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評者◆杉本真維子
声とボール
No.3451 ・ 2020年06月13日




■緊急事態宣言から今日で八日目。他者との接触を善いものと捉えて生きてきた私たちにとって、その善いはずのものが命をおびやかし、他者を避けることが命を守ることになる、という現在の状況は、個人の生において本来はたいへんな混乱であるはず。あらゆる価値観がひっくりかえって、どうしたらいいんだろう、と心の奥ではうろたえているはず。
 「私たち」と一応は言ってみたものの、そこに自分がどの程度収まるのか、わからない。「私たち」と言えるような社会との一体感が、以前にもまして薄れている気がする。とはいえ、「彼ら」という人称で割り切れるような他人事ではもちろんない。
 困ったな。理由はどうであれ、みんな、身の置き場に困っている。でも、困ってるなんていう本音も、あまり口に出さない。それは、国の措置がなだらかでないため、隣人の状況が見えず、言っていいことと悪いことの区別が難しいからでもある。たとえば、先日、家にばかりいて息が詰まりそう、と知人からのメールに返信しようとして、やめた。もしも相手が、家にいたくてもいられず、出勤しなくてはいけない状況だったらどうするのか。結局、当たり障りのない文に削って、季節の挨拶文みたいになってしまう。 
 でも、もっと恐れずに言っていい。接触しない、心も見せない、となったら、ひととひとは本格的に疎遠になってしまう。なんだか、私は「感染」の恐怖と、弱音を吐いている場合ではない、という社会の抑圧のようなものに呑み込まれ、主体的に考える力を手放しているような気がする。
 ソーシャルディスタンスという言葉から、思い浮かべる一枚の絵がある。スイスの画家フェリックス・ヴァロットンの「ボール」。湖岸に赤いボールに向かって疾駆する少女がいて、跳躍の姿勢のまま、時が止まっている。その背後には繁茂した新緑の巨大な影が迫っている。見方によっては、少女はボールを追いかけているのではなく、忍び寄る影から逃げているようにも見える(この影のなかに、ボールの影が映っている)。
 ボール、少女、影。この三つがほぼ等しい距離を保ったまま、静止している。それらは互いに接触しないので、何も起こらない。でも、再び時間が動き出したら、もちろんどうなるかわからない。少女はボールに追いつくか。勢いあまって湖に落ちるか。あるいは、忍び寄る影に追いつかれ、囚われて、全く別のことが起こる可能性もある。
 いま、人と人との関係は、このような構図のなかにあるのかもしれない。時が止まっている、というより、判断停止(エポケー)のように、いったん電流を切った状態にある、と考えてもいい。
 そのあいだに、言葉と向き合い、切れた電流の世界とは別の次元の「私」を立ち上げて、ゆっくりと考えたり、選んだり、いろいろなことができる。少女が勢いあまって湖に落ちないように、備えることだってできる。
 ちなみに、この絵は大胆に二分割されていて、遠くに立ち話をする二人の婦人が小さく描かれている。この婦人たちは、少女との潜在的な関わりを示唆する。立ち話の声が、もしも突然少女へと向けられたら、途端に関係ができ、絵がわっと動く。身体から放った声が、生き物のように湖を渡って、離れた場所へつく。そんなことができうる身体を私もまた持っている、と思うと、ちょっとわくわくする。







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