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評者◆添田馨
日本国憲法の肖像――改憲論の変容と護憲⑧
No.3430 ・ 2020年01月11日
■故加藤典洋氏の憲法論から私は多くのことを得てきた。だがどうしても受け入れられない箇所がある。『9条入門』のなかの、私たちは一九四五年八月十五日つまり日本国憲法ができる以前の歴史時間のなかに戻るべきだというその最後の主張である。私がそれを拒否せざるを得ないのは、戦前・戦中と戦後とがすべて曖昧なままに移行を果たしたわが国で、唯一明快な理念のもとに誕生をみた独自憲章典が日本国憲法であり、つまり戦後的価値のそこがひとつの出発点だからであって、それ以前というものはないと思うからである。
加藤氏はその最後の著作で、戦後憲法とりわけ「9条」が成立した過程を緻密かつ丹念に追い、私たちが“9条神話”として抱いてきたものの解体を試みた。憲法の事実的発生論の試みとして、それは確かに必要な作業だった。だが、いま私たちに必要とされているのは、戦争の死者も象徴天皇制も靖国も沖縄も戦争放棄条項も、それら全部を一枚のお盆のうえに載せて綜合的に思考することを可能にする、真に新しい発想なのではないだろうか。それは憲法形成の因果関係からは必ずしも敷衍されない、加藤氏がとったのとは別の思考法ではないのだろうか。 私がそう考える大きな理由は、戦後憲法の舵取りを担いうるのが私たち戦後生まれの世代に他ならず、それは私たちの“戦後的自我(戦後的アイデンティティ)”形成の問題と密接不可分の関係にあるからである。 「9条」に頼るな、「9条」なしでも平和の在り方を思考できなくてはダメだ――加藤氏が存命だったら間違いなくそう言うだろう。まこと身の竦む思いだが、「9条」は一九五五年生まれの自分にとってすら、すでに先験的統覚いがいの何物でもなかった。この動かしがたさが自我形成の先構成的根拠になったのだと言い換えてもいい。これは決して居直りではない。戦争という不条理を許容しない憲法理念が、戦後世代に特有の発生的本質を有していると信じるからである。 (つづく) |
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