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評者◆凪一木
その8 殺されかねない職場
No.3409 ・ 2019年07月27日




■新元号「令和」の発表される三日前、「技能実習生九〇五二人失踪、違法労働疑いで七二一人」という記事が目に飛び込んできた。
 五年間で死亡例が一七一件あり、その内訳は、事故死八一件、病死五九件、自殺一七件、殺人・傷害致死事件九件で、これらが九七%を占める。つまりは労働環境による「死」なのだ。
 震災時にも治安がいいとか「おもてなし」などと海外から褒められる日本だが、実態はどうなのか。外国人を差別し、死に追いやっている日本人がいることも確かで、これが日本人にもその矛先が向かないはずはないのである。
 その対象は、より差別されるであろう低学歴や、低技術者、コミュニケーション能力不足の者や高年齢者であり、ロックオンされてしまったら、明らかに「やられる」わけである。
 新入社員が入ってきた。地方の国立大学工学部を出て新卒で入った会社を辞めてからは、就職難の波に揉まれて、流れ着いたのがビルメンの世界、現在三五歳で、ビル管理五年目である。工学部卒なので彼の名前を仮に、工チャンとする。
 工チャンの最初に入った会社が悪かった。悪名高きIメンテ(仮名)だった。私の会社が二社目ということになる。大した会社でないにもかかわらず、Iメンテに比べて、別世界だという。
 私もまたそうだった。私の場合は、フル回転のパワハラで、六人定員の部署で、入れ替わり立ち替わり年間一四人が辞めた。一年以上務められたのは、私と同時に入ったもう一人の元工場長をやっていた男だけである。元工場長は、子供が二歳とまだ小さかった。失職して離婚し、現在のフィリピン妻とは再婚だ。それらの事情もあって、辞めるわけにはいかなかった。私が「続いた」理由は、「経験もまた書くネタだ」という腹ヅもりで、もう一人の自分がいたためであろうと考える。
 だが、あんなことを続けていると、「もう一人の自分」がどんどんと分裂していき、ビリー・ミリガンのような多重人格に陥っていたかもしれない。或る人物は、何度殺そうと思ったか分からないし、今書いているこの時も、絶対にあいつを許さないという気持ちは全く消えていない。
 だが工チャンの話を聞いていると、それ以上に頭に来る。
 Iメンテは下請けで、その元請けは常に決まっている。S不動産で、某財閥の系列会社である。その財閥系の中核会社社員は、OB訪問で訪れた就職活動中の女子大生にわいせつ行為で逮捕されている。
 ガチガチの型に嵌まった構図で、最下層は身動きの取りようがない。そういう仕組みを、ビルメン初心者や、業界にいても、世相に疎かったり、労働基準意識に乏しかったりする者を狙い撃ちして、未経験、無資格の者を平気で雇う。
 いまの会社の現場に、私の会社からの派遣は六人いるが、そのうちの一人は、このIメンテにいた。三か月で辞めたが、同じ話をしていた。そして工チャンがやってきた。
 このIメンテは、かつて私も、面接に行った会社である。幸か不幸か落とされた。その時の面接で、妙に思った会話がある。この話は、次回書く。
 同時期に面接に行った友人のサンタロー(彼は、別のビルメン会社に入り死亡した)にも聞いたら、同じ話をしていた。サンタローも落とされたが、それでも、私もサンタローも行くところがなく、生活の状況も必死であり、もし通っていたら、おそらくその会社に入社し、働いていただろう。
 当時のことを思い出しながら、そう妻と話す。
 「今頃どうなっていたんだろうねえ」
 それは地獄への道で、不安定狭心症の私は、おそらく今はもう、この世にはいないのではないか。それを考えるとぞっとする。しかし、私だけの問題ではない。
 実はIメンテと書くだけで、ビルメン業界の人ならば、すぐに、「ああ、あそこか」と分かる、そういう会社である。今いる現場六人のうち、実は四人がIメンテの面接に行っていたのだ。皆分からずに受けたのは、当時はまだ“業界の人”ではなかったからである。つまり、Iメンテ社員は、ビル管世界を知らぬ者の集団であった。それ以外の社員は、もっと別の事情で、そこにいる。
 一日二四時間勤務は、この世界の現場では当たり前にある常識だ。ただし、当然のごとくに、労働基準法に則っているというのが建前だ。ところが、Iメンテでの二四時間勤務の内訳は、昼一二時からと夕方一八時からの食事休憩以外は、九時から翌朝の九時までブッ通し二二時間勤務である。そして有休消化は四年間でゼロ。手取り一五万で、なおかつ「必ず元請けが決まっている会社の」S住宅社員のパワハラがある。細かいクレームの嵐で、Sのさらに上の同じSグループにお伺いを立てて、無駄な巡回を一日に何回も繰り返す。
 この業界は、ビルは近代ビルの最先端で、仕事の中身は古生代の代物で、通信で言うと、ビルのオーナー会社が「光」で、元請け会社が「ADSL」で、下請け会社は明らかに「ダイヤルアップ」。自動車と自転車と徒歩が同居したような、いや、BSCS放送と地上波、そしてわれわれ下請けはラジオといった状態だ。
 Iメンテの場合は、それが鉱石ラジオというわけだ。「ビルメンテナンス」の名を掲げながら、実態は設備ではない。募集は「設備」と謳い、また完全に設備で募集しているように見えるのだが(だから私も、私の友達も設備の学校を出て応募した)、入社すると、警備業の社員が必ず行う現任教育を一〇三時間受けさせられ、また、その二四時間勤務の現場では、常に警備服を着せられるのである。元設備員にとっては、屈辱だという者もいる。
 そして布団も仮眠室もないので、睡眠自体が存在しない。もう、完全に警備ではないか。しかも警備だって、最もひどいクラスの現場を私は知っているが、そこでも仮眠時間は三時間ある。まともな「分別のある」人間ほど早く辞めていく、という。行くところのない人ばかりが残っている。
 国立大卒なのに、一度レールから外れた青森生まれで青森育ちの世間知らずの工チャンは、Iメンテに、なんと四年もいたのである。
(建築物管理)







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