書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆睡蓮みどり
紛れもない大傑作――フランソワ・オゾン監督『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』、キリル・セレブレンニコフ監督『LETO レト』
No.3458 ・ 2020年08月01日




■組織に立ち向かうことがいかに大変なことか。ましてや、個人が巨大組織を告発するともなると、潰される可能性が頭をよぎってしまうのは当然だ。現在も進行形で係争中の「プレナ神父事件」。フランスのカトリック教会に衝撃を与えた、神父による児童への性的虐待事件だ。キリスト教では同性愛も禁じられてきた。弱い子供を狙った陰湿かつ悪質な事件であると同時に、事実を知りながら隠蔽してきた教会全体の罪が問われる事件となった。プレナ神父に限らず、現実にフランスのカトリック教会では、過去70年間で3000人以上の被害者から声が寄せられている。これはフランスだけの問題ではない。アメリカやヨーロッパ全域で同じようなことが繰り返されてきたし、日本でも神父による児童虐待は報告されている。どの国でもタブーであったことには変わりがない。
 フワンソワ・オゾンはこれまでもセクシュアリティの問題に直面する多くの人々を描いてきたが、あくまで登場人物の個人的な内面とその周辺の人間関係に焦点を当てることが多かった。今回、『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』では、実際の事件をベースにして、内面と同時に強いメッセージをもって映画を通して闘う姿勢を見せる。
 この映画を面白くしている要素として、告発のメインになる人物たちが移ろいゆくことも大きいだろう。アレクサンドル、フランソワ、エマニュエルはそれぞれ違う立場におり、告発するにも一筋縄ではいかない。信仰ある家族の無理解だったり、記憶を呼び起こしたくないという心理的葛藤だったり、事情は様々だ。最初に告発を決意したアレクサンドルの場合は、事件から20年以上すぎており、すでに時効だという心ない返事を聞かされることになる。
 傷というのはいつも後追いでやってくる。そのときに自分では傷ついていないと思っていても、実際には深く傷ついていることはある。心に大きな痛手を受けると、時は止まってしまうのだ。眠っている自分を揺り起こすことが、どれだけ辛いことであるか。時間が傷を癒すとは限らない。時を経て悪化することだってある。現在でこそ改善はされたものの、それまでの20年という時効期間が弊害となってきた。犯行に及んだプレナは自分が子供を性的対象として見ており、何人もの子供たちを相手に繰り返してきた事実は認めても、そこに心からの陳謝の感情は見えてこない。自分は病気だからと被害者ぶる。アレクサンドルが相談したバルバラン枢機卿は世間から絶対的な信頼を得ていたが、事件を知りつつ隠蔽し、聖職を剥奪しようとはしなかった。
 最近だと#me too(私も)運動でも、勇気ある人のおかげで声をあげ、共感から社会現象となる瞬間を目の当たりにした。エマニュエルがフランソワと話し、自分と同じ立場の人がいたことをとても心強く感じるシーンがある。一人ではできなくても同じ思いを抱える人がいるから闘える。その喜びは大きい。最初の告発者アレクサンドルには、オゾン作品3作目の出演であり、グザヴィエ・ドラン『わたしはロランス』でのトランスジェンダーの主人公を演じたメルヴィル・プポーが今回も好演している。

 モノクロームの世界で、重なり合い響き合う音、声、映像。これが音楽だ! これが映画だ! と叫びたくなるような、底から湧き上がってくるような興奮がある。ライブはまだ始まっていないが、会場はすでに熱気に満ち溢れていて、スターの登場をいまかいまかと心待ちにしている、そんな感じの興奮だ。
 セックス・ピストルズ、ボブ・ディラン、レッド・ツェッペリン、T・レックス、デヴィッド・ボウイ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、and more……。言わずと知れたミュージシャンたちは、80年代、ソ連レニングラードのミュージシャンたちにも色濃く影響を与える。この時代、資本主義諸国の文化が禁忌とされており、歌詞も厳しく検査され、観客は立ち上がり叫びたいのを我慢して、座ってライブを聴かなければならなかった。『LETO レト』ではペレストロイカ直前、監視されつつも、自由を追い求める若者たちの夏の日々を描く。
 ザ・ズーパークのギターボーカルのマイク(ローマン・ビールィク)とその妻ナターシャ(イリーナ・ストラシェンバウム)の前に、マイクのファンだというヴィクトル(ユ・テオ)が現れる。マイクはすぐにヴィクトルの才能を見出し、協力的になる。マイクへの尊敬と同時に、ナターシャとヴィクトルの間に恋心のような感情が芽生え始める。ナターシャはヴィクトルに惹かれていることをマイクに告げずにはいられない。自由な関係でありつつ、秘密や隠し事はしたくないからだ。小さく針で刺すような胸の苦しみに突然襲われる。恋をして、しかもその恋は叶わないことが最初からわかっていて、のめり込まないようにどこかでブレーキをかけている。そんな苦さと痛みだ。私自身もヴィクトルに恋をしてしまったのだ、と気づく。どうにもならない恋だけど、ついつい彼を見つけては目で追ってしまう。
 ヴィクトル・ツォイは「キノ」という伝説的なバンドのギターボーカルだ。映画のなかでは、彼のバンドがキノと名乗る前の、歌い始めた頃の日々が描かれている。あまり笑わないが、とっつきにくいという感じはなく、なんだか大人になりきれていないような純粋な目をして、歌う。まだ何者かになる前の、純粋に音楽を愛し作り続ける喜び。彼の不思議な存在感が夏(LETO)の光のなかであまりに眩しい。マイクとナターシャとヴィクトルとの三角関係は、決してドロドロとしたものではなく、それぞれ互いへのリスペクトの上に存在している。恋は世界の全てではなく、開放的な夏の空に音とともにほとばしる水滴のようだ。時にノスタルジックでありながら、パッションに満ち満ちている。
 それにしても、一体どうしたらこんな映画が作れるのだろう。映像に文字やアニメーションを重ねる遊び心に溢れ、不意に「これはフィクションだよ」と語り出す登場人物がいる。見事に音と映像がリンクしており、空気感が映像に完全に写り込んでいる。69年生まれのキリル・セレブレンニコフ監督は、62年生まれのヴィクトルの少し後の世代ということになる。自身も無実の罪で逮捕され、2019年の自宅軟禁中に本作を作り上げたという。1日に10回見ても飽きないどころか、さらに見続けたいと思う紛れもない大傑作だ。ヴィクトル・ツォイは28歳という若さで交通事故のため亡くなっている。その翌年に、マイクも36歳という若さで病気で亡くなった。青春はいつまでも古びることがなく、素晴らしい作品は永遠に私たちの胸を締め付ける。
(女優・文筆家)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約