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評者◆野村喜和夫+宗近真一郎
わが詩作アニマル――われ-官能=感応す-ゆえに-詩作-在り
No.3442 ・ 2020年04月04日




■昨年9月から半年間行われてきた批評家の宗近真一郎氏と現代詩人たちのトーク・シリーズ「詩と批評 ポエジーへの応答」も、2月19日にギャラリーSPINORにて催されたもので最後となった。よって本イベントレポートも今回で最終回。最終回のゲストには野村喜和夫氏を迎え、「やっぱり、エロスで行こう」の題目でトークが行われた。(編集部)

■学生の頃、私は熱にうかされたように映画をみたが、その大半はピンク映画、ポルノ映画で、そうした映画を専門に上映している映画館から映画館へ、多くは場末だったが、熱にうかされたように足を運び、というか狂奔し、夢かうつつか、それはまた詩作の時間でもあって、よぎる塚の影のように、もう存在しないが、自由が丘劇場では、処女残酷うぶ毛、OL縄地獄、つまり緊縛されているのだ、でも夢の基底に叫びはなく、ありふれた統辞もなく、マラルメみたい、もう存在しないが、新丸子モンブランでは、悦楽の肌、変態情事アニマル、マニュアルではなくアニマル、アニマルはすてきだ、ヒメのhymenについて、それが狂おしいと、それがあわあわしいと書くことができるから、蒼い蝶の凍てつき、弥勒のぷるぷる、あるいは燠のようなヒメのhymenについて、ヒメのhymenのような燠について、だれもがそれに属しているのに、それそのものにふれることはできない、そこから秘匿という名の熱が立ちのぼるとき、わずかにその存在がたしかめられる、というような、だって詩作だから、よぎる塚の影のように、語は若干の鞭毛とともに泳ぎまわる、ヒメは日本語で女子の美称のこと、hymenはラテン語で処女膜のこと、マラルメみたい、もう存在しないが、反町ロマン座では、陵辱儀式、むきむき夫人、夕顔夫人、やたら夫人だ、夫人のなかの、いや詩のなかの、うすい条理の気まぐれ、排泄物をかたちづくろうとするそのひそやかな蠢動、ヒメがhymenを翻訳したとも、hymenがヒメを翻訳したとも考えられる、夜が明けてきた、すなわち黎明座では、貝くらべ、女子大生ひだの戯れ、ひだも戯れも、pliselonpeli、ぷりすろんぷり、それはまた詩作の時間でもあって、中心に核の存在する、存在しない、純粋言語? アニマル? もう存在しないが、シネサロン・ネムレでは、団地妻絶頂、暴行壺あらそい、むしろ縁辺を盛り上げて、よぎる塚の影のように、熱にうかされて、熱にうかされて、(野村喜和夫)

 マニュアルなんてない。素敵なアニマル、荒ぶるアニムスが、その熱じたい生命じたいの蠢きとして反復し、終わりなく循環するだけだ。擦過する塚と一回性を秘めたヒメのうすいhymenの燠が交叉し、残余するイザナギとイザナミの悲話のアリバイが反証されるように、無‐主体として草木自然と交ぐわふ。快感原則も、倫理へと裏返されるタナトスという条理も、詩作には関与させてはならない。つまり、プファもプフォも「待機」と「猶予」の果て、煉獄の端緒に架かるブルックリン橋‐矢切の‐野菊の‐精通の‐「訣れ」を渡るということだ。「死にたい系」多数のこのごろ、「やりたい系」の孤立を堪えるということだ。だから、詩作とは、そのように、非在の‐橋上の‐単数として、孤立と混沌と存在論的「襞」を、終りなきアドレセンスのなか、ひたすらブリコラージュすることだ。われ‐官能=感応す‐ゆえに‐詩作‐在り。そこに消滅した主体にこそアニマル=野生が賦活する。
(宗近真一郎)







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