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評者◆凪一木
その52 サイコパスという生き物
No.3453 ・ 2020年06月27日
■大雑把な話から書くけれども、動物の世界や昆虫の世界において、身体的な有利さや戦闘能力だけで、優れた側は劣る側を、暴力でもって強奪なり、搾取なり、せん滅してきたのであろうか。それを知ったところで、人間の場合にどれほどに参考になるのかもわからないのだが、人間について、動物や昆虫と違うだろうと思われる点は、まずは思考能力が作用することであろう。個人でもって頭が良いとか、多人数で協力し合うなどといったことである。だが、そんなことよりも、私が思うのは、知力や賢さを超えて、秩序への配慮を無視して、むしろ、勇気や知恵とは違った、単に「気が強いかどうか」が鍵だったりする。気が弱くない。屈しない。つまり空気を読まず、ルールに縛られず、世間にとらわれず、大人しくなく、もっと言うとうるさい。バカであっても、間違った知識であれ、それを武器に変えて、結局は、その強い「気」でもって、相手を圧倒する。少しでも賢ければ、そういう行為(悪)に対してはむしろ躊躇してしまうし、馬鹿でもない限りは、他人を滅ぼす行為は「やらない」。それによって幸福な死と言えるのかどうかは分からないが、無念があったとしても、知を知って死ぬ。
サイコパスとは平気でその一線を越え、侵犯し、人間らしい人間ほど滅ぼしにかかる生き物である。しかも相手の人間らしさに向かって、より優しい人間、より考える人間、より配慮する人間、より筋を通そうとする人間ほど、その「人の良さ」の虚を突くように攻めていく。 松永弘という北九州監禁連続殺害事件の主犯がいる。初期の犯罪時において、違法商売をやりながら、こう言って社員たちを指揮していた。 「世間知らず、お人好し、そしてある程度言うことをきく人間を探し出せ」。 最古透もまたそうである。己の出鱈目さを棚に上げ、またはそのことで逆手にとり、相手が驚き怯む隙を、大喜びで突いてくる。多くの人は、相手にもまた人間らしさを多少でも信じているから、まさか仮面を被ったかのようなウソやでたらめを、よほどの恨みでも買わない限りは仕掛けられることはないと思っている。だが、サイコパスはそんなことはお構いなしだ。むしろそんな配慮や遠慮や考える人間をこそ、水を得た魚のごとくに生き生きとした相貌となって、挑発し、襲ってくる。 凶暴な動物と、煩わしく不愉快極まりない部類の害虫とが合わさった様子の生き物をまるで絵にかいたような存在である。ただし顔かたちは人間であり、生物学上の分類も今のところは「ヒト」である。 なぜ最古透を追い出すことができずに、我々ばかりが罠に嵌まり、嫌な思いをし、出ていかねばならず、また辞める羽目になるのであろうか。 サイコパスにとってビル管は、ちょうど良いヌルさの(厳しさのない)仕事であること。ウソをついてもバレない三日に一回の顔合わせ。老年ばかりで、揉めるのを憚られ、遠慮して以心伝心言わぬが花の世代の中に紛れ込める。そこを逆手に付け込むこともできる。 新人からすると、相手が皆、本当は自分「寄り」なのに、Sの味方に見える仕組み。 たとえば、こうだ。Sが、新人のミスを見つける。大げさに写真を撮り、報告書にまとめて、朝の申し送り会に、皆の前で発表する。言われた新人はびっくりするが、それ以上に、周りにいる者たちが黙っているので、発言する最古透の肯定に回っているように見える。後ろから支えて、後押ししているかのような効果さえ持ってしまう。実際のところは、「ああ、また最古が、いつものように、大げさに、新人いじめを始めたなあ」とうんざりし、新人の味方に近いのだが、黙っているがゆえに、敵にしか見えない。その効果をも、サイコパスは計算している。今の日本の社会構造と、会社や学校というスタイルが、特にビル管はサイコパスに合っており、住みよい環境となっている。 だが、「Sが身近にいる」とか「Sが増えている」という予測や推定もまた、意外に共有しづらいのは、もしS当人に知られてしまったときの恐怖を考えるからである。そのリスクを考えると、秘かに本や映画で接するか、身近な人ではないところで匿名として声を発し、打ち明け、相談し、また隠すといったことでしか、広まりようがなかったからであろう。中野信子の『サイコパス』(新潮新書)がベストセラーとなるほどブームなのに、それについて、実際に存在する場所ではタブー化する。 そうでないところでは「Sって怖いよネエ」などと大っぴらに語られるが、多くは実態とかなりかけ離れた話である。 人になど話せない。公になど出来ない。皆で集まって会議も開けない。サイコパスは、まるで、一人大本営本部のごとく、また一人公安組織のごとく、たった一人なのに、目を光らせ、その共同体を支配し、グループを操作し、互いに監視をさせ、自らは手を下すことなく君臨する。職場内に、学校内に、地域内に、ナチの親衛隊のような存在を作り、増殖させていく。周りのだれも信用できないし、S当人と会っても、本音を語る人間ではなく、「本音」という概念すら知らない。親が死に、家の庭の花を早く「枯らす」にはどうしたら良いか悩み、親の写真を全部捨て、自らの写真すら若い頃に捨てている最古透。 人を嫌~な気持ちにさせることに関しては天才的である。相当に注意深く、極力尻尾を捕まれぬように、決して警戒心を解くことなく、用心に用心を重ねて接せざるを得ず、たかだか一日接するだけで、一日が終わると、その疲れ具合は、漬物石を長い時間ずっと背負っていたことを今の今まで忘れていて、忘れていた事実を一気にさらに重量を増し、湿気まで含んだ感触ごと思い知らされるがごとくなのである。 相手に対する不快感を与えることに関しては、人によって印象が違うのではないかという人がいる。つまりそれは、ゴキブリを見て飛び上がる人もいれば、平気で掴んで捨てることもできる人がいる。蛇を見て逃げる人もいれば、首に巻きつけて笑顔の人もいる。という程度のことではないか、と。 だが、サイコパスとは、特に私の知る最古透は、蛇を嫌がる人には蛇となり、ゴキブリを嫌がる人にはゴキブリとなる。相手の弱点や忘れていたトラウマなどを巧みに見つけ出して、ピンポイントで攻撃してくる。それが今回は「ビル管」資格であった。 (建築物管理) |
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