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評者◆藤原安紀子×宗近真一郎
あのリボン、誰が結んだの?――想像力と共犯する「主体」という厄介な魔物
No.3439 ・ 2020年03月14日




■視界には膨大な数の電線が映りこんでくる。ここは窓際の二階席なので背のびすれば触れられるかの距離に太さも長さもさまざまなそれが走っていて、今日のような雨空なら見あげる人も多くはないが快晴ならそれなりの数が仰ぐ空と相互に助長しあうでもない、いわば騒音のような電線を実際のところ都市においては日常ほとんど気に留めることもなく暮らしている。階下には休日のためか比較的ゆるやかな速度で人々が行き来している。往来を眺められる場所なら一日いても愉しい。「詩と写真の交差点」の積みのこした課題もそっちのけで窓の外を見やっていたら、奇妙なものが目についた。距離にして1メートル強、ガラスがなければ掴めそうな近さにある二本の電線に何かが絡まっている。深紅のリボンだ。可憐なビロードのリボンが二つの線をしっかと結えている。地上5メートル、梯子も踏み台もない位置。いったい誰が何のために結んだのだろう。
 リボンは項垂れているふうでもある。二本の電線と交わっているにちがいないけれど、絡まりあう点が特別なわけでない。そこから双方向に延びていく、どこまで行くのか途方もない(涯はもちろんない)散逸のしかたに大切なことはあり、それが「ほんとうのこと」であるかどうかなど考えずにいられるから、ここにいる。結び目は雨水をふくんでさらに固く、また緩くもなる。解けることを前提として交差し、変化する瞬間のために接近する。ふくらんで、こらえられず、ひらいてしまうもの。そこからこぼれ落ちてくるものがある。両手ですくい、壊れないように、紙のうえにおろす。いまは詩を書くことがそうであり、かつてカメラを手に街を歩いていたときは写真がそうだった。個人的なことでなく、功績に重きをおかず、むしろ己の罪過よりものを創っている人々の行為は全てそうだと信じて疑わない。その位置でわたしたちは話せるはずだ。
 ところで宗近さん、あのリボン、誰が結んだの?   
(藤原安紀子)

 叙事に徹する。それは、欠如やほころびをもとに戻すということではない。写真がモノをむき出しにしてそれを見えなくするように、言葉が像として現れること=感光‐現像という動きの果てで、構築しないというボロボロの在り方が呼応される。
 どういうことか。それは、両手で壊れないようにすくわれ、紙のうえにおろされるものは、決して荒廃から逃れて無傷なままの「結び目」ではなく、つねにすでに解かれ、雨に濡れ、切り離され、あるいは自己分裂を起こした「ほんとうのこと」の非現実性、そこにはないもの以外ではない。そこにはないからこそ、否定的なものに自らを繋留するために、想像力というやつが、雨空の電線のように、視界の底に絡まるということがある。
 つまり、藤原さん、あのリボンが結わえているのは、電線によって代理される都市的日常の諸力の束、地上5メートルという空虚です。リボンを結んだのは、だから、想像力と共犯する「主体」という厄介な魔物なのです。    
(宗近真一郎)







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