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評者◆小嵐九八郎
団塊以前と以後の時代の波――黒古一夫著『「団塊世代」の文学』(本体二六〇〇円、アーツアンドクラフツ)
No.3458 ・ 2020年08月01日
■八百字であれこれ言うのは気が引けるインパクトと執着力と分析のパワーのある文学評論に出会った。『「団塊世代」の文学』(黒古一夫著、アーツアンドクラフツ刊、本体2600円)がそれで、刊行されたばかりだ。
黒古一夫氏は一九四五年生まれ、群馬大学を卒業し、法大の大学院で学び、うーむ、筑波大学の名誉教授。正確には分からないが新左翼党派の影響下かノンセクト・ラジカルの一翼として闘争を経ているらしい。この一冊には、現代文学へ、とりわけ、村上春樹氏以来の「『受動的な姿勢』、つまり『デタッチメント=社会的な関係が切断されている状態』の物語世界」への危機感から出発し、団塊世代の、何らかの共通体験としての60年代後半の街頭や大学内のバリケード・ストや文化活動の営為、可視化の中で出てきた作品、作家の意味と役割と意義の叫びを内に秘めつつ、きりりとした論理で記している。吉本隆明的な途中で情緒で煽るようなことはない。柄谷行人氏の文芸を評論しながら、実は、大切かつ重大な世界の“共同体”の分析で経済や政治、社会を解剖し総合するのとは別の、文学一筋に立ち向かっている。 当方は一九四四年生まれ、団塊世代以前だ。一九六五年の早大闘争に起つしかなくなり半年もしないうちに党派(社青同解放派)に入り四十ウン歳までやってしまったが、組織化の対象と仲間は団塊世代が多く、文学とはほぼ無縁に不惑過ぎまで過ごしたけれど彼らについては今更ながら強い関心がある。 圧巻の一つは立松和平について。彼が大学一年の時に話しかけたら「僕、中核派のシンパだから」、中核派に聞いたら「ブントのシンパと言ってた」、ブントに聞いたら「きみんところのシンパ」と、ノンセクト・ラジカルが出現する前からきちんと党派というのを相対化し得ていた。今回“盗作問題”で叩かれ孤立し、仏教に出会うところを教わり、じーん。桐山襲については、当時もその天皇制を巡る度胸に参ったが、今回、日本の近代以来の支配のテーマを巡っての斬り結びに、四十二歳の死と共に、感慨に陥った。 文学愛好者に限らず、近現代史を学ぶ人が読むと団塊以前と以後の時代の波まで解る。 |
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