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評者◆中村隆之
アメリカに「黒人」として生まれるとはどういうことか――私たちの〈闇の奥〉を一人ひとりが検証する作業が求められる
「他者」の起源――ノーベル賞作家のハーバード連続講演録
トニ・モリスン著、荒このみ訳・解説
世界と僕のあいだに
タナハシ・コーツ著、池田年穂訳
No.3454 ・ 2020年07月04日




■2020年5月25日、ミネアポリス警察の「白人」警官によって「黒人」ジョージ・フロイド氏が窒息死させられた事件を契機に警察の暴力およびレイシズムにたいする抗議運動が全米のみならず欧州にも波及している。今回の事件から抗議活動が波及した重要な契機はフロイド氏がまったく抵抗できない状態でその肉体が動かなくなる様子を撮影した動画がソーシャル・メディアを介して拡散したことが間違いなく大きかった。
 合衆国におけるレイシズムを考えるにあたり、トニ・モリスン(1931‐2019)が2016年にハーバード大学でおこなった講演録『「他者」の起源』は時宜を得た書だ。ちょうど勤務先での2020年度前期「教養演習」で取り上げている。同書でモリスンが示唆するように、差別とは本質的には区別であり、自分とは異なる存在として認識していく社会化のプロセスのうちで身につける価値観に潜んでいる。それは「他者化」の論理だ。モリスンはアメリカの文学作品や農園主の記録を事例に、これが合衆国の奴隷制の歴史と切り離せないことを提示する。カラーに執着し、カラーでもって差別を正当化する法を制定してきたのは「白人」だった。
 モリスンからボールドウィンの再来と評されるタナハシ・コーツ(1975年生)は、文学作品を題材に考察するモリスンよりも、いっそう直裁に「黒人問題」を提起する。コーツは、『「他者」の起源』への序文で、モリスンのハーバード大学講演から2017年の原書刊行までの1年間で起きたレイシズムをめぐるアメリカの国家政策の決定的変化を指摘している。すなわち16年とはオバマ政権二期目の最後の年であり、オバマが二人のアフリカン・アメリカンの司法長官に全米の警察署の調査を開始させ、「これまで長い間、瑣末な出来事として処理されていた、いわば組織的人種主義が現実のものであることを明らかにした」年だった。
 警察暴力の日常性が明るみとなり、BLM(Black Lives Matter)運動が盛り上がりを見せたのには、こうしたオバマ政権時代の調査があったという指摘は重い。そしてこの指摘をおこなうコーツ自身が、警察暴力に絶えず晒される「黒人の肉体」という問題を、15年出版、同年の全米図書賞受賞の大ベストセラー作『世界と僕のあいだに』で生々しく描いている。
 15歳にさしかかる息子サモリに宛てた手紙という体裁で綴られる本書はその冒頭から、アメリカという国の民主主義が「白人のアメリカ」のそれを、そもそもこの国の「アメリカ人」とは「白人」(「自分が白人だと信じている者たち」)を指しているという現実を突きつける。アメリカという国が与える「ドリーム」とはそれを抱ける「白人」のものであり、「黒人」はそもそも法の庇護下にない。法とは、警察が職務質問の身体検査、すなわち「お前の肉体に暴力をふるおうとすることの口実」である。
「連中が僕ら黒人からどれほど多くを奪ったか、僕ら黒人の肉体そのものをどうやって砂糖やタバコ、棉花や金に換えたか、それをお前は忘れちゃいけないんだよ」
 息子に語る上記の言葉は、カラーラインをめぐる根深い関係が奴隷制に由来することを示している。この関係は、南北戦争における南部連合の敗北とそれに伴う奴隷制廃止で終止符が打たれることはなかった。それどころか、一時期の平等化への反動として「ジム・クロウ法」が制定され、数々の私刑がおこなわれ、黒人指導者が何度も暗殺され、21世紀になってもBLM運動が必要なほど「黒人の肉体」を警察暴力が破壊するのを可能としている。そして、著者の半生を回想する本書では、前途有望な学生だった旧友プリンス・ジョーンズが警察に殺され、その事件をジャーナリストとして辿ったことが記されている。
「アメリカでは、黒人の肉体の破壊は伝統だ。それは「世襲財産」なんだよ」
「奴隷制を維持するには、ちょっとしたことで奴隷に対して激怒したり、手当たり次第に奴隷の肉体を損うようにしなくちゃならない。奴隷が逃亡しようとしたら、その頭を銃で川の向こうまで吹っ飛ばさなくちゃならない。奴隷を再生産するのだから「産業」と呼べるレベルの定期的な陵辱じゃなきゃならない」
 アメリカに「黒人」として生まれるとは、極端に言えば、人間以下の扱いを受けるということであり、レイシズムの名のもとに人間の尊厳はおろか、生存権すらも奪われる危険を背負うということだ。そして問題の根幹が変わらない以上、「白人」が「白さ」の信仰を捨てない以上、17年のトランプ当選という「反動」をへて、フロイド氏の死を契機にBLM運動が全米に波及した事実が今年11月の大統領選の民主党の勝利にやがて繋がるとしても、「黒人」が置かれた状況が真に改善されることはないだろう。コーツによれば「ひとかけらの希望」が湧いてはそれが「泡となって消えてしまう」(『「他者」の起源』)のであり、「黒人」から見たアメリカの歴史とはその繰り返しなのだ。
 重要なのは、コーツやモリスンが提示するこの視点を共有することである。その重要さに比べればBLMの訳語をめぐる問いは言葉遣いをめぐる政治的妥当性の域を出ない。それよりもいっそう深刻なのは、現在の日本のメディアが「黒人」や「人種」を、あたかも実体として存在するかのように記述的に用いることのほうである。これは明らかな知的退行である。また、最近もNHKの番組で「黒人」のステレオタイプ的戯画化が公然と報道され批判を受けたが、こうしたステレオタイプこそ、モリスンのいうところの「他者化」の作用である。一過的批判で終えず、こうしたステレオタイプを心のなかで共有している日本社会の価値観を問い続けること――私たちの〈闇の奥〉を一人ひとりが検証する作業が求められる。
(フランス文学)







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