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評者◆凪一木
その45 試験結果
No.3446 ・ 2020年05月02日
■試験おわりました。昨日、採点し、落ちました。
一番得意としていた最初の「行政概論」で、二〇問中七問正解で、これで足切りラインの四〇%を切り、アウトです。 文章だけが進みました。来年受けるかを考えています。これから仕事を続けていくかも。 やっと時間が空きました。会う時間がたくさんあります。参考書を書く準備もして、かなり原稿を書いたのですが、肝心の試験に落ちてしまいました。今年から、試験傾向が変わりました。いろいろ言っても仕方ないのですが、これまで通りの傾向なら合格するだろうという、虫の良い勉強方法ではありました。他のことを我慢して三〇〇時間ぐらいは勉強に費やしたので、悔しがる資格ぐらいはあると思っています。ただただ残念です。 以上は、試験翌日に、友人に書いたメールだ。その週に会い、涙の酒を呑む。別の友人とも呑んだ。 来年受けるかどうかを必死に考える。また勉強するのは、時間がもったいない気持ちがする。今年から、「行政概論」は特に、傾向が変わっていた。試験中も、この問題では、参考書の書きようもないなあ、と痛感しながら問題を解いていた。多くの人が、皆二回目で合格、つまりは合格率の凸凹によって、起こる現象で、しかし、もう一年は私にとって、手を染めると、自分の人生を棒に降るような感覚がある。 正直言って、これ以上、今の会社にいると思うと、ため息がでる。特に最古透と共に過ごす時間の強烈なる地獄絵図。だが、この資格(ビル管)を持ってないと、それなりの現場、それなりの会社にしか移ることができない。 二〇二〇年四月から施行される受動喫煙の法律改正も、私は出ると踏んで、待ち構えていた。そして出題された。しかし解けなかった。長い法律条文の、しかも解釈において、どこから出題されるのかが、全く分からなかった。過去にもいくつか、実情からかけ離れていたり、設問の文章として成り立たないものを見つけている。銭さんの話では、九〇年代までの特級ボイラー試験が、とんでもない悪問の巣窟だったそうで、改定された。それでも二〇一八年の合格者数は一二二人である。 私の見たところ、ビル管も去年、黎明期が終わった段階に来ていると感じていた。だが、ここにきて、悪問を仕掛けてきた。また、替え玉受験できるレベルの無防備試験でもあり、そこは情けない。なにしろ解答用紙に写真が貼られていない。どうやって当人だと確かめるのか、ただ、名前を漢字で書くだけなのだ。厚労省の下請け企業で、天下り職員が、安く安く経費を抑えて、ボロ儲けなのではなかろうか。 受験者の顔との照合もされない。入り口も、受験票に書いてある場所が閉鎖されていた。遠回りして、遅刻しそうになった。ボイラーのように、古い連中が、旧態依然の試験問題垂れ流しで、資格不要と変化してきた消滅分野とは違って、高額の受験料にもかかわらず受験者数が増えているのだから、雑な経営(試験運営)は止めてほしい。受験番号を塗りつぶす作業さえない。 人生は、いろいろなことで、得なのか損なのか、よくわからないところがある。だが深く考えるということ自体は得なのではないか。落ちたことに対して、そう解釈することにした。試験の呪縛から解かれたら、何でもできる感覚はある。この試験は、「物書きに、この世界(ビル管)が、そう簡単に乗っ取られてたまるか」という、静かな意思表示でもあったのだ。そう感じた。 なぜ、でかいことをやる奴がいるのか。初めからでかいことを考えている奴はまずいない。ギャンブルと同じで、負け続けて、より大きな賭けに出る。より大きな逆転を狙う。負けた損失を取り返そうとする。だからこそ、より大きなでかいことをやることに追い込まれ、追い詰められ、要請され、要求されてもいるからである。 うまく行く恋なんて恋じゃない、という歌があるけど、うまく行く人生なんて、物語にはならない。過去八年分の問題ではいずれも九割以上解けるようになっていた。なので、例年通りの問題であれば、どうってことはなかった。はずだ。そういう話は、「不合格の連中」からよく聞いた。私の耳に入らなかった。所詮「落ちた奴のタラレバ話」など他人事であり、真剣には話を聞いていなかったことを今更ながら思い出す。 落ちたことで人生の計画が一気に狂ってしまった。オリンピックで勝ったり負けたりした選手にしてもそうだとは思うが、こればかりは、他の人に慰められても、励まされても、貶されても、あまり関係がないというか、自分の問題でしかない。 もし去年受けて受かっていたなら、「こんな試験はどうにでもなる」などと、心ない言葉を平気で発していたかもしれない。これは、前に消防を落ちたときにも似たような感慨を書いていたとは思うが、人間は結局、負けることでしか、人生を味わえない。 「試験に合格して、ビル管の世界で免罪符を得る」 そんな、保険を掛ける生き方をしていては、本物の物書きにはなれないだろう、という朧気ながらの、厳しい読みも一方ではあったのだけれど、それは合格したときに思うべきもので、落ちてから思っても言い訳めいている。 一日の大半をこれだけ勉強時間に充てたのだから、今度は、執筆に関してもいかに無駄に浪費しないかが試されている。それを来年もやってしまうと、人生を棒に振りかねない。私の人生の残り時間のうち、ギリギリ提供できる僅かの余力であった、回り道の回り道。 コツコツやる奴はごくろうさん。そう見下しながら、自らをコツコツに閉じ込めた。時間の限界だった。再びもう一年を無駄にするだけの余裕がない。 映画『竜二』で、「殺してでも金を取ってこいよ」というシーンがある。作家とは、狂犬に噛まれて狂犬病に罹ったような存在であり、サラリーマン社会の中では危険極まりない人物だ。こんな仕事をやってる場合ではない。飢えても、かっぱらっても、この文章を完成させなければならないという、その一点だけしか、その男のその一瞬には存在しない。 試験を受けた結果、そのことだけがハッキリした。より鮮明になった。或いは忘れていた記憶が甦った。目を逸らしていた隣の真実に気が付いた。この資格を持っていないと今の会社にしがみつくしかなく、今しかチャンスはなかった。 後悔しても、し切れない。 (建築物管理) |
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