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評者◆睡蓮みどり
この戦いに終わりは来るのか――マルコ・ベロッキオ監督『シチリアーノ 裏切りの美学』、フィリップ・ヴァン・レウ監督『シリアにて』
No.3462 ・ 2020年09月05日




■テレビが壊れた。なぜかTBSしか映らない。これまで決まった番組を見る習慣もなく、ほぼ映画を映すためだけに機能していたのだが、時々ぼんやりとワイドショーだとかニュースだとか通販番組なんかを眺めていることもある。先日、「倍返しだ」の言葉で社会現象にもなったTBSドラマ『半沢直樹』シーズン2のダイジェスト版をやっていた。主人公は厳しい言葉をキメながら悪者たちを追いやっていく。その痛快さが人気の秘訣なのだろう。大きな会社や上下関係の厳しい組織に属したことのないせいか、私にはいまいちピンとこない。そんなに憎い人たちばかりに囲まれている場所になぜ主人公はい続けるのか? ダイジェスト版しか見ていない人間が語る資格などないのだろうが、「今シーズンは女性も活躍」という、どこかとってつけたような女性キャラクターが出てくることも、今時どころか古臭さを感じてモヤモヤした。
 戦わなければならない瞬間というのは確かにある。自分のアイデンティティを奪われそうになったとき、誰かに存在そのものを否定されそうになったとき、大切な人が傷つ
くのを目のあたりにしたとき。文字通り命に代えても戦わなくてはならないと強く思う。少なくとも私は映画でそういう人物たちをたくさん見てきたはずだし、現実の世界でもリアルタイムに存在している。最近起こった香港での周庭さんの逮捕劇はまさに衝撃だった。
 とはいえ、確かに男たちのハードボイルドな世界の格好よさというものは知っているつもりだ。ブラザーフッドな男たちの結びつき。それを噛み締めたのは作家・髙村薫さんの描く世界だ。中学生の私は、恋愛小説よりも髙村薫の世界の愛に酔いしれた。男同士の友愛にはのめり込んでも、男の美学なるものを真正面から描かれるとちょっとひいてしまう。『男はつらいよ』の寅さんの背中が醸し出す哀愁やその美学さえも、どうものめり込めない。基本的に私は男らしさそのものに興味が湧かないのかもしれない。

 マルコ・ベロッキオ監督が、80歳にして撮った新作『シチリアーノ 裏切りの美学』の題材に選んだのは、あの「コーザ・ノストラ」だ。厳密には違うそうだが、一般的にはマフィアとして知られる。『ゴッドファーザー』パートⅢでも舞台となったシチリア島最大の都市パレルモ。これまでもシチリアを舞台にした映画はたくさんある。タイトル通りの『シチリア!シチリア!』や、最近だと『胸騒ぎのシチリア』もそうだし、あのヴィスコンティの『山猫』だってシチリアが舞台だ。
 シチリア島はマフィア発祥の地らしい。『シチリアーノ』の前半では、コーザ・ノストラの派閥対立による麻薬取引抗争による残虐な殺しのシーンがテンポよく続く。300人以上の逮捕者を出した抗争劇は血生臭く、陰惨たるもの
だ。後半はパレルモ派の大物トンマーゾ・ブシェッタ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)が法廷で真実を語り、かつての仲間と対決するのが見どころとなる。ブシェッタは、逮捕・拷問を経たのち、組織を裏切り、政府に協力することを決意する。とはいえ彼が真実を話すことを決意したのは、決して拷問に屈したからではない。彼がなぜ洗いざらい話すようになったのか、というミステリーに焦点を当てながらも、ブシェッタの揺るぎない視線をカメラは捉え続ける。
 コーザ・ノストラに背くことは死を意味する。実際にブシェッタは家族を殺されている。そもそも掟を誓ったものだけが入れる組織。と、それだけ聞くと、どことなくオカルトめいたものを思い浮かべてしまうが、もっと怖いのは、彼らが政治や経済に深く食い込んでいるという事実だ。腹を括ったブシェッタとは対照的に、裁判所で対決をする男たちは口先だけで、ブシェッタを嘘つき呼ばわりする。
 「名誉ある男」としての生き方とは何か。血の掟を破ってまで捜査に協力しようとしたのは、妻クリスティーナと電話するシーンも大きな意味を果たしているだろう。コルレオーネ派のトップ、サルヴァトーレ・リイナ(ニコラ・カリ)は「女より権力」をとるが、ブシェッタは「権力よりも女」を選ぶ。そこだけ切り取れば一見、軟派なようだが、ブシェッタは実に硬派だ。ファルコーネ判事と交わした約束も決して表面的なものではない。
 この映画を見た後に、ベロッキオ監督のデビュー作『ポケットの中の握り拳』(65)を見返して、奇妙な感覚に陥った。盲目の母、長男に近親相姦的な愛情を抱く妹、障害を持つ弟がいる次男のアレッサンドロ(ルー・カステル)は仕事にもつかず、鬱屈とした日々を送っている。そんな彼は母と弟を殺害する。家族というどうにも逃れられない組織のなかで、唯一の反逆児として足掻いているのだ。若さや貧しさ、どうにもならなさのなかで、鬱屈とし、爆発していく青年を26歳のベロッキオが撮ったあのときから、54年。80歳の彼が撮ったのは、組織の反逆者となった男の強面の表情の奥底にある静かな信念だ。
 ブシェッタの裏切り――それは果たして男の美学なのか? 「カミカゼになれというのか」というブシェッタのセリフが出てくるが、もちろん、「いや、そんな風にはならない」ということだ。ラスト・サムライ的なものへの否定。負けるとわかっていて死ににゆくのではない。かつて愛した組織、そして愛する人たち、そうしたものへの敬意を忘れない誇り高き男が法廷に一人立つのは、数の論理では抗えない真実を見ていたからだろう。牢の向こう側からコルレオーネ派の大ボス、レッジョがミシェル・ビュトールの「目は現実を表す」を引用して叫ぶのも印象深い。ブシェッタの生き方そのものを美談として語るような陳腐なことはせずに、彼の残忍さも含めて、真実を見据えようとする誠実さに心打たれる。

 もう一本、すでに公開中の素晴らしい映画と出会った。ある年老いた男がどこか不安そうに、とても悲しそうに、窓の外を見つめている。そして苛立たしげに、窓からタバコを投げ捨てる。カーテンが閉まっていてよくは見えないが、外では激しい音が鳴り響いているのがわかる。戦争の音だ。
 アパートの一室の世界を描いたフィリップ・ヴァン・レウ監督の『シリアにて』には、重厚な緊張感が始終漂い、そこに暮らす人々の生身の生活が同居している。壁一枚向こうでは戦争が起こっているが、決して内側と外側の隔てられた世界ではない。この部屋のなかにも、紛れもなく戦争が侵入してきているということを、室内にいる人物たちの表情から、外から聞こえる音から、体感する。激しい戦闘シーンはほぼ描かれていないが、いつ自分たちが襲われるかわからない緊迫が続く。こんな密室劇を見たことがない。
 ある日、オーム(ヒアム・アッバス)のアパートに身を寄せている若い女性ハリマ(ディアマンド・アブ・アブード)は、強盗にレイプされてしまうというシーンがある。しかも赤ん坊を守るために自らをも差し出すのだ。「なぜ私がこんなむごたらしい目に遭わなければならないのかわからない」という悔しさと怒りで顔を赤らめつつも、幼子と夫とのこれからを信じているからこそ耐える。生きるためだ。ハリマが暴行を受けるドア一枚の向こうではオームの家族が息を潜めている。ここで出ていってしまったら自分が殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖が始終部屋のなかを支配していて、助けたくても助けられない。
 女、子供、老人と、部屋のなかにいるのは弱者ばかりだ。やりきれない苦しみと恐怖が絶えず忍び寄るなかで、彼らは生き抜くために戦い続ける。戦いとはなんだろう。私たちはなんのために戦い、生きていくのだろうか。そして戦いというものに、本当に終わりが来るのだろうか。夏の終わりに、壊れたテレビの前でそんなことを考えていた。(女優・文筆家)







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