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評者◆凪一木
その20 ついに、Sの毒に落ちた
No.3421 ・ 2019年11月02日
■連載二〇回目にして第一〇回以来のサイコパス(S)の話だ。現場はついに、Sの手に落ちたのである。もはや私に残された選択肢はほとんどなくなってしまった。
Sの生態については、のち詳述するが、映画などでイメージされる殺人鬼とは違い、口の上手い結婚詐欺師をイメージした方がより近い。一つは、水木しげるの劇画『ヒットラー』に登場するアドルフ・ヒトラーのように、コンプレックスの塊でつまらない小男という面がある。そして、北九州大量監禁殺害事件の松永弘に関する本をいくつか読むと現れる、松永のソフトな(逆に言うと薄っぺらなウソの塊である)語り口と接触技術こそが、Sの本領だと、とりあえず書いておく。 「所長のほか副所長二人に、副責任者三人と設備管理要員が一人の計七人の現場」で、Sは副責任者(副所長の下)のトップである、とは既に書いた。この後、副所長の一人は現場を出た。S(最古透)について彼は、私以上に知りつくしていて、「離れる」「切れる」ことだけが目標であり、異動ではなく、会社自体を退職した。その際に、「最古透をこの現場から出せ」と本社の担当に要求し出ていった。だが、事態は一向に改善されず、もう一人の副所長が罠にかかる。 最古の「あれがダメ」「これがダメ」という細かいダメ出し作戦に、完全に参ってしまう。ボクシングのパンチドランカー状態となって実に一カ月で体重が一〇キロ落ちてしまった。沖縄の久米島出身の彼は、かつて沖縄空手(上地流)を習っていて、最古の陰で「やるときはやる」という言葉を私の前では頻発させていた。だが、ついにその機会はなかった。塩を掛けられたナメクジのごとくに、こう言い残して辞職した。 「もう相手にする気力もない。凪さん、悪いけど、このまま去るよ」 やるときも、やらなかった。これまでいた最も仕事のできる前の副所長AがSの策略にハマり出ていく。もう一人いたやはり仕事のできる最古の目の上のたんこぶ的な重要人物Bが、Sに嫌気がさして出ていく。そして元々いた最古参の副所長Cが出ていき、Aの代わりに来た副所長D(上地流)が死の状態で追い出される格好となった。二人体制だった副所長が入れ替わり立ち替わり結局全員いなくなり、Sがただ一人の副所長として君臨することになったわけである。Sがこうなるために費やした期間は六年で、その日の朝、元号が令和となる三日前の一〇連休の二日目に、Sは満面の笑顔でやってきた。 こうなってしまう可能性を恐怖していた私は、直前に、所長に直訴していた。 「昨年から、副所長の二人が再三再四、我が社の常務に、Sを異動させてほしいと直訴していることはご存じのはずだ」と。事態が改善されないので、上地流(残っている方の副所長)はもう会社を退職すると言っている。上地流が本現場に異動する際に、「一人だけ要注意人物がいる」とSについて常務から助言があった。なのに、常務にSの異動を振っても、「Sの話は聞きたくない」と言って電話を切られたりしている。常務は他現場の副所長に「Sをあの(おとなしい連中のいる)現場に置いておくのが丁度いいんだ」と言っている。 Sはこれまでの四現場で、そのいずれもがS自身の問題ある行動を理由に「揉めて」各現場を飛ばされている。 常務が手を焼いて「辞めるだろう」現場にわざと異動させたことがある。Sの自宅から通勤時間往復六時間以上かかる病院だ。ところが数ヵ月後にSは、ウイルスに感染したと言って一カ月休み、常務と交渉する。散々揉めた末に、今の現場への異動を勝ち取ったのだ。 「既に所長も何度も目にしている通り、私も理不尽な切れ方をされ我慢し続けている。つきましては、Sを異動するよう常務に打診してください」という旨の文書を手渡しした。 その際、一人残った(沖縄の)副所長が辞めることになったら、「私も辞めます」と書き添えた。つまりSを残せば、現場は悪魔に魅入られ、所長も管理され、皆が意のままのSのやりたい放題になるのは目に見えている。この現場で仕事が出来るのは副所長ただ一人であった。Sは一番の古株ではあるが、仕事はできない。資格も持っていない。人望もゼロ。だが結果はどうだ。仕事のできる副所長の方が出ていくよう嵌められた。 Sはついに、常務はもとより、他社の所長をもコントロールに成功し、自由自在に動かせる新人ばかりの「理想の現場」に変えてしまった。 上地流は、「自分が辞める」と申し出たら、Sを異動させるものと期待した。「張ったりじゃない。本気だぞ」と息巻いていた。副所長と所長(元請けの他社)と(自社の)常務との三者会談の場で、その決意を切りだす。そうしたら何のことはない。二人とも引き留めることもなく、あっさりと了承された。 「俺にそれだけの実力と人望がなかったということだよ」 そう吐き捨てた。 翌日、所長が私の元にやってきた。副所長が辞めるなら、私も「辞める」という文書を基に、以下の話をされる。同じ部屋にいる警備員たちも聞いていた。 「副所長とSさんのどちらかが居なくなることになるけど、副所長の場合は凪さんも辞めるわけでしょう。ただ、その出ていく時に、Sさんとは揉めないでほしいのですよ。あと、すぐに去っていかず、一か月ぐらいの引き継ぎはしていってほしいのですけど、頼めるかなあ」 驚いた。いや、呆れた。文書を渡した次の出勤日の朝に、もう私が辞めることで、話が出来あがっているのか。こちらの要望は何一つ聞いてくれず、そちらの要望だけはつきつけてくる。 さあ、どうしよう。絶体絶命。山口百恵の歌みたいだ。ルビコン川を渡ったわけではない。手に落ちた。一線を超えてしまった。どうする。 妙な歌を思い出した。『POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~』というテレビドラマの主題歌だ。九八年七月二九日に発売され、その四日前の七月二五日に林真須美によると言われる和歌山毒カレー事件が起きている。 言いたいことも言えない所長以下、私も含めた設備管理員たちの現場。そして毒。 これが令和の始まる、僅か三日前のことであった。 (建築物管理) |
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