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評者◆凪一木
その55 喫緊急迫のS
No.3456 ・ 2020年07月18日




■先日、博覧強記と言われる編集者と会った。だが、その編集者は知らなかった。サイコパスのことだ。博覧強記でさえ知らないS。
 もちろん言葉としては知っている。説明なども、字を操ることのない職業の人に比べ、また言葉をそれほど重要視せずに生きる一般的な人間よりは出来るだろう。映画『羊たちの沈黙』ぐらいは観ているし、ヒチコックの『サイコ』はもちろん、その他のサイコパスと言われる人間について、一度は詳しく調べているし、興味もある人物だ。犯罪者の具体例が華々しくスクリーンに登場していることも最低限以上に、彼は知っている。
 だが、そうではない。それにもかかわらず、「知らない」のだ。サイコパスを知らない。「サイコパス」とは、出会ったことがない限りは、その人間についての恐怖はもちろん、緊急性も感じないばかりか、認識自体が甘いままで、つまりは「知らない」という言葉以外には成りえない。博覧強記でも、「知らない」わけで、実は私は、ここ数年,多くの彼や彼以上に博覧強記と言われている者、人生経験を積んでいる者、世の中の裏表を知り尽くしていると思われる諸先輩方に尋ね、訊いてみている。
 だが、私の知る限り、彼らの誰もが知らない。いや、「まだ知らない」のだ。
 この文章をここまで読んで、既に「そうだ、その通りだ」と相槌を打つ者がいるだろう。それは、かつてサイコパスに出会ったことがあるか、もしくは今サイコパスとの時間を共有している人間である。そして、その人間はこうも考えているはずだ。
 「早くしなければ手遅れになる。自分の人生にとってはもちろん、今いる会社や学校、共同体にとっても……」
 私も全くの同感である。しかも、それが一時の熱に浮かされた思い込みによる戯言でもなければ、寝言でも浮言でもない。以上を読んで、「何を大げさなことを言っているんだ!」と思っている人間は、まだ出会ったことがない。見たこともない。ただそれだけのことである。その違いは圧倒的に大きい。
 北九州監禁事件の主犯松永太は、圧倒的確率でサイコパスだろう。彼に殺される運命となった人たちが、その過程で、助けを呼ぶチャンスはいくらでもあったし、世間とのかかわりもあった。だが、そうならなかったのは、単に運が悪いとか、思慮や勇気が足りなかったというよりも、世間の無理解・無知識・無関心がそうさせているともいえる。つまり、サイコパスという存在の恐ろしさについて「知らない」「知らなかった」のだ。
 松永のコピーと言われる尼崎のサイコパスもどきがいる。獄中で自殺した角田美代子だ。「もどき」と書いたのは、おそらくは、サイコパスではないだろうからである。サイコパスの恐ろしさは、もどきをも生んでしまう。「雑」で、「寂」しく、「空虚」で、「まっさら」な、まさに冷たい、「人の温かみ」と言われるものから全く遠い。いや、それが「ゼロ」な光景がある。おそらく映画史などは、このサイコパスに対する見方の深まりによって一挙に書き換えられる必要を、私は感じている。
 それが証拠に、これまで観てきた作品を観直しているが、光景が違う。観てきた映画の全部を今、洗い直していると言っても良い。書き換えが必要だ。
 ♪奴は二〇歳を過ぎて、仕事にあぶれたまま、テレビゲームだけをただ一つ、慰めにしてた男。(中略)誰かを信じたこともなく、誰かに信じられた覚えもない。
 こう歌われる歌がある。ARBの『MURDER GAME』だ。作詞は石橋凌だ。この歌をずっと長い間、私は約三〇年聴いてきた。どこか理解しづらい部分があった。
 「ゲームヲタク」「愛情を受けなかった幼年時代」「遺伝も含めた先天的な問題」、そういったことの複合的な結果として解釈できるものではない気がしていた。だが、今の私ならば、この歌が、かなり実態に近いであろうことを感じる。
 観た映画について、その映画には、作物には、サイコパスが全く出てこなくても、このことの取り扱いが雑であるか、作者が真剣に生きているか。今なら分かる。そこにサイコパスは、「いる」かどうかはともかく、出てこなくとも、その扱いを疎かにしていたならば、私には分かる。そして、もし、それらしいものが出る作品ならば、これは相当に、準備と恐怖と用意周到さと善悪の彼岸を越えてしまうかもしれない可能性についての逡巡自体がすでに迫られるものである。
 われわれ(と呼ぶこと自体が、結構難しい問題をはらんでいる)が、「人間なら」とか「人として」と使う場合の「人間」や「人」の範疇の中に、サイコパスは入っていない。非サイコパスのことを、「人間」や「人」と呼んでいるだけのことである。サイコパスと現実につきあうことは不可能で、話をすればするほどに疲れる理由は、感情のこもった話ができないからである。表紙が豪華で、一頁目からラストまで白紙の本なのだ。
 感情はある。自分を中心とした怒りや不安がサイコパスにもある。だが、人の痛みを解せず、自分の痛みにも鈍い。
 感動がない状態とは、つまりは長く退屈で疲れる緊張である。サイコパスは、その話の中から相手の弱点や嫌がることを探し出して利用するための材料集めに終始するだけである。故に疲れるのだ。逆に、義理や人情といった、まさに「べた」であれ、人間や人にとっては、必要不可欠だったと今さらながらに思えるのだ。
 サイコパスについての本は、翻訳ものがほとんどで、日本の著者が独自に書いているもので良い(つまり使い勝手がある)本は、いくつかしかない。これらについては、のち説明していく。
 先ず以下のことをここに記してから話を始める。今現在の私が既に家族を何人も殺されている途中だというわけではないが、身近に「奴」がいて、かつ動き出したのである。
 Sにとっての最大の敵の銭さんが「魔の手」に嵌まって追い出された。そして(奴の最大の妬み材料である)ビル管に合格した私は、会社からも組合活動によって、「敵」という存在と化した。
 標的として、もともと気に入らなかった存在であったろうが、ここにきて、ついに牙を剥き始めたわけである。対抗方法はあるのだろうか。
 同僚のマーシーは、決意を語る。「闘わなければ状況は変えられない」。
 間違ったボタンを押しては危険だ。
 答えでなくとも良い。せめて助言でもほしいのである。
(建築物管理)







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