊について。いつの間にか植民地の話題になるのは、Gが若い頃アルジェリアにいたからである。思えばGと初めて出会ったシンポジウムも、ある黒人文化誌をめぐるシンポジウムだった。あの出会いが、今こうして親密な関係へとつながっている。
 パリに帰る直前、Gがある本屋に連れていってくれた。「アルキメデスの浴槽」という変わった名前の本屋だ。その二階で、この本がよかったよ、とGからすすめられた一冊がある。オーレリア・ミシェルの『黒と白の世界――人種的序列にかんする歴史調査』という本である(Aurelia Michel, Un monde en negre et blanc:Enquete historique sur l'ordre racial, Paris, Editions du Seuil, 2020)。「黒」と訳した原語は「ニグロ」。人種の優劣を問いに付す書物であることがストレートに伝わってくる。著者はパリ・ディドロ大学で歴史学を教えており、特にラテン・アメリカにおける奴隷制や都市社会形成の歴史を専門としている。ラジオチャンネル「フランス・キュルチュール」で八月はフランツ・ファノンの特集が組まれていたのだが、この本を買ってすぐ、八月一九日の放送を聞いていると、ラジオの向こうで話している専門家の中にオーレリア・ミシェルがいるではないか。偶然聞こえてきた著者の声を耳にしながら、植民地、奴隷制、人種主義をめぐる谺のような何かが少しずつ自分の周りに凝集し始めるのを感じた。ケノーシャで銃声が鳴り響いたのは、その数日後だった。
 戦後すぐ、ユダヤ人虐殺を受けて、人種とは何かを検討する調査がユネスコによって行われた。人種とは何か。ユネスコの答えは「なんでもないもの、あるいはとるに足らないもの」である。それにもかかわらず、人種という概念がしぶとく今でも根付いているのはなぜなのか。やはり人種は人間にとって拭い去ることのできない本質の一部なのだろうか。そうではない。本書の著者が目をつけるのは、人種概念に先行して、世界中のあらゆる地域に存在していた奴隷制という制度である。著者によるならば、人種とはこの奴隷制という制度の一部から西欧が生み出したもう一つの制度なのである。今日「人種」の意味で用いられるラースraceという言葉がヨーロッパで使われるようになったのは一五世紀末であり、当時は高貴な家の血筋を表す語として用いられていた。この高貴な血筋が人種という今日的な意味を持ちはじめるのは一八世紀末葉以降であり、とりわけ一八三〇年代から四〇年代のことだという。注目すべきは、この時期のヨーロッパでは奴隷制廃止が盛んに唱えられていたことである。それにもかかわらず、まさしくその時期にこのラースという語が他者を身体的特徴によって標定する語へと傾斜しはじめたのである。ここに、奴隷制という制度から人種という別の制度が生み出される歴史の転換が見出される。著者はいう、ヨーロッパ人は人種主義者だったからアフリカ人を奴隷にしたのではなく、「ヨーロッパ人はアフリカ人を奴隷にした、まさしくそのために、ヨーロッパ人は人種主義者になったのである」と。そして、このようにして生み出された制度としての人種主義に基づいて、ポスト・プランテーションの低賃金労働体制が姿をあらわし、新世界の工業化と都市化への道が開かれるのである。
 本書が章立てて扱う年代範囲は、古代の奴隷制から第二次世界大戦後、あのユネスコによる人種をめぐる調査までである。このように長い時間軸を見通そうとする本書は、『ル・モンド』紙に掲載された書評が指摘するように、ややもすれば議論を単純化しすぎているようにも見える。専門家たちがその点をあげつらうのは容易いだろう。それでも、人種という制度が長い時間軸の帰結であるがゆえに、人種をめぐる議論は細分化され、その全体像が見えにくくなっていることもまた確かである。そのような細分化と膨大な数の先行研究を前に狼狽えていた筆者にとって、本書は議論を開始するためのプラットフォームになる書物だった。読み終わった今、いくらでも繰り返そう、人種とは制度であり、人種を本質化しようとする議論には何度でも否といわねばならない、と。
(フランス語圏文学)







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