書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆稲賀繁美
スポーツとはなにか――「呪われたオリンピック」延期を前に立ち止まって考える
No.3446 ・ 2020年05月02日




■「体育」を「スポーツ」に読み替えようとする動きがある。それを道徳的な退廃、安易な外国語使用による日本文化の侵害と捉える国粋志向もあるようだ。だがそもそもsportとは何なのか。
 英語のsportは中世英語のdisportからの派生とされ、古仏語の語源に遡れば、「拘束から解き放つ」「趣向を変える」、我が身に関しては(日本語なら)「気分転換」「気晴らし」といった意味から転じて、身体を用いた遊戯から競技へと展開した。欧州では貴族社会の「狩猟」huntingと密接に繋がっており、「ゲーム」gameといえば狩の獲物。射撃競技などは、そこに淵源をもつ。これが近代国民国家体制での国民皆兵・義務教育制度の確立とともに「全国民」へと適用範囲を拡大し、「大衆化」を招く。
 一方の「体育」は泰西舶来思想として日本語の翻訳語彙に組み込まれ、「知育」「徳育」と三幅対をなす。近代以降の中国語文化圏でも事情は同様であり、日本語経由の重訳の可能性を排除しない。中国からの留学生を多く育成した嘉納治五郎の宏文学院などが、思わぬ貢献を為した可能性も無碍に否定できない。伝統的な儒教社会では、「養生」を別とすれば、身体訓練は肉体の使役であり、士大夫階級にとっては邪道だったのだから。
 嘉納治五郎は、古来の「武術」一般が体育教育には不適切として排斥されかねぬ風潮に危機感を抱き、「柔術」に「改良」を加えて近代「柔道」へと再編成した。「知育・徳育」とも並ぶ「体育」には、徳目との整合性も不可欠であり、身体のみならず精神の涵養に役立つとする正当化が必須だった。とともに西欧社会に範を仰ぐ「近代化」のためには「オリンピック」に代表される「スポーツ」への仲間入り(1964年東京大会)も除外できず、「段位表彰」や「競技」と表裏一体に「技」の体系化や「試合規則」の制度化もなされていった。
 近代日本で「体育」は陸軍省(軍事教練)、内務省(臣民統制)、文部省(教育事業)とその外郭団体に跨り、主導権争いから行政当局には確執が出来し、1940年の「幻の東京オリンピック」も、会場選びで紛糾した。
 ここで「競技者」athleteの語源に戻るなら、古代ギリシアであれば走行や跳躍などの運動能力に加えて馬車統馭、格闘技能などの優劣が競われ、優秀者には栄誉が授けられた。そこに金銭の授受や賭けの要素が加われば、現在のプロ競技の原型が現れる。競馬の懸賞などは欧州の王侯貴族にとっては社交儀礼の一環である。ために「スポーツ」一般には「競技」が分かち難く結びつく。今日「陸上競技」と看做されるathletic sportsでは、競走にせよ砲丸投げにせよ、記録の計測が絶対視され、もっぱら「世界記録」更新が目指される。Gameは規則にそって得点を競い、勝敗を決する知的遊戯をも含む。これに対し、ダンスやフィギュア・スケートのように演技の技能を比較する類のcompetitive sportsでも、対抗者との点数の競い合いと優劣判定が前提とされ、審判者や評点者が関与する。たしかにこうした競争原理には、勇猛心や向上心を掻き立てる利点はある。
 だが、数値記録や優劣による序列ばかりに拘泥する「スポーツ」理念には、負の側面や副作用も少なくない。蹴鞠と球技一般を比べてもよい。蹴鞠は毬を地面に落とさぬようにと参加者が互いに助け合う。これに対してスポーツ球技は敵対者を作り、相手方の失策を誘い、自らの優位を誇示し、支持者も含めて勝利に酔う。「スポーツ」は根源的に破壊本能を先鋭化する傾きから自由ではない。そこで最強者選びが始まる。相撲にも神前奉納の神事の側面は残るが、今や全盛期の雷電に双葉山、大鵬と白鳳との優劣を、残るデータから推定復元し、仮想現実の「番付」までが発案される。
 だがこれは、邪道極まりない。生身の技は相手次第で変幻万化する。そしてもとより時代を超えた取り組みなど成立しえない――この厳然たる事実にこそ、歴史の真実があるはずだ。比較不能なものを無理やり同じ土俵に乗せようとする数値主義や序列信仰には、現代社会の病弊が露呈する。
 競走原理が相互の破滅に至ることは、すでに明白な時代を迎えている。特定のルール貫徹は生物多様性の原理にも反する。地元や自国の勝利ばかりを煽るマスコミ報道は、時代錯誤である。私事に渉るが、筆者はある種の武藝を嗜んできた。そこでは初心者から高段者まで、お手合わせする老若男女の数だけ異なった発見があり、一期一会の経験を相手と分かち合い、共有された時空が各自の人生経験の裡に身心の練磨として蓄積されてゆく。加齢とともに関係はより豊饒さを深め、異国・異文化の背景を持つ同好者との稽古は、想定を超えた豊かな友誼を培う。そこには抽象的な数値記録や優劣勝敗の序列への執着を超えた、感官の相互創発と身心の陶冶がある。記録や点数には還元できない生命の姿が濃縮される。そこにも「スポーツ」の原点を見直したい。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約