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評者◆凪一木
その13 死んだ男の残したものは
No.3414 ・ 2019年09月07日




■二〇一三年六月に本を出すも、食い詰めて、作家を廃業し、その年の一二月五日に高年齢者校の試験を受ける。一二日に合格発表、この間に一二日原稿入稿、二六日に別の連載原稿を入稿した。支援金を貰い、労働金庫から借金をし、学校に通い始める。
 一月七日入校式、二二日にまた原稿入稿、三〇日にボイラー技士二級技能第一試験。父が亡くなったのが、その一週間前の二三日だった。
 葬儀その他の面倒を全部母と弟に押し付けて、私は北海道に帰らずに、学校に通い続けた。「死んでからさえも親不幸をするのか」と問われると、実のところ、そうは思っていない。父と私との二人の間の絆としか言いようがない。
 本来やってはいけないことらしいのだが、喪主となるはずの人間(つまり私)の弔辞を弟に読んでもらう。私は、まさしく背水の陣で学校に通い、試験を受け続けた。
 ギャンブル好きで映画も好きで、競馬場と映画館で人生模様を教えてもらった。特に高校野球を愛していた。その影響を最も受けたのが長男である私だ。足の障害もあり、大学にもいかない私とで父の心労は相当だったろう。亡くなったその日、駒大苫小牧高校で活躍した田中将大投手が、アメリカ野球ニューヨークヤンキース入団を発表した。父と二人それぞれの旅立ちだったように感じた。亡くなる直前まで友達のようにつき合う関係であった。
 さて、試験勉強をする日々が始まった。二月一七日にボイラー技士二級技能終了試験のあと三月には、「危険物取扱者乙四類試験」と「ボイラー技士二級学科試験」が続くも、新雑誌『LEGENDS』の創刊号原稿を入稿した。この雑誌は二号で廃刊となる。
 そうこうしているうちに、三月一四日親友のシナリオライター南木顕生が倒れたのである。実はその日、「妙な胸騒ぎがする」と言って、妻が私に電話を掛けろと言う。そのとき頭に浮かんだのは、私が付き合っている二人の親友と呼べる人間のうち、南木ではない方だった。電話したら、「今日も映画を観に行くところだ」と元気な声で電話に出た。それで安心したのがまずかった。数日後に南木に電話したら出ない。奥さんから、実は倒れたと連絡が入る。南木と私とは互いにガン同士で、南木は再発もし、二人の師匠である神波史男という脚本家がいて、三人してガン友達でもあった。だが、二〇一二年に神波史男が亡くなり、その追悼の意味をも込めた本を私は出し、南木は、追悼のつもりで映画を作り上げた。その直後の死であった。この後の人生で彼を超える親友と言える人間に出会うのかはわからない。
 南木には、私が学校に通っていることを内緒にしていた。あとで教えて驚かそうと思っていたからである。一月に南木の監督した映画の試写会に呼ばれるも、学校と試験勉強とでそれどころではない。そのさなかに父が死に、三月今度は何と南木までが倒れた。
 年齢を重ねてしまうと、伝えたい恩師が消えていく。先輩や親は、当然順番として自分よりも先に旅立っていく。何事かを成すにしても、早く成さなければ、墓前にしか報告できない。南木と私との師は二〇一三年に急死し、父も逝き、まさか、一番報告したい相手であるところの南木までが先を行くのか。
 現在も活躍している、していないにかかわらず、生き、闘い続けている者は、必然的に、同期の青春を生きた者たちの死を、フェイドアウトしていった友の無念を引き受けてもいる存在であるわけだ。では、引き受けて、いったい何ができるのか。さっさとリタイヤした私を咎めるがごとくに、南木は倒れた。そして四月四日に往く。四九歳。
 南木は死後に監督作品『ニート・オブ・ザ・デッド』が公開され、遺稿集も出版された。私が編集した『遺徳~一路夢路を駆け抜けた銀の宇宙のオメガマン~』(南木顕生年譜)は、国会図書館と国立フィルムセンターで誰でも読むことができるようになっている。
 戦後文学が、戦死者の遺志を継ぎ、友や家族の戦死に対するレクイエムの表現であったように、安保闘争もまた樺美智子や岸上大作、高野悦子までを含め、死を一つの象徴として掲げる闘いとして動機づけられた。伝えるべき恩師がいない。そして同志の無念を抱いている。
 学校に通いながら、試験勉強と新しい仲間たちとのさまざまな人生の交差点的な付き合いの中で、めまぐるしく日々が過ぎた。
 学校の同窓生は、年齢が高い(入校資格自体が四五歳以上)せいもあって、身近な死を経験し、また在校中にも弟や親の死が重なっていった。親の死に目にも会えないのか。実は、売れている俳優や忙しい企業経営者などとは違って、生活に追われて、試験に追われて、金もなく、義理を欠かざるを得ない者が多い。表だって口にすることは憚られるが。
 南木顕生の追悼原稿を雑誌に書いたのが、死の一週間後で、二週間後に、消防設備士乙6類試験があった。自信があったので、学校で先生にもクラスの皆にも「合格だ」と言い張っていた。
 だが、落ちる。連載原稿や雑誌のインタビュー記事は続き、週刊誌から自身が取材を受ける。そして六月一日に、最重要である試験「第二種電気工事士学科試験」がある。その一週後の八日に、南木顕生を偲ぶ会・配布用年譜入稿し、準備を重ねて二八日に、「偲ぶ会」の司会をした。その後も原稿や試験ののち学校を卒業するが、三カ月間就職活動に落ちまくって、焦りに焦って、ろくでもないところに就職する。
 南木のほかに、もう一人いた親友(南木の倒れた日に電話した相手)は、翌二〇一五年の六月六日に亡くなった。五一歳の突然死だった。自宅マンションの駐輪場で倒れているのを夜一〇時発見される。死の一週間前に映画『ビリギャル』を二人で観た。
 五年たった今でも、南木の死を未だに把握しきれてはいない。私なりの本を出そうとしてたくさんの原稿を抱え、紡いではみるものの、後ろから生活と人生が追いかけてきて、新たな病と、会社でのパワハラとサイコパスまでが追いかけてきて、果たせずにいる。
 このまま死ぬつもりはないけれども、世の儚さと生きる無念さとが重々しつこく被さってきて、かつ味わいながら生きている状態だ。今日もビル管ブルースの阿鼻叫喚を聞きながら……。
(建築物管理)







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