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評者◆中村隆之
あなたのうえにも安らぎがありますように――東京・荻窪の古書店の名店「ささま書店」閉店の報に触れて
『サラーム・アレイコム』1968年刊、写研
東松照明写真集
写研
No.3447 ・ 2020年05月09日




■「あなたのうえに安らぎがありますように」――アフガニスタンで交わされる挨拶の言葉からその題名をとった東松照明(1930‐2012)の写真集『サラーム・アレイコム』を本連載で取り上げるのは筆者の個人的感傷に由来する。周囲の世界の喪失を経験することが近頃多いなか、今年4月5日に閉店した荻窪のささま書店は筆者の人生のうちのいくばくかを占めていたのは疑いない。東京で人文系院生時代を過ごした人なら知らない者はいないと思うこの名店閉店の報に触れたとき、ささま書店からわが書棚に仕入れた数々の本のなかで咄嗟に思い出したのが本書のことだった。
 1963年8月、創刊されたばかりの雑誌『太陽』(平凡社)の特派員として、写真家の東松照明はアフガニスタンに滞在した。そのときに撮りためた写真を68年、東松の出版社「写研」から自費出版のかたちで出したのが本書だった。『〈11時02分〉NAGASAKI』(66年)、『日本』(67年)という、彼の代表作にして日本写真史の重要作と目される、戦後日本社会を批判的にまなざしてきたその一連の仕事のうち、アフガニスタンの写真集が突如挟まれたことの意味を考えるには、東松照明のうちに文明批判的視点があったことを思い起こす必要がある。
 「たしかに、都市生活者はいま、息づまるような物質文明のパラドックスに悩まされている。自然を改変して村や町をつくり、物質文明の結晶として都市を築いてきたのは人間だ。その人間が自ら生みだした物質文明のメカニズムに、逆に飼いならされるようになったのだから皮肉というほかはない。家畜を飼いならしている遊牧民と、家畜のように飼いならされている現代人と、どちらが人間としてしあわせだろうか。自然の民の存在は、文明の混沌に鋭い反省の矢を射る」
 物質文明に対する東松のこうした同時代的省察は、本年3月末に他界した松田政男の『風景の死滅』(71年)や、『プロヴォーク』(68年)に集う中平卓馬、森山大道といった後続世代の写真家の時代認識に通底するものだった。もっとも、若き中平や森山は、物質文明の時代における写真の思想的深化を重視し、理論(執筆)と実践(撮影)の往還のなかで、写真の固有性を破滅的に探求する。これに対し東松は、物質文明の境域に定位した〈外〉からのまなざしで戦後日本社会を批判するという方法論をとった。
 当時のアフガニスタンは、立憲君主国として再出発を果たした政治的安定期だった。『アフガニスタンの農村から』(71年)の著者、大野盛雄が現地調査をおこなうのは70年であることを考えれば、63年に東松によって撮影された写真群は、他所者がアフガニスタンの住民と風土を撮影するという文化人類学的な仕事としても重要だと言える。時代とともにその土地の景観や住民の生活形態も変容していく。時が経てば経つほど、写真は、そこに映し出された断片の視覚的記録という、その特性を発揮する。
 それゆえ、喪失と切り離せないメディアが写真だ。撮影者は他界した(2012年没)。そこに映された世界はそれ自体としてはもはや存在しない。しかし、そこには、それぞれの写真には切り取られた瞬間、かつて存在した現在が映し出されている。
 『サラーム・アレイコム』を構成する写真は、不思議なことに被写体との距離が近い。他所者である写真家が被写体に撮影されることを受け入れてもらっているかのような、そこはかとない親密さの記録。ファインダーに映る人々のまっすぐ見つめる目、その輝き、打ち解けた表情、笑顔といったものが、アフガニスタンという国はこの人々のことなのだ、と思わせる。
 しかしその後のアフガニスタンは米ソ冷戦下の構図のなかで政治的な不安定化を余儀なくされ、92年以降、内戦に突入して無政府状態に陥るなか、タリバンが台頭する。その後は周知のように、2001年9月11日の「同時多発テロ」、合衆国による報復の空爆がおこなわれた。
 02年、東松はアフガニスタン支援を目的とした写真展「アッサラーム・アレイクン」を開催した。その開催の辞で東松はこう述べている。
 「現在、戦火から逃れて四散した難民は約500万人といわれている。それらの人々が廃墟と化したカブールに戻りつつある。しかし、厳寒の冬を越せない人々が実に多いと聞いている。必死で生き延びようとしている誇り高き自然の民を支えるため、私にできることはないか。絶望的な無力感に打ちのめされながらも、39年前のカブールとバーミアンの風物とそこで暮らす人々の写真をここに差し出し、アフガニスタンの人々が、一日でも早く、これらの写真にみられる平穏な日々を取り戻すことを願うものである」
 このときの入場料と寄付金は、アフガニスタンでの中村哲医師の活動を支援する「ペシャワール会」のルートで現地に届けられたという。その中村哲も何者かの襲撃を受けて亡くなるという悲劇的な訃報が届いたのは、19年12月4日のことだった。東松も共感しただろう、中村医師の『アフガニスタンの診療所から』(93年)の次の言葉を最後に引いておく。
 「ここ[=アフガニスタン]には、私たちが〓進歩〓の名の下に、無用な知識で自分を退化させてきた生を根底から問う何ものかがあり、むきだしの人間の生き死にがあります。こうした現地から見える日本はあまりに仮構にみちています。人の生死の意味をおきざりに、その定義の議論に熱中する社会は奇怪だとすらうつります」
 ポストヒューマニズムの今日的な時代認識のうちで立ち返るべきは、この言葉の揺るがぬ芯にあるのではないだろうか。
 サラーム・アレイコム、あなたのうえにも安らぎがありますように。

付記‥『サラーム・アレイコム』の続編ないし再編集版に朝日ソノラマ写真叢書の一冊『泥の王国』(78年)がある。収録されている写真のうち『サラーム・アレイコム』と重複するものもあるものの、その半数以上が未発表の作品からなっている。
(フランス文学)







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