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評者◆凪一木
その28 私の償い
No.3429 ・ 2020年01月01日




■酷いことをしたら、その相手に謝らなければ、前に進むことはできない。必ず、相手はもちろん、相手が死んでも遺族が、或いは、周囲の人間が、追いかけてくる。許されない。必ずや償わされる。私はそう思う。「現場の悪魔」最古透は、沖縄空手「上地流」の副所長を追い出した。彼に謝らなければならないのだ。
 状況をしっかり見ていた人たちがいる。その人たちは、その無念を忘れることはできない。
 話題の映画を観てきた。『新聞記者』だ。政府の側にいる人間が政府の悪を突き止める。だが、ラストシーンで主演の松坂桃李は、告発を断念する。暴力装置が動き始めている。家族の身を案じもした。最も作用したのは我が身を可愛く思った自分自身の弱さによる。
 松坂桃李は、なぜ貫き通せなかったのか。それは背負っているものが小さいからだ。背負っているかどうかは死者である。どれだけ死んでいった者の魂を背負っているかどうかが、どんなに虐待されても、追い詰められても立ち向かうことができるかの基準値としてある。なぜ、あの人はここまで闘えるのか? という人をよくよく観察してみると、背負っている者たちが「背後に」いるからだ。ここで自分が負けては、ここで自分が引いては、死んでいった者たちに、同じように、いやもっとつらい境遇でいる者たちに申し訳ない。
 彼らの無念を引き受けているからだ。その値が小さい者は抵抗を辞する。
 映画『新聞記者』を甘いとか、「現実はもっと危険だ」などと批判する者がいるはずだ。
 そこには自分自身の「聖人君子ではない」恥ずかしさや照れもあるのだろう。だが、そういう論法ともまた一緒になってはいけない。
 悪というのは、相手のマイナスを作って歓ぶ者だ。聖人君子でない自体に皆もがいている。マイナスを持っていることも誰もが経験している。だが、相手の、他人の、足を引っ張り、そのマイナス効果に喜びを見出す者の考え方に巻き込まれ、一緒になり、加わってはいけない。少なくとも加担しまい。松坂桃李には、怒りの量が足りなかった。それはすなわち、背負っている者の量だ。死者の数というと語弊を生むかもしれないので、無念の数、悔しさの量と言っておく。
 上地流が辞めるという決意を述べてしばらくした日曜日に、(国立大工学部出身の)工ちゃんと私との三人で喫茶店に入り話し合った。上地流と別れ、工ちゃんと二人になった時、工ちゃんが言った。「(最古透の)下の立場でも良いから、“上地〓さんが戻ってきて、一緒に仕事してくれるという選択肢はないのでしょうか」「そんな虫の良い話は、今の“上地〓さんには酷だよ」「そうですね」

 映画を観てきた夜、一〇キロ走った。
 久しぶりだったので、以前から走り慣れていた距離なのに、腰が痛くなった。鉄でもステンレスでも、まがった物を元に戻そうとすると、逆に曲げるのがいいように思える。だが、正確な逆方向には曲げられないから、却っておかしな捻じれが生じて元に戻るのにはさらに問題を複雑化する。ならばどうするか。逆に曲げるのではなく、ひたすら真っ直ぐになるように時間をかけ「引っ張る」。要は正しい形に向かって正しい行動を取るだけだ。腰の場合もつい対処的な試みをするが、却っておかしくする。
 走ると、正常な形に近い運動がなされる。或いは本来あるべき方向へ力が伝わることで、余計な圧力が減っていく。そんなことを考える。
 なぜ走るのか。走るのは案外(私にとっては)孤独な作業ではない。どこかから、神とは言わないが、もう既に随分前に亡くなった同級生とか、遠くの誰かとか、見知らぬ人たちが、見ているような気がして、真っ直ぐな方向に作用する力とは、その背後からの後押しではないかと思っている。
 父方の祖父は、伝説的な人間(記念碑も建っている)で、私の気の強さはこの人の血を継いでいるとも言われている。一方、母方の祖父は、神様のようというか、全く逆の大人しい人であった。ある日おじいちゃんは夜中に、(貧乏な農家であったのだが)オートバイを盗みに入ってきた男を一人、目撃する。だが、咎めることもせず、盗まれるがままだった。
 その話を最初聞いたときも、(子供の頃だったが)「ただ怖くて何も声を出せなかったのではないか」と思っていた。だが、おじいちゃんはどうもそういう人ではない。実は、そういう意地悪や悪行をいつも何度もされては、村の一番ひどい土地を耕し、一番ひどい貧乏くじを引き、一番つらい仕事を引き受けてきた、と書くと本当かよ? と思うだろうが、本当だ、と思って読んでもらいたい。
 そして死の間際、最後までずっとおじいちゃんの近くにいたのは私だった。いろいろな話を聞いた。人は、周りの思いがかぶさって生きるものだから、才能があって運もあっても、周りから恨まれている奴が、いい目には遭わないんだ。オートバイを盗んだ人、ほかにも物を取った人、ウソを言った人、誰と誰と誰ということを私は見て知っている。どの人もろくな死に方をしていない。
 「でも、良いことをしたって、良い目に遭うわけでもないでしょう」
 「でも、悪いことをしたら、必ず悪い目に遭うんだよ。神の天罰が下ったわけではなく、周りの人間の思いの力がそうさせているんだ。人に好かれないと生きてはいけないよ」
 祖父は寝床で語っていた。何度も何度も聞いたから、よほど自信があるというか、自分の人生の中では確信に近い経験として蓄積されていたのだなあとは思った。
 それは実証のしようもない話で、実際に盗んだバイクで走りだした奴が不幸な死に方をしたのかは知らない。だけれども、それがたまたま不幸じゃなかったとしても、それがどうした……と私は思う。外から見て「成功」し、「成就」し、「幸福」を掴んでいようと、その人間にとっては、心のうちで、「悪いこと」が起こっているはずなのだ。
 私は走る。
 昔『がんばれ元気!』という漫画を読んでいた。プロボクサーを目指す少年の元気が、走るときに「ほっ、ほっ!」と声を発している。その掛け声が、(他の漫画でもあったのかもしれないが)新鮮で、意味を帯びていなくて、それは今でも好きだ。理由はないが、自分も「ほっ、ほっ!」と走っている。なにを目指しているというわけではない。
 私としては、無念の紙つぶてを書き連ね、積み重ね、償っていくしかない。
(建築物管理)







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