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評者◆凪一木
その58  フェラーリの憂鬱
No.3459 ・ 2020年08月08日




■自殺でもするのではないかというほどに、分裂病的になってきている同僚の話だ。
 脱出しよう、カメラマンに戻ろうと試みては、ビル管の仕事明けで毎回毎回撮影に向かうフェラーリである。実は一度カメラの世界に戻って、またビル管に帰ってきたのである。聞けば聞くほどに、彼がかなりな活躍と、今では考えられないほどにギャップのある生活をしてきたことを、今更ながらその一端を理解している私である。
 ハワイに暮らしていたのは、サーフィンのためである。住んでいたのは、E・H・エリックの三女の所有するマンションであった。世界的なファッションショーに合わせて世界を飛び回っていた。
 「こないだテレビを観ていたら、熊が本来冬眠するはずの山から追いやられて、町に出てきているニュースが出ていたんですよ。それで、暖かいビルの横で寝るんですよね。だけど、山ではないから、本当の“心地良い”睡眠はとることが出来ないんですね」
 「それって、私らビル管みたいじゃないの」
 「そうでしょ、そうでしょ。しかも、こういう疲れることは止めなきゃいけない、いけないと思いながら、本当の眠りでもないのに、またビルの隣で寝ている状態という」
 「いつもいろんな話をしているけど、同じだよね。実は私も、この間、作家の友人と飲んで、言われたんだよ。映画の本を書いているうちは、その場所から出られないよ。映画の本よりも、まずは参考書を書くのです、と」
 「そんなことしたら、設備の人になっちゃうじゃないですか」
 「私もそう言ったんです。でも、設備の本を書くのは、設備の人だからじゃないですよ。設備の人は、一生かかっても、本なんて書けません。本は、本を書く人が書けるのです。設備の人になってしまったら、終わりです、って言われたんです」
 そう言われて、いったん止めた参考書をどうしようか、今、私は迷っている。
 「凪さん、絶対に書くべきですよ。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』という映画を観ましたか。ウォール街で成功していくディカプリオ主演のコメディです」
 私も観たが、株で自らが儲けるのではなく、無駄な投資をさせて客から巻き上げて儲けて成り上がる男の話である。毎日ドラッグをやっている。腰痛で一日一〇回以上も鎮痛剤クエイルートを飲み、精神集中力を高めるのにアデコールを使用し、緊張緩和にはザナックス、そしてマリファナで寛ぎ、コカインで正気に戻し、目を覚ましてはモルヒネで締めて、最後は気分は最高という生活である。
 「この映画で、なんてことはないんですけど、主人公がこのペンをどうやって売るか、という問いを発するんです。ペンを持っていない相手にサインを求めるんです。持っていないゆえに、“これを使ってくれ”と言って買わせる。それが手法なんです。つまり必要だから買う。儲けるためには相手の欲しがるものを目指すんです」
 「なるほど」
  「それで、僕も雑誌『vogue』に載ったとか、活躍している風な自慢話をするのを辞めて、何が必要なのかを見つめ直したんです。そうしたら、コレクションを目指すモデルさんたちは、自分のプロフィール写真を撮ってほしいんです。有名になってから撮影してほしいという需要よりも余程にたくさん仕事があるんです。だから、僕は、そういうセールスを始めたら一気に仕事が増えたんです」
 しかし、なぜか今はここに戻っているわけだ。同じ映画について、かつてこの現場にいて、ビル管を取ってT工業を辞め、大手に移ったギター侍に会って聞いた。
 「あの主人公が麻薬に走るのは、私が思うに、成功と思えないからでしょう。お金を儲けるということは、果たして成功とか、功績とか言えるものであろうか。奢ったり寄付をしたりすれば、その一瞬、いや、人によっては一生感謝されるが、せいぜいが人の一生分である。人間の功績とか成功というものは、そんなレベルのものではないと私は思っている。もし表現者なり芸術家というのなら、限りなく貢献するような、或いは人の心に永続的に刻印するようなものを目指すのではないか。だから永続的感謝を求めて、麻薬に走るしかないのではないか」
 「凪さん、そんな難しいことじゃなくて、あれは、単純にオレオレ詐欺のような犯罪行為に匹敵するわけで、罪悪感から逃れられないんですよ」
 参考書は、お金のために始めた結果として生まれた中での方法論にすぎない。試験の失敗や成功をバネとして、毎日の苦労を糧として、やれば良い話であり、参考書はその後にろ過されたものである。躊躇するのである。
 会社に戻って、フェラーリにその話をする。
 「じゃあ僕は、どうしたらいいんでしょうかね」
 前にフェラーリさんと話題になった『夢工場』という漫画に、白眉とも言える第七三話がある。
 〈シネマの大好きな少年がおりましたとさ。少年の日の思いをそのままに、学校を卒業すると、シネマの世界で働くようになりました。しかし三年経ち四年経ち、彼はその世界が斜陽産業として厳しい試練に立たされていることを、彼の苦しい生活から身を持って知らされていたのでありました。彼が自分の映画を撮れるような状況にはとてもないことを知った時、彼は自分の映画を撮る為の資金を作る為に、もっと収入の良い会社で働くことにしました。結婚もせずに爪に火を灯すようにして金を溜めて、定年で退職する年にどうにか目標の一億の資金を作りだすことが出来たのでありました。いよいよ彼の夢が叶う日がやって来たのでありますが、老人は、あれほど撮りたいと思っていたものを、忘れてしまっていたのでありました。〉
 撮影所で一番下っ端の助監督をしている主人公が、監督しようとしても、お金がないので映画を撮れず、お金が貯まるまで撮影所で苦労しても結局は貯まらない。だから撮影所を辞めてサラリーマンでお金を貯めようと考える。そうしたら「サラリーマン脳」というか、サラリーマンの生きるスタイルになってしまい、お金は出来たけど、映画に向かうだけの身体や考え方が失われて、才能の枯渇したようなものしかできない。何より「映画を作って何になるの?」みたいな考え方に汚染されていた、という落ちである。帯に短し襷に長し、どっちにしても映画が出来やしない。
 この悩みは、フェラーリそのものである。いや、私のことではないか。
 この話には、壮大なオチがあるのだが、これは次回。
(建築物管理)







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