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評者◆粥川準二
夏の広島で、「死ぬ義務」と格差について考えた――マイノリティとも重なる経済的弱者は危険に晒される側である
No.3463 ・ 2020年09月12日




■広島の八月が終わった。
 NHK広島放送局の「1945ひろしまタイムライン」という企画では「もし75年前にSNSがあったら」という設定で、実在の広島市民三人のアカウントが、当時の日記などをもとに一九四五年八月六日前後のことをTwitterでつぶやき続け、一定の共感を呼んだ。
 八月二〇日、そのうち「シュン」という男子中学生のアカウントが「朝鮮人だ!!大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」などとツイートした。それに対して、多くのネットユーザーが「差別を助長しかねない」などと反発した。削除を求める声もあった。一方、「朝鮮人」は「野蛮人」だ、とシュンに同調するツイートも散見された。
 フォトジャーナリストの安田菜津紀は、ひろしまタイムラインの別のアカウント「一郎」が当時の新聞記事を紹介したとき、そのツイートには「現在では、適切でない表現を含む場合がありますが…」という注釈が付いていたことに注意を促す(「「ひろしまタイムライン」と、「剥き出しの言葉」」、日経COMECO、八月二五日)。安田がマンガ『はいからさんが通る』を例示するように、古い本や映画でそのような注釈があるのは珍しくない。
 現時点で当時の中学生に同調するのは差別の助長であるどころか、稚拙だ。しかし、ある者の発言が別の者にとって不都合だったとしても、その発言そのものを「なかったこと」にするようなことは、それはそれで歴史への冒涜ではなかろうか。筆者も安田と同じく、「すぐにツイートを削除すべき」「企画を一度止めるべき」とは考えない。しかしながら、「広島でも多くの朝鮮半島出身の人々が、被爆し、犠牲となり、その後も十分な支援を受けられずにいた」ことも忘れられるべきではない。
 一方、京都のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者が「安楽死」を求めたことにSNSで応じ、薬物を投与して殺害した医師らが、去る七月二三日に嘱託殺人罪で逮捕された。
 この事件について、生命倫理を高校や大学で三〇年以上教えてきたという大谷いづみは「この10年の間に「生かされている」という言葉を「生の強制」と受け止める若者が増えている」と実感を述べる(「相論対論 再燃する「安楽死」議論 生きたい気持ち守れ」、中外日報、八月二五日)。自殺者全体は減少しているが、若者の自殺は微増している。「教室内カーストや同調圧力、格差が広がる中で、切実な「生きづらさ」がある。だから、せめて死ぬ自由が欲しいと考えるのではないか」と大谷は推測する。しかしながら、「人は一人で生きているのでも真空の実験室で自己決定するのでもない」。
 そこに安楽死・尊厳死肯定論の陥穽がある。「「わたし」限定の死ぬ権利を求めたはずが、いつのまにか社会の迷惑にならないよう、死ぬ義務、死なせる義務に反転してしまう懸念は、戦時にも例えられるコロナ禍の欧米で高齢者や医療・介護職に起きたことだ」。
 そしておそらく同じ欧米の高齢コロナ患者でも、「死ぬ義務」を強く求められる者もいれば、そうでもない者もいる。
 新型コロナウイルスに感染すると、糖尿病や高血圧など基礎疾患を抱えている者は、重症化したり死亡したりするリスクが高い。またそうした基礎疾患は「社会経済地位」が低い者、つまり貧しい者がかかりやすい。新型コロナウイルス感染症(COVID‐19)のリスクは決して平等ではない(拙稿「COVID‐19時代のリスク」、現代思想、五月号)。
 また最近の研究で、「パンデミック下の米国では貧困層が富裕層より活発に行動しており、そのせいで貧困層は新型コロナウイルスに感染する危険性が増している恐れがある」とわかった(MATT SIMON「パンデミック下の米国では、感染リスクが「貧富の差」で決まる‥データに基づく研究が裏付けた構造的な問題」、WIRED、八月二三日)。
 カルフォルニア大学の研究者らがスマートフォンの位置情報などを分析したところ、パンデミック前には、貧困層よりも富裕層のほうが活発に移動していた。「旅行するだけの金銭的な余裕が常にあったからだ」。しかしパンデミックになってからは、「家から一歩も外に出ない富裕層の数は、パンデミック以前に比べて25パーセント増えた」が、「貧困層では、増加した人数は10パーセントにすぎない」。
 遠隔勤務が不可能で、人との接触を回避できない職業に就く人たちは、遠隔勤務が可能な人たちよりも、一般的には低収入であろう。ということは、社会経済地位が低い者たちは高い者たちよりも、COVID‐19が重症化しやすい要因を持っているだけでなく、そのウイルスに感染しやすい(そして感染させやすい)ということだ。結果として、「死ぬ義務」への圧力の下に置かれやすくなるだろう。
 アメリカにおいては、COVID‐19によるアフリカ系住民の死亡率は、白人の三・七倍である。人種の違いが経済格差に、そしてライフチャンス(生存可能性)の格差に直結する。このこともまた、ブラック・ライブズ・マター運動が活発になった理由の一つだ。
 戦争やパンデミックなどで人々が混乱するとき、マイノリティは危険な者たちとみなされがちである。しかし科学や歴史が教えるところでは、マイノリティとも重なる経済的弱者はどちらかというと危険に晒される側である。
 広島の暑い夏でそう考えた。
(県立広島大学准教授、社会学・生命倫理)







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