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評者◆編集部
こどもの本棚
No.3446 ・ 2020年05月02日




風下の村、ふるさとの記録集
▼百年後を生きる子どもたちへ――「帰れないふるさと」の記憶 ▼豊田直巳 写真・文
 福島原発震災から九年がたちました。メルトダウンを起こした福島第一原発の「アンダーコントロール」を呼号して、東京オリンピックを招致した首相をはじめ、政財界の歴々の空言の裏で、事故の収束作業はいまも日夜続けられています。汚染水の貯蔵タンクはもう限界に近づきつつあり、飛散した放射性物質に汚染され、帰宅困難地域に指定されたままの村落が、いまも存在し続けているのです。
 この本はそんな村の一つ、福島県浜通り、太平洋に注ぐ請戸川の上流にある浪江町津島の人びとの暮らしを記録したものです。
 東日本大震災による福島第一原発事故で、原発から二五キロ離れたこの約四七〇戸の山里に、大量の放射性物質が降下しました。ここはチェルノブイリ原発事故による「風下の村」と同じ、高濃度汚染区域になったのです。住民は避難を強いられ、ここに住むことができなくなり、家や田畑は荒れ放題となりました。津島はいまも帰宅困難区域に指定されています。
 田んぼにはセイタカアワダチソウが生い茂り、ススキやヤナギが生えて、しだいに森に還っていく様子が写真に収められています。小学校も子どもたちの声が消えて久しく、校舎の前に乗り捨てられた車と、二宮金次郎の石像がぽつんと立っているさまが寂寞感をつのらせます。それでも、先祖の墓参りに戻る村人の姿があり、一〇〇年後、一五〇年後に戻ってくるかもしれない子孫のことを思う村人の思いがあります。
 この本は、避難して散り散りになってしまった津島の人びとのつながりを記録した、「ふるさとの記録集」(著者)として刊行されました。(1・10刊、21cm×25・7cm三二頁・本体二〇〇〇円・農山漁村文化協会)
 
 
文学的想像力で迫る朝鮮戦争と若者たち
▼あの夏のソウル ▼イ ヒョン 著/下橋美和 訳
 韓国の児童文学作家でYA小説の騎手であるイ ヒョンについては、先に邦訳された『1945、鉄原』(影書房)でご存知の読者も多いと思います。この作品は、一九四五年八月一五日、日本の植民地支配から解放された朝鮮半島の三八度線近くの町・鉄原を舞台に、解放から南北分断へとすすむ激動の時代を生きる若者たちの、夢と青春をえがいた作品です。そして本書『あの夏のソウル』は、その続編にあたります。舞台は鉄原からソウルへと移ります。朝鮮戦争が迫るなか、イデオロギー対立と抗争のなかで若者たちは引き裂かれていきます。戦争が一人ひとりの人生を踏み潰していくのです。祖国かイデオロギーか、共産主義か反共主義か、敵か味方かと、分断は同じはずの人間を幾重にも引き裂き、戦争へと追い込んでいきます。そんな奔流に立ち向かい、夢を追おうとする人間の姿が、ここには描かれています。
 日本の植民地支配の影が、人びとの人生に深く落ちています。たとえば、支配階級の両班で親日派だった鉄原の大地主、黄一族は、鉄原で「親日悪徳地主の一族」だと見なされ、ソウルに逃れます。一族の黄基澤は日本統治下の判事で、ソウルでも権勢を保ちますが、朝鮮戦争勃発後、北の朝鮮人民軍の侵攻と南下を逃れて行方不明になります。ソウルに残った息子の黄殷国は、共産主義と反共主義がせめぎ合う友人関係のなかで、友情は変わらないと信じて行動しますが、その亀裂に傷つきます。そして時代の変化に、ますます翻弄されていきます。
 一九七〇年生まれの著者が、文学的想像力で歴史と人間の真実に迫る作品世界を、ぜひ味わっていただきたいです。(19・3・15刊、四六判三一二頁・本体二二〇〇円・影書房)


いろいろな角度から絵本について考える
▼シリーズ〈絵本をめぐる活動〉1 絵本ビブリオLOVE――魅力を語る・表現する ▼中川素子編
 「絵本をめぐる活動」シリーズの第一巻として刊行された本書では、作家や画家やデザイナー、保育・教育関係者、書店員など、絵本に関わる様々な立場、そして様々な年齢のひとたち、総勢二七名が各々の考えや日々の実践を語っています。いろいろな角度から絵本について考えることで、新たな絵本の可能性が示されていくといっていいでしょう。「成長の各年代で絵本の楽しみにふれる」「家族の愛を育む絵本」「人生や心をはげます絵本」「仕事のきっかけとなった好きな絵本、注目すべき絵本」「自然や文化観がみえる好きな絵本」「絵本を愛する視点と私の仕事」の六章で構成されています。この本を、絵本を愛する読者や、また別の立場から絵本に関わっているひとが読むことで、それぞれが絵本への新たなアプローチを発見していくことができるかもしれません。さらにここに紹介された絵本を読めば、未知の絵本の魅力も知ることができます。一口に絵本といってもこれだけのひとが様々に関わって、読者の手元に渡り、そして後世へと読みつがれていくのです。一冊の本につまった「愛」を具体的に感じることで、大切な絵本がさらに輝きを放ちはじめることでしょう。これはすべてのひとに開かれた多角的な絵本論です。(15・11・20刊、A5判二〇〇頁・本体二五〇〇円・朝倉書店)


クマにあらわされた神さまのメッセージ
▼いつも ぎゅっと そばに ▼マックス・ルケード 文/イブ・タルレ 画/女子パウロ会 訳
 動物のクマといえば、大きくて人間には恐ろしい動物と見られがちです。でも神さまは、とってもたいせつな、ほかのだれとも似ていない、たったひとりのきみがいたらいいなと、この絵本の主人公であるクマをおつくりになったのです。本の題名がすべてを物語っています。「なにかしんぱいだな、こまったな、とおもうとき、おもいだしてね、わたしがそばにいるってことを」。絵本のはじめにかかげられたこの言葉は、自分が一人だと孤独に思う人、さびしい人をつつむ、神さまからのメッセージなのです。(5・5刊、28・5cm×22・5cm三二頁・本体一三〇〇円・女子パウロ会)


小学校からの帰りに知らない道を見つけた
▼帰り道 ▼有田奈央 文/羽尻利門 絵
 とても、とっても、とーっても怖い、「ゾッとする怪談えほん」の最新作が登場しました。
 誰にも心当たりや経験があるでしょう。小学校からの帰り道のこと、いつもの通いなれた道をとおっていると、ふと、知らない道を見つけました。
 「あれ? こんな道あったっけ?」
 思わずとおってみます。すると、まるでワープしたみたいに、なじみの道だったり、思わぬところへ出てきました。
 「なんだ、ここへでるのか」
 なんだか大発見の気分です。ちょっと道にもくわしくなった気がして、冒険心もわいてきますね。近道や、自分だけしか知らない道を見つけたときの、わくわく、しめしめ、ちょっとうれしくて誰かに自慢したい、でも知られたくない気分って、誰しも思い当たるふしがあるでしょう。
 ところが、そんな知らない道が、怖い道だったとしたらどうします? 誰かに追いかけられたら……。そんな経験も、私にはあります。いちどや二度ではありません。とくに、山のなかに入って日が暮れたときなんて、もういろんなものに追いかけられる恐怖で、生きた心地がしませんでした。いや、いま思うと気のせいかもしれません。でも、誰かに追いかけられる気がしたり、木々の影や草むら、廃屋のなかから、誰かにじっと見られている気がするなんていうことが、小学生のときにありませんでしたか?
 同じ道をとおることがきらいで、ちがう道ばかりとおろうとした子ども時代を思いだすと、そんな怖かった経験がたくさんよみがえってきます。すっかり大人になったいまでも、仕事帰りの夜道は、いくら都会でもやっぱり怖いです。外出自粛要請の折柄、よけいに人気もないので、ますます怖いですね。
 この絵本は、そんな思いにかられた小学生の帰り道を描いた、じつに「ゾッとする」絵本なのです。さあ、おそるおそる頁を開いてみてください。今宵、あなたの帰り道もきっと怖い?(2・20刊、26cm×22cm二四頁・本体一五〇〇円・新日本出版社)
 
 
奮闘するママたちへ子どもが春を届けます
▼3人のママと3つのおべんとう ▼クク・チスン 作/斎藤真理子 訳
 子育てに、家事に、仕事にと大忙しの、同じマンションに住むスーパーウーマン三人のお話です。子どもが幼稚園の遠足で、お母さんたちは朝から弁当づくりにおお忙し。急いで仕事へ、奮闘の一日。そんなお母さんに、子どもたちが春を届けてくれました。
(1・25刊、22・8cm×22・8cm三六頁・本体一四〇〇円・ブロンズ新社)







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