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評者◆福間健二+宗近真一郎
詩を生き、映画を生きる――「生きる」ことに通底する多重性が「前向きな無邪気さ」としてつらぬかれる
No.3432 ・ 2020年01月25日




■あまり「対話」にならなくて申し訳なかったが、個人的なことでもそうじゃないことでも話しながら発見があったと思っている。
 まず、個人的な「はじまり」を探ることになった。一九六〇年代、ぼくの小学校六年から大学三年まで。映画や文学よりも、最初に熱中したのはビートルズ以前のポップス音楽。聴いているうちに、その当時のものより少しさかのぼった初期ロックンロールがすごいと思えてきた。プレスリー、もうたいしたことないけど、五〇年代の彼は最高。そんな意見を吐く、うるさい中学生だ。学校という「制度」とそのうしろにある社会のインチキさが見えてきて、そういうものから逃れたい不良性の肯定される場所として、映画館の暗闇にも誘われるようになる。ロックンロールからヌーヴェルヴァーグへ。この道筋だったのだと気づいた。高校時代、映画を見まくった。自分で8ミリ作品も撮り、あこがれの監督のひとりだった若松孝二にも会う。大学に入ると、「革命」の夢とともに、どう生きるのか、この世界をどうしたいのかという倫理の側から、詩がやってきた。ある場面では、映画は快楽、詩は倫理、となった。しかし、この役割分担は固定的なものではなく、そこに「転換」がさまざまに折り込まれていく。
 以上が「はじまり」のあらすじ。
 その先をどう話したかを書く余裕がなくなった。今日までぼくは「詩を生き、映画を生きる」あるいは「詩と映画を行き来する」という夢を保持してきた。それを可能にしている諸々の事情に感謝しつつ、最後は三月公開の新作『パラダイス・ロスト』での試みを語った。ジム・ジャームッシュ『パターソン』や石井裕也『夜空はいつでも最高密度の青色だ』などの、詩を使った映画の佳作も取り逃がしていると思える、詩と映画のたがいの生成的な関係を十分に追いきれなかったのは残念だ。
 宗近さん、会場のみなさん、ありがとうございました。
(福間健二)

 いや、言葉のキャッチボールをしなくても、風を切ってやってきたボールの質量が掌から沁みるような「対話」の時間、つまり、共に聞く者の一人であることでぼくは応答している、そういう相互性がちゃんと成立していました。映像におけるポエジー、詩における映像性などという常套的なぼくの臆念を覆すように、福間さんは、映画は快楽、詩は倫理と言った。とくに、詩は倫理というひとことから福間さんの映画への入り口が劈かれ、(詩と映像に限局されない)視点、感官、抽象度、話法のおびただしい「転換」という福間作品の奥義が現れる。そのまま、「生きる」ことに通底する多重性が「前向きな無邪気さ」としてつらぬかれる。まずは、しっかり「鑑賞」せよ。知り合って三十五年。今さらながら「福間健二の発見」において、ジム・ジャームッシュも石井裕也もタルコフスキーも佐藤泰志も再び見出される予感が残余します。「対話」継続のためのぼくじしんの課題もまた。
(宗近真一郎)







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