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評者◆凪一木
その61 突然消えていく
No.3462 ・ 2020年09月05日




■三月一九日、新型コロナウイルスの集団発生防止に関するチラシ「密を避けて外出しましょう!」が公式サイトに掲載され、のち四月一日「三つの密を避けましょう!」に変更される。
 四月一日、首相官邸で、第二五回新型コロナウイルス感染症対策本部を開き、総理は、この日初めてマスクをつけ、アベノマスクを発表した。そうして、緊急事態宣言の四月七日までグダグダと話し合いが続き、五月六日までの一カ月間発令された。
 工ちゃんの前に、嘘つきのキツネ常務が現れたのは、三月三一日の朝である。その直前に、工ちゃんの存在しない四月の勤務表が出来上がっていて、初めてその不在の勤務表を見た工ちゃん。唖然とする。かつて書いた銭さんと全く同じ光景である。唖然としているその時間が過ぎるか過ぎないかの朝に、キツネからの電話が来て、「今から行く」。なんだ、このタイミングは。
 リストラとか早期退職、転勤、単身赴任などといった事例は日本独特なのか。その昔から、参勤交代や秩禄処分などがあり、お上には、或いは上の者には逆らわずに裏で不満を述べるだけの人間たちが、結局は全体としての悪に手を貸していたのであろうか。特攻隊で、「敵に体当たりして死んでこい」と命令する上官は、苦渋の決断というものもいるが、中には平気なものもいたに違いない。それは「相手の親分を取ってこい」と鉄砲玉(ヒットマン)に命令する兄貴分と変わらない。
 『鉄砲玉ぴゅ~』というⅤシネマで、主演の哀川翔は、どこにも属さないチンピラである。いよいよ「組」に加えてやるから「鉄砲玉」として、相手の玉(命)を取ってこいと命じられる。そこで、どう生きるかの生き様は、観る者の現実とシンクロし、身につまされる。
 ヒットマン(殺し屋)に指名されて、怖くなって逃げることを「ぴゅ~する」という。この映画では、情けない先輩ヤクザたちが、どんどんと「ぴゅ~」する。まずは山田辰夫が「ぴゅ~」する。とにかく行きたくない。死にたくない。「親分が白いものを黒といったら黒」という時代の人間ではない。「イヤ、親分、それは白ですよ」と平気で言ってしまう。とはいえ、ヤクザである。だから、鉄砲玉として殴りこみに行けない状況(理由)を無理やりにでも作る。安岡力也に至っては、「おかあさ~ン」と叫びながら、ジェットコースターの音にまぎれて、自分を撃つ。拳銃の暴発に見せかけるのだ。そこまでしても「殺し」には行きたくないのである。当たり前である。もう、そういう時代なのだ。一九九〇年のⅤシネマであった。
 これは実は、かつてあった映画の模倣であり、オマージュでもある。七二年公開の『仁義なき戦い』だ。やはり誰が相手組織の親分の玉(命)を取りにいくかで揉めるシーンがある。老獪な金子信雄演じる親分が、「誰か行ってくれんかのう」と愚痴を零す。そうすると、三上真一郎は「行きたいのは山々だけれども、どうも、ここのところ身体の調子が悪くて」と鉄砲玉を回避する。田中邦衛は、「ワシはもちろん行きたいんじゃが、女房の腹に子がおって、遺されるこれからのことを思うとったら、可哀想で可哀想で」と泣きじゃくる。
 さて、二〇二〇年、前回書いたように、来月の四月一日より、現場が六人から五人に減ることになった。『仁義なき戦い』から約五〇年、『鉄砲玉ぴゅ~』からちょうど三〇年である。
 古くからの在籍順に、最古透、私、樵の田中邦衛、カメラマンのフェラーリ、国立大卒の工ちゃん、元証券マンのマーシーの六人である。
 最古と工ちゃん以外の四人は、いつでも、こんな現場去ってやる(辞めようが異動であろうが出る)つもりでいたから、それなりの早い選択肢(どこなのか、誰なのか)が欲しかった。最古が「誰にしようか迷っているんだよなあ」と特権のように言っているが、そんな権限はない。「お前が出ていけよ」という内心の言葉を皆が飲み込むのを、楽しんでいるかのようだ。
 実は、人員整理の話は去年から出ていた。私が耳にしたのは、最古からでもなければ、他社から来ている所長でもなく、もちろん本社の人間からでもない。そして、所長の上の元請け会社からでも、もちろんオーナー会社からでもない。なんと別の会社の警備の隊長からであった。
 あと二週間という時になって、本社のウソツキ現場担当キツネが、「実は」とやってきたわけだ。私ともう一人、その日にいた同僚が初めて聞かされたわけだ。去年から知っている話を。他の同僚の工ちゃんなどは、あと一〇日という日に聞かされることになる。
 十六時五〇分に「今日の一七時半から話がある」と電話してきて、実際には一七時一五分にやってきた。その時、所長に私は尋ねた。
 「(キツネがやってきたのは)四月からの件ですよね」「多分そうだと思います」
 この期に及んでもまだとぼけるのかよ。
 キツネは「最終決定が二月に出ていた」と言うので、「なぜその時にすぐに知らせないのか」と尋ねると、「バタバタしていて」という。
 いい加減にしろよ。二月二六日の団体交渉を「風邪」を理由に逃げて、交渉を一カ月先に延ばした奴が、連絡ぐらいは出来るだろう。しかもその団体交渉の議題の一つに去年から、四月以降の勤務体制の件が盛り込まれていたのにもかかわらずだ。
 この現場で言うと、六人のうち五人の方は残っていられるが、しかし勤務体制が変わる。マイナスを飲まされる。去っていく一人もまた、鉄砲玉だ。残るも去るも地獄かよ。
 確かにコロナでごたごたとしていた。だが、それを利用された。
 あっという間に起こって、そして何事もなかったかのように、日常が始まっている。それはもう痛いほどに皆知っている。
 ビル管の世界は、その作法やしきたりが、あまりにも「会社であって、会社ではない」ので、入って面食らうが、そのための訓練校に通っている時から、妙な話を先生たちがしていたのを、その都度思い出すのである。
 「ビル管には、入社の歓迎会もないし、辞める時も、その日の朝まで分からない。泊まりの日がズレた人間は、いなくなって初めて知るから、何事が起きたのかさえ分からない」
 そして、笑っちゃうが、上の苗字しか知らない。下の名前を知らないし、年齢も、前に何の職業であったかも、尋ねて聞く私以外は、皆知らない同士である。
 最古は、それがゆえに利用しビルの地下を泳いでいる。
 なんだ、この世界。
(建築物管理)







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