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評者◆稲賀繁美
無に対峙する危うい楕円の円環――大戦期の時代相に日仏関係から補助線を引く――レミ・ラブリュス氏の講演「無に相対して――1940年代のフランスの美術」の余白に
No.3421 ・ 2019年11月02日




■ドルドーニュ地方のラスコー洞窟から先史時代の人類による洞窟壁画が発見されたのは、1940年9月。発見はすぐさま「先史時代のヴェルサイユ」と評された。それはフランスがドイツと屈辱的な休戦協定を調印して3か月後のことだった。
 当時パリに滞在していた岡本太郎が、戦況悪化のなか帰国を決意し、マルセイユから白山丸に乗船したのは6月13日。ドイツ軍がパリに無血入場する前日のことだった。ラスコー洞窟は戦後、1948年の革命記念日前日に一般公開され、1955年にはジョルジュ・バタイユが『ラスコーの壁画』を刊行する。他方、岡本が「4次元との対話:縄文土器について」を『みずゑ』に発表するのが1952年2月。その背景には50年に再来日した彫刻家、イサム・ノグチとの交歓もあった。
 戦前のパリでマルセル・モースの講筵に連なった岡本は、バタイユとも交流していた。袂を分ったふたりだが、地球の対蹠点でともに先史時代へと遡行し、人類の記憶の最古層に最新の造形と未知の創造への指標を見出していた。Primitivismと呼ばれる志向である。岡本は沖縄や陸奥に日本の古層を探る一方、北米カナダ先住民の石積みイヌクシュックに、完成や保存とは無縁な、造形と崩壊の無限円環、輪廻転生の姿を見出す。終焉が始原に通じる――。これは画家ピエール・スーラージュやアフリカ人類学を専攻する美術史家ジャン・ロードのラスコー解釈でもあった。「終焉」とは原子爆弾の脅威であり、広島・長崎は人類の「集団自殺」(カミュ)を予感させていた。
 岡本太郎はイヌクシュックに、喪われた祖先の「虚の気配」を見出す。虚無といえばジャン=ポール・サルトルの『存在と無』(1943)。そこにはドイツの捕虜となっていた時代に幡読したハイデガーの『存在と時間』からの影響が顕著だろう。だがその背景には九鬼周造がいた。ハイデガーと知己であり、パリ時代には年少の高等師範学校生徒サルトルを「復習教師」として雇っていた九鬼男爵は、ポンティニーの国際集会で講演した東洋的時間論(1928)ほかで「無」と「永劫回帰」を明晰に説いていた。
 その九鬼が帰国後京都大学の哲学教室で同僚となったのが、田辺元。かれもまたハイデガーと交友があり、人間を「死への存在」Sein zum Todeと見るハイデガーに抗して、「決死」の決意Entscheidungにこそ死を超克する契機を見出し、京都帝国大学から学徒動員の学生を鼓舞して戦場へと送り出した。
 九鬼もその時間論でシシュポスの神話を再解釈し、未来永劫の反復への決意にこそ、人間的自由の尊厳がある、と議論を倒立させていた。脳裏には関東大震災からの復興を図る母国の帝都の姿が映じていた。おそらくはそれに触発されたのが、先に触れたアルベール・カミュの『シシュポスの神話』(1942)。奇しくも日本へ亡命する直前のカール・レーヴィットが研究していたのも、ニーチェの永劫回帰の思想だった。
 その傍ら、戦中から敗戦直後のヴェトナムで水面下の停戦工作に挺身した小松清は、アンドレ・マルロー『人間の条件』(1933)の「キヨ」のモデル。その小説中での切腹自殺を、マルローは、信義への忠誠の証と解釈した。「無」に対峙する実存が、日仏を横断して時代の藝術哲学の符丁をなしていた。

*國際シンポジウム「第二次世界大戦期のフランスをめぐる藝術の位相」日仏美術学会(主催)。京都大学、2019年9月28日に取材した。会場での筆者の即興のコメントを備忘録までにここに略記する。担当の大久保恭子教授はじめ、当日登壇された発表者に謝意を表する。







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