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評者◆睡蓮みどり
また映画館で会いましょう――大林宣彦監督『海辺の映画館――キネマの玉手箱』
No.3446 ・ 2020年05月02日




■少し前までは、まさかこんな日が来るなんて思ってもみなかった。今は日本中のほとんどの映画館に立ち入ることができない。営業はいつ再開されるのか、まだ誰にも決断することはできないだろう。何しろ、外出することさえままならない。映画館に行けなくなってより一層強く思うのだが、劇場で映画を観るという体験、その時間や空間のなかにいること、それを見知らぬ人たちと共有することが私にとっていかに大切なものだったのかということだ。配信やレンタルが盛んになったおかげで、家で観ることも多い。家のパソコンを膝に置いてベッドで観るのも、ソファに座って誰にも邪魔されずに映画を観ているのも好きだ。それでも、劇場が恋しい。興行が停止し客足が遠のけば、もちろん劇場自体の存続が脅かされる。もちろんこれは映画業界に限った話ではない。音楽業界も飲食業界もみんなそうだ。
 SAVE the CINEMAというプロジェクトが立ち上がった。そのなかで深田晃司監督や濱口竜介監督を発起人とする「Mini theater AIDミニシアターを救え!」というクラウドファンディング(CF)が始まり、なんと3日で1億円を上回る資金を集めた。私も映画を愛する人間の端くれとして、署名や賛同、CFなどできることには参加するようにしている。それにしても億を超える金額をたった数日で集めるというのは本当にすごいことだ。どこかに映画好きの仲間がいるのだと思うとなんだか嬉しい。
 映画館に足を踏み入れることができないのだから、多くの作品の上映自体が延期になっている。大林宣彦監督の『海辺の映画館―キネマの玉手箱』もすでに公開されているはずだった。最初にこの映画を観たのは昨年の東京国際映画祭。監督の故郷である尾道で20年ぶりに撮影された作品だ。ここ最近の大林監督の作品はいつもそうだが、とにかくスピード感があり情報量が凄まじい。とても一回観て終わりなんてことにできない。観ていると脳が覚醒状態になってきて、しかもそれがしばらく続く。すぐにもう一度観たいと思う。特に2012年の『この空の花―長岡花火物語』以降、作品の質感が変
わった。変わったというよりは、バージョンアップしたとでも言うべきか。11年の震災以降、監督が作り出す映画は、もはやこの世界の領域のものではなかった。最初に観たときは恐れおののき、深く動揺したのを覚えている。すぐに咀嚼できなくて、一緒に観に行った友達と長い間話をした。とにかく何か言葉にしないと気が済まなかった。その感覚は『野のなななのか』『花筐/HANAGATAMI』でも続き、今回もそうだった。
 だから再び劇場で『海辺の映画館』を体感したかった。その公開予定日であった4月10日に、大林監督が亡くなられたとニュースが飛び込んできた。なにかがぽっかり失われてしまったような気がした。大林監督は、自らを映画監督ではなく映画作家として活動し続けた。だから監督、監督とこうして書いてしまうのはご本人の本意ではないかもしれない。以前、監督の自主映画時代の上映会が開催され、私もMCとしてイベントに関わらせてもらった。『EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(1
967)をはじめとした実験映画の上映だ。すごくニコニコしていて、その笑顔には本物の包容力があって、私は舞台の上だったが泣きそうになった。悲しいからじゃない。存在していることを許されたような気がして、泣きたくなったのだ。



 アイドルや若手女優を主演にした映画が多く、そのイメージは切っても切れないだろう。『ふりむけば愛』の山口百恵、『ねらわれた学園』の薬師丸ひろ子、『時をかける少女』『天国にいちばん近い島』の原田知世、『転校生』『廃市』の小林聡美、『さびしんぼう』の富田靖子、『はるか、ノスタルジィ』の石田ひかり……and more。今でも活躍する女優ばかりだ。実験映画、CM、アイドル映画、そして最近の反戦・厭戦と多彩だが、その本質は少しもぶれていない。少女を題材にした映画自体は日本に数多くあって、願望を押し付けたような痛々しいものも少なくない。だが、そのような嫌気を大林作品の少女たちに一度たりとも抱いたことがないのはなぜか、と考えてみたところ、彼女たちのなかにある少女性を一番良いかたちで引き出すことができるからだと思いいたった。それは願望ではない。そしてそれを引き出すことができるのは、大林さん自身が誰よりも少女の心を持っているからではないかというのが、自分のなかでしっくりきている。あの笑顔の包容力、父性ではなく母性。ご自身の著作にこう書いておられる。「二〇一六年の八月二十四日以来、ぼくは蚊1匹殺してません。腕に蚊が止まっても、この広い地球で縁があったんだから、俺の血でよければ、精いっぱい飲んでくれという気持ちに変わりました。道を歩いていても、草一つ踏まなくなりました」(「戦争などいらない―未来を紡ぐ映画を」より)。



 商業デビュー作となった『ハウス』(1977)は監督の作品のなかでも、とりわけ印象深い作品だ。好きな日本映画をあげろと言われたら必ず入れている。夏休みに別荘に行くことになった少女たちを、家が食べていくというファンタジックホラー。かなり前衛的でどアングラ。生首や血や裸が出てきてもエログロにはならない。明らかに本物ではないとわかる血やリアルじゃない死体。『ハウス』は何度も観ていたが、今はなきバウスシアターで上映があり、監督も登壇されるというので、大学生だった私は嬉々としてそのイベントに行った。本物の大林監督をお見かけしたのはそのときが初めてだった。のちにイベントのMCを務めることになったときには、緊張というよりもやはり始終感動していた。会場は満席だった。そこにいる全員に向かって話しているのだけれど、確実に、私に語りかけてくれている。それは錯覚ではなかったと思う。そして私に限らず、その会場にいた全ての人がそう感じたのではないだろうか。まるで神様みたい。そう、本当に神様と会ってしまったような怖さと恍惚があった。
 監督はずっと戦争などこの世界にいらないのだと言い続けている。「戦争にはまだ間に合いますか?」。『この空の花』で何度も繰り返される台詞だ。一度でも聞いたら、その言葉は耳から離れないだろう。『海辺の映画館』では私たちがすでに歴史として知っている戦争の記憶を、映画のなかにタイムスリップした現代の3人の若者たちが体験する。彼らはそれぞれの運命のヒロインたちと出会う。彼女たちにとって戦争は現実のことであり、彼らはもう映画を観ているだけの観客として俯瞰することを許されない。突然当事者になってしまうのだ。大林監督の映画では、少女たちがたくさん血を流した。あの、リアルじゃない赤色の血。私たちはもっとリアルじゃなければ本物の血だと認めないのだろうか? でもそんなの、本当に流れてしまったら死んでしまうのに。今は、生々しくないことがより一層生々しい。私は、監督は私よりもずっとずっと長生きする人なのではないかとどこかで思っていた。まだ信じられない。とてもさみしい。さみしいけれど、そんなこと言っていられないくらいすごいスピードでこの国や世界がおかしな方向に向かっている。監督の作品の登場人物たちが、なんであんなに早口で喋っていたのかやっとわかったような気がする。大林さん、これから世界はどうなっていくのでしょうか。また映画館でお目にかかれる日を楽しみにしています。
(女優・文筆家)







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