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評者◆杉本真維子
閉店のよせがき
No.3444 ・ 2020年04月18日




■転居先のマンションの真向かいに駄菓子屋があることは以前書いた。おばあさんがひとり店先に座って、冬はストーブにあたりながら、切手の販売や宅配便の受付などもしていた。それだけでも私は郵便局まで行かずに済んでたいへん助かったが、さらに不足分の切手をタダでくれたり、それをぺろっとなめて貼ってくれたり、駄菓子をタダでくれたりと、実際は何屋でもなかった。その何屋でもない店に、年末、用事があって駆け込んだところ、商品がなく、異様にがらんとしていた。奥でおばあさんが暗い表情で座っている。
「まさか、お店を畳むんですか」
「うん」
「いつですか」
「今週末」
「え! 何十年?」
「六十年」
 そう言って、宙に数字を、人さし指で小さくなぞった。もうできることなら何も喋りたくない、という表情で、おばあさんは固く閉じていた。店よりも先におばあさんが閉じていた。おばあさんは店そのものであったのだ。
 初めてこの店に来たとき、おばあさんは、「いつ畳んでもいいんだけどねえ、子どもたちが来るからねえ」と呟いて、にっと笑った。その「いつでもいいとき」がついにやってきたのだ、と思ったら、それを決断したおばあさんの気持ちが突き刺さり、胸がつまった。
 数日後、宅配便受付の看板を作業員が撤去しているところを見た。ああほんとうに閉めるんだ、と思いながら、自転車で通り過ぎた。どんな別れの挨拶がふさわしいのか、私にはわからなかった。そうこうしているうちに週末になり、ついに灰色のシャッターがおろされ、何屋でもない店は、ほんとうになんでもないただの建物となった。
 それから、じつにそっけない「閉店のお知らせ」が張り出された。正面のシャッターに貼らずに、その前に置かれた自動販売機の側面に貼っていた。おばあさんはよほどこの局面をひっそりと通り過ぎたいのだ、と思った。白い紙にボールペンで「閉店のお知らせ 長きにわたるご愛顧 ありがとうございました」――ただそれだけ、それだけであった。
 ところが、その張り紙に、「返事」のような言葉が集まってきたのだ。
「おばちゃん いつもおかしをありがとう ゆうじ」
「子どものころから通っていました またお店を開いてください」
「ゆっくり休んで また元気にお店に出てください」
 筆跡も色も異なる文字が、白い張り紙を埋め、この辺りに昔から住む人たちのよせがきとなっていった。私は顔を近づけて、奇跡のような、言葉たちを追った。なんとかしておばあさんを引き留めたい。文字の隙間から、顔も知らない人たちの切実な心が見えた。でも自分はまだ新参者で、勇気がなくて、何も書けなかった。
 もっと集まらないかなあ。これを見て、おばあさんはもう一度、お店を開く気持ちにならないかなあ。もっともっと集まってほしい。もっともっと!
 そんな他人任せ、あるいは、神頼みのような、祈り方をした。しかし、あっけなく、張り紙はたった三日ほどで剥がされた。まるで引き留める人々の手を強く払いのけるかのように。
「ありがとう、でももういいんです」
 おばあさんのそんな声が聞こえた気がした。かたくなさはお店を愛してやまない気持ちの裏返し。歯を食いしばって背を向けた人は、どんなに呼んでももう帰ってはこない。







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