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評者◆睡蓮みどり
勝手に決めるな!――常井美幸監督『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき――空と木の実の9年間』
No.3448 ・ 2020年05月23日




■オンライン飲み会というのに誘われて何回かやってみた。一人で家で飲んでいても酔わないのに、誰かと喋りながら飲んでいると酔っ払う。喋りながらの方が、あからさまに量が増える。友人の映画監督Sと二人で飲んでいた時に、途中から彼の知り合いの映像作家のFさんが参加することになった。Fさんが参加する3分くらい前に、「最近女の子になったばかりなんだよねー」とSに言われた。初めての人と話すのはいつでも緊張するが、3人とも基本的なテンションが低い割に地味に盛り上がった。テッペンくらいになって、Sが先に離脱。残されたFさんと私でその後もダラダラと飲むことになり、自宅にいながら始発待ちみたいな感じになった。酔っていて断片的にしか覚えていないながら、楽しかったことは覚えている。後日、「この間、Fちゃんと話していても男の子と話してる感じが1ミリもないって言ってたでしょ?」と言われてドキッとした。私はてっきり、失礼なことを言ってしまったのかと勘違いして、とっさに謝ろうとした。ところがFさんはそのことがすごく嬉しかったのだと言ってくれたのだった。ホッとした気持ちと、自分がわざわざそのようなことを本人に言っていたという事実に、何となくざわざわした。
 『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき――空と木の実の9年間』というドキュメンタリー映画の主人公、小林さんは生物学上の女性として生まれた。制服のスカートを履くことに違和感を覚え、女の子として扱われることに嫌悪感を覚える。性同一性障害と診断され、男性ホルモンを注射し「空雅」と男性名に改名。スピーチ大会で男性として生きていくことと、声優になることを夢見ていると語る17歳の空雅さんは、自身に生じた違和感を自ら口にすることで、確実に本来の自分を取り戻そうとしているように見える。空雅さんは乳房だけでなく、子宮摘出の手術を受け、晴れて男性として生き始める。空雅さんにとっては、マイナスだった自分の性別をゼロに戻すことで初めて、将来プラスにしていく地点に立つことができるのだ。
 今でこそ、様々な性が存在すること自体は広く浸透しつつあり、映画表現に限ってみてもこの10年でLGBTQを題材にした作品は増えている。ただ、実際に生活レベルでとなると課題はまだまだたくさんあって、理解されているかといえば、すんなりそうだとは言えない面も多い。言葉の意味を正しく理解しようとしても、個々人によってその差異が大きいことや、社会的な仕組みに当てはめてみようとすると齟齬が生じてしまうことも原因にあげられる。実際に、空雅さんは手術のためにアルバイトをするも、性別が空欄の履歴書に返答はなく、返事があったのはたった1件だけだった。性別に限らず、扱いにくいというレッテルを貼られた人間は、簡単に社会からあぶり出され弱者に仕立て上げられてしまう。
 やがて時を経て、空雅さんは「このみ」として生き始める。男性になることでスタートできると思っていたはずが、いざ男性になってみるとそれにも違和感を覚える。それまでにXジェンダー(男性でも女性でもない性)として生きる中島潤さんと出会っていたことも大きかっただろう。画面の中の男性でもなく女性でもないこのみさんは、それまでに比べて落ち着いて見える。
 ところで、私は未だに生理三日前になると人と話せば喧嘩になる。何を言われても悲しいしイラつく。わかっているけどどうにもならない。ホルモンとやらに支配されているとひしひしと感じる。憶測でしかないが、20年近く付き合ってきた身体の機能を一部なくし、ホルモン注射を打ち続けることはかなり大変なことに違いない。所詮はホルモン。されどホルモン。人間の思考はホルモンバランスに左右される。そう思うと、性別が移りゆくというのは、実はごく自然のことのような気がするのだ。Fちゃんも「今は女性の率が高いんだよね~。結構日によるよ」と言っていた。社会はその人が男であるか女であるかを決めたがる。その方が管理するのに楽だからだ。このみさんは自分が何かと決めつけられてしまうことにこそ違和感を持っているように見える。他人が勝手にあなたはこういう人間だと決めつけてくることへの不信。むしろ大半の人は「当たり前」になってしまった価値観をすんなり受け入れすぎなのではないか、とさえ思えてくる。
 このみさんが出会った一人に八代みゆきさんという方がいる。彼女は78歳で性別適合手術を受けた。長年連れ添った妻とは一度離婚し、養子縁組というかたちをとり、変わらずに家族として暮らしている。彼女が同窓会に出席した時の同級生の一人が、「男から女になったことが世間にわかったら大変なことだ」という内容のことを言う。おそらくは悪意があるわけではなく、彼にとっては自然とそのように感じてしまい、自分の発想に疑念を持つことさえないのだろう。私たちは時として悪意なく人を傷つけることがある。ただ自分として生きる。ちなみに戸籍上の性別を変更するには、生殖腺を切除しなければならない。これは恐ろしい制度だと思う。一度取ってしまったら機能的には元には戻せない。性別が移ろうはずがないという発想でしかできていない。たとえ「男性」でも子どもを産む日が来たら、未来はそっちの方が楽しくなる気がするんだけど。
(女優・文筆家)







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