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評者◆杉本真維子
安堵の「底」
No.3421 ・ 2019年11月02日




■病院での眠りには清潔感がある。目を閉じる前の安堵感は、一生分の疲労が解き放たれるかのように、ふうっと深い。なんだか、「底」のようなものを感じるほど。今年の夏に2週間ほど入院し、夜、つくづく思った。
 多床室。知らない人たちの寝息。ドアのむこうで、ナースステーションが強い光を放っている。いずれも、少し離れたところにある人の気配が、孤独と安心の両方を与え、その配分が心地いい、というのもある。でもそれよりも、ここが、「死」が近くにある場所、というのが大きい気がした。「死」は巨大で深い池のように、私の近くにあった。脅かすのではなく、むしろ池畔に佇む人の心のような静けさを、私に与えていた。
 最近読んだ一冊の本から、そんな思いを巡らせた。
 金子直史『生きることばへ』(言視舎)。余命宣告を受けた記者による、命がけの「読書案内」。後半には、2017年1月から2018年9月の死去直前までの日記が収められている。金子が辛抱強く繰り返す、死についての考察は、これまで読んだどんな闘病日記よりも身近に迫った。たとえば、次の日記は、2017年9月27日。ためらいながらも、病気のことを弟に告白した日のこと。
 「……昨日、武洋を新橋で呼び出し、沖縄料理屋で病気のことを話した。驚いたらしい。どうやら、人は押し並べて驚く。それだけでどこか〓死の影〓を連想するのだろう。多分、おれ自身が、そうだったろうと思う。だから、ためらわれる。」
 「死の影」――。私もまた、病を告白してくれた友人の顔を見て、残酷に連想したことがある。そんなふうに、自分の日常と「同じ日常」にしばしば出会い、これは誰の日記だろう、と混乱する。ここで痛みと闘っているのは私であってもおかしくない、という当たり前のことに、震撼させられる。
 当然、本人は死がいつ訪れるかは知らない(それは誰もがそうだ)。だが、日記を収めた本というのは、特性上、没日からの距離を測りながらページを繰ることになる。私は、展開を知ってしまわないように、左手で左ページを隠しながら読んた。思わずそうしてしまうくらい、死が切実に、こわくなった。
 一方で、不安がない、と幾たびか書いているところが、私はとても気になったのだ。
「ふと思う。おれの実存はなぜ、さほど動揺せずにいられるのだろうと。」(2017年9月6日)
「しかしおれには驚くほど不安がない。」(同年9月15日)
 これは、何なのか。詳しいことは全然わからない。わかるためには人それぞれがもつ、来歴のほうまで見つめる必要があるのかもしれないが、私にはすべがない。それでも、不安がない、という心のすがたそのものになら、迫れるかもしれない。
 目を閉じて想像した。驚くほど不安がない、という心の状態を。それは、死という巨大な池のそばにいるときの落ち着きと重なった。だんだんと、あの「底」を感じるほどの深い安堵感がよみがえった。こんな感じ、こんな感じだと、私は水をいっぱいに溜めた盥を、そっと移動させるように、「こんな感じ」を観察した。
 それは、祈る心、そのものだった。祈る心の奥は、どこまでも静かだ。金子直史は、誰かに、何かを、祈っていたのだ、きっと。







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