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評者◆凪一木
その50 挫折
No.3451 ・ 2020年06月13日




■試験に落ちる。だが、これがまったくの無駄ではないということを示すのが作家というものではないか。負け惜しみではないが、落ちて良かった。そう思いたいのだ。
 「ふられて万歳」「よろしく哀愁」。『沈まぬ太陽』で、屈辱的な報復左遷を食らってアフリカに飛ばされ、逆に生き生きとする主人公のように、挫折してこそ始まりだ。プロ野球で盗塁王や最多安打に輝いた川﨑宗則は、入団時に色紙を掲げていた。「一流は挫折の上に成る」。だがメジャー入りして理想から程遠い現実を味わう。日本のプロ復帰も戦力外通告を受ける。台湾でプレーする現在は、こう語る。
 「挫折なんてものじゃないよ。挫折を上回る残酷だね。当時はまだ何も知らなかった」
 資格王の銭さんは、こう言う。「落ちたら、それだけ難しい試験であり、難攻不落の山なのだから、どう克服しようかとむしろ遣り甲斐を感じる。挑む価値があるではないか」。私の場合は、喜びとは逆に、原稿依頼を断り、友だちからの酒の誘いも断り、旅行やコンサートや映画も諦めるという、時間の損失にばかり目が行く。これでは、「勉強して落ちるのは無駄でしかない」というサイコパスの実利主義と変わらない。
 落ちようが受かろうが、自分のためにやる。自分がそのことで作られ形成される。勉強というものはそうやって「身に付く」ものであって、株やギャンブルのような外部の道具とは違う。元を取るとか、勉強時間をお金に換算するとか、そういったことではない。心身と一体化するものだ。
 試験後に分かったことは、グレーゾーンというものは、実はそれほどに存在しないことだ。「あいつは馬鹿そうだけど、実は賢い」とか、「あいつは賢そうだけど、実は馬鹿だ」とか、そんな「実は」はほとんど存在しない。持っている奴は持っている。モテない奴はモテない。分かっていないだけなのだ。試験に落ちるということは、要は私が馬鹿なのだ。たとえどうあれ。
 本気でやるなら苦しいことなどないはずだ。残り少ない貴重な人生と称して、それと比較することで、試験勉強を馬鹿にしている。ビルメンテナンスに誇りが持てない。この感情はいったい何なのだ。作家という職業は、果たして成立しているのであろうか。仕事として単に面白いからであって、生活の糧を生みだす仕組みはもともと保障されていない。
 人にダメな奴だと思われるのはまだ良い。既に作家ならば、まともな社会生活を望めない。本来ダメな人種なのはわかっている。その上に、作家としてさえ成立していないならば、つまり片手間に合格することも出来ないならば、自らが自らの実力を、「それほどでもなかった」と自覚してしまうではないか。そのことが限りなく嫌であり、痛烈なショックなのだ。
 たかが、この程度の試験には受かると思い込んでいた。試験といったものは、創造的な行為とは程遠い、サラリーマンが身の丈に合わせて、一生懸命にやるものであって、オリジナルな作家が、まじめに本気に取り組むべきものではないと、心のどこかでは馬鹿にしていた。与えられ課された問題をこなす行為をやってしまったなら、むしろ「そちら側の人間」になってしまう。人の作った鋳型に合わせて、いかに嵌まるかを競うだけのペットやカメレオンマンになってしまう。これはジレンマである。勉強したいけど、一方でしたくない。
 働きアリがいて、作家のような浮かれたキリギリスは、彼らに対して一服の清涼剤を提供する。清涼剤が逸脱して、アリの中に交じって働いても、足手まといになるだけだ。
 「なーんだ、オレって馬鹿だったのか」
 本当を探っていくと、見たくない自分が現れてくる。少々は賢いと思っていたのに、本も読まず、映画も観ないような馬鹿な連中と、自分とが、本当は何にも変わらない存在だったのかと思い知らされる。そのことが耐えがたい。曲がりなりにも一生懸命やって、チャチな基準点をも満たすことが出来ない。スポーツならば、どんなに強くとも、さらに強い相手がいたなら、負けてしまう。だが、或る基準点さえ取れるなら、どんな相手であろうと合格するという類の試験に落ちるのは、自分の非と不甲斐無さを認めるしかない。
 自分で自分を馬鹿だとは思いたくはないが、余りの点の取れ無さ加減に失望した。こんな年齢にもなって、こんなにも屈辱的な自信喪失を味わうとは思ってもみなかった。情けない。自ら生きてきた道がこれほど揺らいでしまうような感覚を味わうとは。本物と信じてきたものが抜け落ちてしまったかのような……。
 既にビル管をリタイヤしている「高年齢者校」の同窓生と、試験後に会った。
 「落ちて正解だよ。凪ちゃんは、もっと過酷な目に遭わないと、読者が喜ばないよ。人の不幸こそが蜜の味なんだから」
 「そんなもんかねえ」「そんなもんだよ」「その期待に応えたわけではないんだけど……」
 試験前のことだ。試写に行く。この期に及んで、まだ映画を観ているのかと聞かれると、往生際が悪いというか、とにかく「これだけは」とついつい観に行ってしまう。
 だが寝てしまう。隣の試写族のオヤジに怒られた。そりゃそうだろう。ただ(無料)だが、ただ映画を観るわけではない。曲がりなりにも評論家のはずである。仕事だ。真剣勝負だ。だがこれまでも寝ている。日によってだが、二~三時間の睡眠で仕事明けの試写室の椅子に吸い込まれたなら、『吐きだめの悪魔』の便座シート状況になってしまう。
 この話を、同僚のカメラマンにした。そうしたら、試写族のオヤジ以上に怒られた。
 「今、ここ(現場)で、仕事中に寝ていたら、怒られるでしょう。同じですよ」
 気の利いた台詞の一つも言いたかったが、返せなかった。
 「主戦場はどこなのか。副であるこの場所でさえ、寝ちゃダメなんですよ」
 そう言っていたカメラマンが、重要な湘南海岸での撮影で、やはり寝てしまった。
 「悲しい」。そう言っていた。
 今年から出題の傾向が変わったとか、組合活動やサイコパスとの闘いで疲弊したなどと恨みごとはある。傍から見ると、負け犬の遠吠えだ。お蔵入りした作品を傑作だと騒いでいるようなものだ。挫折気分でロックンロール。だが実は、結果はまだ、決まっていたわけではなかった。
 いよいよ発表だ。
(建築物管理)







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