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評者◆編集部
こどもの本棚
No.3410 ・ 2019年08月03日




被爆者の記憶を高校生が絵に記録
▼平和のバトン――広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶 
▼弓狩匡純 著/広島平和記念資料館 協力
 一九四五年八月六日。ヒロシマに原爆が投下されたあの日から、七四年目の夏がやってきます。被爆者はますます高齢化し、当時の記憶を証言する人びとも年々少なくなっています。被爆者の体験や記憶を、どのようにして未来の世代に伝えていくか。「平和のバトン」をどのようにリレーしていくか。この本は、被爆者の証言を聞き、絵画制作をとおしてこの課題に取り組みつづける高校生たちの物語です。
 広島県立基町高校の創造表現コースにかよう生徒たちは、二〇〇七年からはじまった「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトに参加して、被爆体験証言者の話をもとに絵を描いてきました。プロジェクトの開始から十年余り、描かれた絵の数は二〇一八年夏の段階で一三四点にのぼります。これまで四〇人の被爆体験証言者の話を、一一一名の生徒たちが描いてきたそうです。
 被爆体験証言者の方々は、「このままでは、原爆のことが忘れられてしまう」という危機感から、勇気を振りしぼって高校生たちに語ってきました。容易に語り出すことのできる記憶ではありません。この本にもありますが、生き残ったことの後ろめたさに苦しみ、親友を見捨てて逃げたという罪の意識にさいなまれた被爆者もいます。それでも、亡くなった親友や同級生、家族や知人を悼み、供養する思いで、壮絶な体験を語り出した方がたがいます。
 高校生たちは証言を聞きながら、ほんとうにそんなひどいことが起こったのかと、なかなか信じられず、実感もわきません。絵にしていくことの難しさは、記憶を受けとめ、さらに語りついでいこうとする者が直面する難しさでもあります。知らないことばかり、わからないことばかりで、高校生たちはひとつひとつ、話をくわしく聞いたり、資料にあたったり、図書館で調べたりしながら、証言をもとに描いていきました。被爆者の記憶を若い世代が記録していく大切なプロセスが、この本から見えてきます。
 「原爆も、戦争も知らない高校生たちが、被爆体験を聞くだけに留まらず、当時の凄惨な情景を自らの作品としてよみがえらせるこうした取り組みは、被爆地の広島でもこ
れまで前例がありませんでした」と著者は書いています。そして、たとえば原爆が爆発したときに発した光の色を、ある証言者は「真っ赤」だったといい、別の被爆者は「白かった」と記憶していますが、同校の創造表現コースの橋本一貫先生は、それぞれの被爆者が記憶している情景を忠実に再現することが基本だと語っています。高校生たちは想像にまかせて勝手に描くことはできません。証言を絵で表現する作業は、語り手と描き手との二人三脚の作業であり、それが平和のバトンという、この本のタイトルの核心なのだと思います。
 巻末には、「ズッコケ三人組」シリーズで広く知られる児童文学作家の那須正幹さんが、「絵画の力」という一文を寄せています。那須さんは三歳で被爆し、同校の卒業生でもありますが、高校生たちが「被爆者とともに、あの日にタイムスリップすることにより、よりリアルな絵画が生まれたのだと思います」と書いています。那須さんもいうとおり、それは被爆の記憶を記録にとどめるというプロジェクトの成果です。この夏、一人でも多くの読者に読んでいただきたい一冊です。(6・27刊、四六判一六〇頁・本体一五〇〇円・くもん出版)


ナマコの不思議を解き明かします
▼ナマコ天国 ▼本川達雄 作/こしだミカ 絵
 沖縄の海辺にゴロゴロころがっている、黒いかたまり。そう、ナマコです。手にとってみると、カチンコチンにかたくなり、ゴシゴシこすってみると、ドロドロにとけてしまう。でも、数週間でもとのすがたに! 二つに切っても、二ひきになるだけです。いったい、なんだ、この不死身のいきものは……。そんなナマコのひみつをときあかしてくれるのが、この絵本です。
 ナマコは棘皮動物の一種で、ウにやヒトデ、クモヒトデ、ウミユリと同じなかまだそうです。皮の硬さが変わるのが、大きな特徴です。世界には一五〇〇種、日本だけでも約二〇〇種のナマコがいるんだって。でも、よくよく見てもわからないのが、どこが頭で、どこがお尻なのかっていうこと。いったい、ナマコはどちらが前なのか?
 ひっくりかえして下からみると、口と触手があります。管足とよばれる足は一〇〇〇本、骨は二〇〇〇万個もあるんですって。重いナマコは五キロ、長いもので四メートル五〇センチにもなるそうです。
 変幻自在に見えるナマコですが、生きる知恵に満ちているんですよ。さっき、さわるとカチンコチンになるといったでしょう。敵がおそってきたら、そうやって身を守るわけです。そしてまた、ドロドロにとけてしまう。そうやって攻撃をかわして、また再生するんですよ。それに、人間には効かないけれども、有毒でもある。岩にゴシゴシこすりつけると毒がでてきて、まわりの魚を動けなくする。そうして捕まえるんだって。
 ナマコはほんとうに謎だらけです。気味悪がってばかりいないで、その謎を解く絵本を開いてみてはいかがでしょう。古くからナマコを食べてきた私たちにとって、ナマコの生態は驚きの連続ですよ。(6月刊、28cm×22cm四四頁・本体一六〇〇円・偕成社)


地獄と極楽はシーソーのよう
▼じごく ごくらく こころノート 
▼くら田たまえ 作/全興寺 企画監修
 全興寺というお寺を知っていますか? 大阪市平野区にある高野山真言宗のお寺で、「地獄堂」と「ほとけのくに」があり、地獄と極楽の双方を体感することができるお寺としてつとに有名です。この絵本は、全興寺の住職さんが子どもたちに地獄と極楽の教えをやさしく解き明かした、昔からの説法のお話を、創作人形作家のくら田たまえさんがまとめたものです。
 地獄と極楽は、対極的な世界におもえるかもしれません。でも、地獄のこころと極楽のこころは、シーソーのように上になったり、下になったりしているのかもしれない、といいます。大切なのは、他者をおもいやり、感謝するこころです。
 たとえば、地獄でも極楽でも、食事のときは長い箸で同じごちそうを食べるんですよ。ちがうのは、自分のこころがまえです。地獄では、自分さえよければいいと、ごちそうを我先にと食べようとし、他者とけんかをしてしまいます。でも極楽では、お互いに食べさせあって、おいしく食事をいただきます。けんかなどなく、みんなニコニコとしながらの食事です。つまり、他者を思いやり、おいしい食事に感謝するこころがあれば、自分も、周りの他者も幸せになるのです。
 おもしろいのは、この絵本の最後にある「極楽度・地獄度チェック」です。極楽への道は、感謝して真剣に努力する、義務も責任も進んで果たす、親切で人のためによく尽くす、何事も善意に解釈する、常に反省し素直に改める恥を知り恩を大切にする……と続きます。地獄への道は、絶えず不満や愚痴が多い、やる気がなく無責任、陰口悪口が好きで和を乱す、すぐに腹を立て人に迷惑をかける、利己的きままで自分かって、欲が深く自惚れが強い……というぐあい。なんだか自分に思い当たるふしがところどころにある。極楽度と地獄度がまるでシーソーのように上へ下へとゆれうごく感じがします。
 さて、この度数を判定するのは閻魔大王。「どちらが多いかな? 正直に答えなさい」という言葉の前に、嘘はつけません。まるで人生そのもの、シーソーゲームのように転ぶすごろくのようです。「悪いことをすれば、必ず自分自身に返ってくる」。住職さんの教えが、胸に迫ってきます。さて、あなたもこの絵本で、地獄度、極楽度をはかってみましょう。(7月刊、A4変型判三四頁・本体一五〇〇円・風濤社)


気もちと上手につきあうには
▼気もちのリテラシー――「わたし」と世界をつなぐ12の感情 
▼八巻香織 著/イワシタレイナ 絵
 気もちとどうつきあうか? 私たちにとって、とても難しいテーマですね。どうにもならない気もち、抑えきれない気もち、やりばのない気もち……。これほどあつかいにくく、どうにもならないものはありません。さびしい、不安だ、疲れた、悲しい、怖い、悲しい、恥ずかしい……。気もちは変幻自在で、どうしてもコントロールができないと嘆いたり、苦しんだりすることが多くありませんか? ああ、なんだか否定的な気もちばかりをあげましたけれども、楽しい、うれしい、いとおしいなど、心が高まったり、温かくなるような大事な気もちも忘れてはいけませんね。
 この本は、「気もちのリテラシー」を高め、気もちとのつきあい方を見直して、よりよい世界へと風穴を開けていくための本です。
 まずは、一二の感情とのつきあい方が説かれています。さびしい、不安、おそれ、緊張、疲れた、はずかしい、怒り、かなしい、いや・NO、すき、たのしい、うれしい。それぞれの感情がどんなふうに生まれ、どういう意味をもっているのか、それとどうつきあうか――。一つひとつ、とても丁寧に解説がなされていて、思いつめてにっちもさっちもいかなくなった自分を、ときほぐしてくれます。
 気もちには、感情と欲求があるといいます。さびしい、ではどうしたい? 疲れた、ではどうしてほしい? そんなふうに、感情と欲求とには、呼応する関係があるのですね。
 気もちとつきあうことは、自分自身とつきあうこと、この世界とつきあうことへとひろがっていく。著者はそう書いています。だから、自分の内なる声を抑圧したりせずに、大切にすること。暴力は気もちのリテラシーの最大の敵です。自分の感情を認め、受けとめて、表現すること。これが気もちのリテラシーの中身なのです。
 この本の巻末には、気もちとうまくつきあうための、感情タロットとトランプminiが付録についています。それを使って遊ぶことで、気もちのリテラシーはいっそう高まりますよ。(6・30刊、A5判一二八頁・本体一七〇〇円・太郎次郎社エディタス)


森のなかでふれるやさしさ
▼木はいつもだめといった 
▼むらかみひろこ 文/レオ・プライス 作・絵
 ながく愛され、読みつがれてきたロングセラーの絵本をここで紹介します。
 緑の森のまんなかに、大きな木がありました。この木は、自分が森でいちばんりっぱだと信じていて、とてもプライドが高く、いつもいばってばかりいました。ちょっとこわくて、誰も近づくことができません。そんなある日、この大きな木をふるえあがらせる事件がおきます。じぶんひとりで生きていけると思いこんでいた木が、ゆらぐような出来事です。それは、それは、たいへんなことがおきました。種明かしはできませんが、事件をきっかけにこの木は、それまで「だめ」と追い払ってきた動物たちの、やさしさを知るのです。おたがい森のなかで助け合いながら、みんな生きている。そのことの大切さを伝える絵本です。(82・7・5刊、24cm×19cm三四頁・本体一二〇〇円・女子パウロ会)


おばあちゃんと暮らした日々
▼おばあちゃんがやってきた
▼重本あき子 文/やまなかももこ 絵
 骨折して車いすに乗るようになった、おばあちゃん。といっしょに住むことになった、ぼく。この絵本は、核家族だったぼくの家で、おばあちゃんの介護生活をともにした、ぼくの見たくらしをえがいた一冊です。いま、とても切実なテーマで、おもわず引き込まれてしまいます。
 家にはケアマネージャーや看護師さん、ヘルパーさんがやってきて、おばあちゃんの介護をしています。おばあちゃんはデイサービスをうけていて、ぼくは見ること、きくこと驚きの連続です。でも、おばあちゃんがいることで、昔の話をきいたり、甘えたり、たのしい日々が続きました。
 でも、おばあちゃんは骨折して、寝たきりになってしまいます。そして……。
 おばあちゃんとすごした日々をとおして、ぼくが成長していく過程はとても魅力的。そんな姿を描いた絵本、おすすめです。(2・15刊、A4変型判三二頁・本体一四〇〇円・新日本出版社)







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