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評者◆凪一木
その23 ユニオンへの道
No.3424 ・ 2019年11月23日




■最初に勤めたビルメン会社を辞めた当時について少し書く。
 パワハラを見たことがあるだろうか。私はある。昨日も目の前で見た。AがBをやりこめている。見ているCは私で、その場に三人しかいない。深夜一時のハートステーションならぬハートの捨て場所。
 だけど、その時何も出来ずにいる。私は傍観者でしかいられない。そして今、こうして文章を、その翌日に書いている。なぜなのか。
 パワハラを見たことがあるか。ある。しょっちゅうあるし、自分もされ、殺してやろうとも思い、今もなおそう思っているのだが、そうせずにこうして書いている。なぜか。それがこの連載だ。
 インターネット上で「我が」ビルメン業界は、「史上最悪のブラック」「レールから落ちた者の墓場」などと沢山の「お言葉」を頂いているのに、世間では全く知られていない。なぜか。
 話題にするほどのネタじゃないからだ。ではそこの職業人口はどのくらいか。一〇〇万人いる。二〇一七年に起きた座間市の連続殺人事件で、或ることがビルメンの間で話題となる。「一回殺すと、快楽で止められなくなるのではないか」ということだ。パワハラも同じだ。一度それ(=パワハラ)に手を染めると、快楽で止められなくなる。巨大暴風雨にさらされ続ける我々は、いつ死ぬか、気が気ではなかった。
 暴言で相手をねじ伏せ、これでもかと死ぬまで罵る。実際に死人も出ている。私の友人も殺された。私と同じ職場を面接で落とされ(もし採用ならその現場で殺された)、別の現場で死んだ。四六歳だった。
 いや、この今いる現場でも、昨日見たパワハラ男のせいで、一人死んだのだ。快楽なのだ。あいつらを止めなければならない。
 一年で一四人が辞めた気の狂った現場で、労働基準局、労働相談所、いくつもの労働組合、あちこちに相談に行った。信頼できそうなところもあったが、結果から言うと、力にならない。まずは証拠が必要だ、と言われ、無理やりにでも声を録音してこいという。やっとの思いで録音したテープを持っていって耳許で聴かせても、聞こうとする態度でもなく、二〇分の録音時間のうち、一分も聞かずに、こうだ。
 「音が小さすぎて証拠にならない」
 ウソだろ。必死の覚悟で隠し録りをしてきたんだ。聴こえるよ。誰に聞かせても、聞き取れるのだ。とにかく、黒澤明の映画『生きる』の主人公が、市役所の窓口をたらいまわしされるように、全く相手にしてもらえない。外では「働く者の味方」みたいな宣伝をしていながら、実態はこれかよ、と思う。まあ、良い担当者も、立派に対応してくれる人も、中にはいるのだろう。いや、むしろそういう人たちが大半で、私が最悪の人間に出くわしただけなのかもしれないと信じたいのは山々であるのだが……。それでもだ。どうにもならない。だから連載しなければならないと思った。しかも、二段構えだ。
 最初はその業界が知られていなければ、それが何なのかさえ分からない。そのために我慢して、業界の紹介本を書いた。そんなものは誰が書いたって良いものだが、過去に一冊も出ていないので書いた。その書籍の原稿段階では、編集者と校正者から、いくつもの指摘を受けた。
 「この書き方では、“ビル管”が低い位置に見られ過ぎはしないか?」とか、「ビル管という仕事を下位に感じられるのではないか?」などというものである。
 実際にあるがまま、その通りを書いたまでである。その文章がそう見えるのならば、実態が「そうなのだ」としか言いようがない。ビル管理はブラックで、危険で、救いようがない。
 私は、実際のところ、その本では良いところしか書いていない。表に映る綺麗な部分だけをデフォルメして、美しく見せる。ウソはないが本質でもない体裁ごとだ。
 さらに裏側をありのまま書くと、パワハラ渦巻く最悪の業界だ。「曲りなりにも常識のある世間」と比べると、独特の非常識がまかり通っている。スポットライトを浴びせても、地味で、面白くもないので、ドラマにもならず、本にさえ(業界誌以外は)取り上げられない。したがってビルメンという職種は知られもせず、知られていない中で、思う存分にパワハラが、多くの当人たちはそのことの自覚すらない中で行われている。
 細かい嫌がらせ満載の現場が山のようにあり、パワハラの博覧会、他業種の落ちこぼれの坩堝、いじめのデパート、追い込み方、威張り方の多種多様、年季の入り方から意地の悪さ、そして快楽殺人に匹敵する異常思考までをも丸ごと含んでいる超ブラック業界である。
 持ち込んだテープの怒号にしても、氷山どころか、南極大陸の欠片程度であって、それでさえ、たとえば自民党・豊田真由子衆議院議員の“絶叫暴行”とも言われた暴言など、まだまだ生ぬるくて、甘っちょろく感じられる。
 人間がどう快適な生活をするのかというところから逆算して割り出された形が仕事というもののはずだ。しかし、「お客さん」「消費者」「VIP」といった存在の顔色を伺い、そのために組織がトップから上司、上司から下士官、そしてそれ以下と、嫌味や都合、効率という名のノルマや義務を押し付けてくる。これでは本末転倒な仕事の姿となる。
 ここまで身を削って、魂を売って、心を奴隷にして、存在を奴婢化して、培ってきた大切なもののかなりな部分を渡してまでもなお、たかが生活の最低程度さえ成立すらしないのか。
 いったい私に何の罪があって、こんな仕打ちに合わなければいけないんだ。そこまでやらなければ、この世の中は生きていけないのか。こんな職業、そもそもありなのか。
 やっと、数日前に借金を返した。一〇年返済の方法もあったが、二年で返した。この二年が長かった。それなのに、ああ、それなのに、返したばかりで、また会社を辞めることになってしまった。死んだ友の分まで怒っている。
 全く人間を機械の部品扱いしている。しかもその機械は一体何のためなのか。「お客様のため」と言うが、そのお客様自体は、それが天皇陛下であっても、総理大臣であっても、それほどに、それだけのサービスを期待していない。
 ♪もういやだよ。生きることすら。もうだめだよ。生きることすら。
 モップスの歌の歌詞だが、当時の私の気持ちだ。
 「凪さんならやってくれる」
 同僚からそう言われた。あれから数年。何もできなかった。
 そして今、やっと加入したのだ。労働ユニオンに。
(建築物管理)







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