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評者◆睡蓮みどり
スターは静けさのなかでマルタ・プルス監督『オーバー・ザ・リミット 新体操の女王マムーンの軌跡』、ブラディ・コーベット監督『ポップスター』
No.3442 ・ 2020年04月04日
■この夏のオリンピック延期が濃厚になってきた。全世界的にウィルスが蔓延している厳しい現状とは無関係に、トーキョーが開催地に決まった時から「わー、やだー」と思っていた私が熱狂的なスポーツファンのわけもなく、当然、オリンピックのために日々トレーニングする選手たちの気持ちなんて微塵も理解できるわけがない。しかし、である。『オーバー・ザ・リミット 新体操の女王マムーンの軌跡』を観て正直驚いた。
とにかくロシアの新体操選手、マルガリータ・マムーン(通称リタ)が美しいのだ。柔軟でしなやかな身体から溢れんばかりにまばゆく放たれる一挙手一投足。アメリカのバラエティ誌で「リアルな『ブラック・スワン』」と評された本作は、リタが金メダルを獲るまでのドキュメンタリーだ。ドキュメンタリー映画でありながら、不思議とよく作られた劇映画に思えてくる。リタのプライベートはほとんど描かれない。実際は超セレブらしいが、この映画にはほとんど関係ない。野次馬精神とかけ離れた潔さがあ る。ライバルのヤナ・クドリャフツェワの存在も欠かせないが、二人のコーチとのやり取りがすごい。なかでも、イリーナ・ヴィネルの罵倒が心底素晴らしい。気持ちいいくらいに激しくリタを罵倒する(ロシア語が全くわからないので、細かいニュアンスがわからないのが少々残念だ)。イリーナの存在感は圧倒的だ。彼女のファッション、キャラクター、全てが完成されている。もう一人のコーチ、アミーナ・ザリポアも優しさはあるがやはり厳しい。二人いて飴と鞭と言いたいところだが、鞭の比率が極めて高い。 映画を撮るにあたって、監督がイリーナに交渉するも最初はけんもほろろだったという。画面越しでも十分怖いのだから、諦めずに本作を撮った監督もリタさながら相当タフなのだろう。この映画がオリンピックを目指し、結果的に金メダルを手にした女の子の物語であることは事実だ。だが、それは事実にすぎない。この映画が美しいのは、熱狂や、熱狂が覆い隠して美化されてしまった情熱とは真逆のものだ。母性のような眼差しの先に静けさが訪れ、気がつくとスターがそこに佇んでいるのだ。 * もう一つ大スターの物語がある。『ブラック・スワン』でヒロインを演じたナタリー・ポートマンが主演の『ポップスター』は『オーバー・ザ・リミット』とは逆に、劇映画でありながら、時々ドキュメンタリー映画ではないかと錯覚させられる。その理由はいくつかあるが、シーンごとに使い分けられたフィルムと最新カメラ、秀逸なナレーション(『永遠の門 ゴッホの見た未来』でゴッホを見事に演じきったウィレム・デフォーだ)、そして編集技法からも見いだせるかもしれない。 14歳のセレステ(ラフィー・キャシディ)は、2000年に同級生が起こした乱射事件に巻き込まれ生死を彷徨う。姉のエレノア(ステイシー・マーティン)とともに作った追悼曲を披露したことがきっかけで、有能なマネージャー(ジュード・ロウ)と契約を交わし、セレステはポップスターへの道を歩み始める。それから17年間を隔て、ナタリー演じるセレステは完全に別人に変わっている。すでに歌姫としてのピークは過ぎ去っている。間も無く始まるツアーを迎えようとするも、クロアチアのビーチでかつての彼女のヒット曲の衣装に使われたマスク姿(!)の人物たちによる無差別乱射事件が起こる。 「驚くべき悲劇がポップカルチャーの話題と同じように扱われ、情報拡散の新しい段階に強い不安を感じている」と監督が話すこの物語のテーマは、まさに今リアルタイムに私たちが突きつけられていることだ。国こそ違うが、2000年に13歳だった私は、セレステとほぼ同じ時代を生き抜いてきたということになる。中学生だったその頃、周りはまだ二つ折りだったいわゆるガラケーの携帯電話を持ち始め(15歳になってからようやく買ってもらった)、メル友なんて言葉がまだ存在し、ネット回線だって今みたいに速くなかった。当然、「炎上」なんて言葉とも無縁だった。今にして思えば、平和といえば平和だった。情報には常に速度が求められ、多くの人が毎日これでもかというほど何かしらを発する。それは決して悪いことだとは思わない。個人的に全然ついていけてないが、これは世代の問題ではなくて、私がそういうものが得意ではない、というだけだ。スポーツができないのと一緒だ。多分。それはさておき、面白いことにセレステがいかにのし上がり、いかに落ちぶれるか、などというゴシップはこの映画にはちっとも重要ではない。 注目すべきは記者たちとやりとりをするシーンだろう。ライブ直前に起きた乱射事件のコメントを求め、新作アルバムについて話を聞くなかでも、彼女がかつて起こした事故について問い詰める。速度が彼女をゴシップガールにするのは簡単だ(セレステが繰り返し見る悪夢も速度と関係する)。政治家が言葉を濁すように口ごもれば追及され、切れ味のいい返答には過激さを喜ぶ一方で非難する。彼女が14歳の時に負った傷など、ただのゴシップ要素にすぎないのだろう。怒った彼女にインタビュアーが言う「僕は記者だから……」。それがどれだけ弱々しく聞こえたことか。かといって、このシーンは本当に映画のなかで一瞬にすぎない。というか、どのシーンも一瞬にすぎないところがこの作品の真骨頂かもしれない。早送りされたスキャンダラスなシーン、いつの間にか生まれている子ども、いつの間にか依存しているドラッグ、マネージャーとの関係、変わってしまった姉との距離、姉の一言で暴露されるセレステの“実態”。どれも要素としては、スキャンダラスなのにメロドラマにしない。スターの光と陰、表と裏? そんなの古いよ、と言わんばかりのこの心意気よ。 『ポップスター』はお行儀良い作品ではないかもしれないが、非常に上品だ。お上品ではない。超上品。ナタリー・ポートマンの悪役は凄みがある。『ブラック・スワン』でも黒鳥へと変化してからが圧倒的に美しかった。もちろん、ライブが始まるボルテージ最高のシーンでのパフォーマンスには心奪われるだろう。そしてどうか、エンドロールの静けさのなかから問いかけてくるその“声”に耳を傾けてほしい。その時、果たして私たちは口ごもることなく返答することができるだろうか。 (女優・文筆家) |
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