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評者◆平井倫行
白夜の浅瀬で眠らせて――「内田あぐり ―化身、あるいは残丘」展(@武蔵野美術大学美術館・図書館、2019年5月20日~6月16日)
No.3406 ・ 2019年07月06日




■ある砂浜の油でり――幼い私は波打ちぎわにはかない砂の城を築いていた。
松田修『刺青・性・死』

 夜更けの海岸に立ち、変わりゆく波の形を夢中でデッサンする一人の女がいる。
 さる五月二十日から六月十六日の期間、現代日本画を代表する画家・内田あぐりの退任を記念する展覧会が、武蔵野美術大学にて開催されていた。
 本展示は、内田の学生時代から現在に到るまでの、およそ五十年におよぶ画業を通覧し、その活動を概括するものであり、展示室にひしめく近年の大型作品や、具象表現に人間情念の実態を模索していた初期の肖像作例など、画家の制作全体を基底する過去と現在という時間、その等身大の人間性の本質に、内田作品の未来への展望と変遷の可能性を縒り合わせる、実にスリリングな試みであった。
 わけても、本展に向け制作された縦7メートルを超える新作《残丘―あくがれ》は、会場内、一際衆人の目を引くモニュメンタルな性質を具備し、独特な存在感のもとに屹立したそれはまさしく、画家の現在における一つの「到達点」を象徴する、荘厳なオベリスクであったといってよいであろう。
 その活動の根底において一貫して「人間」の諸相、なかんずく「身体」を重要主題と想定してきた内田にとって、創作過程における素描、動的な運動性を描き留めたドローイングは、本画制作のための準備段階や、また技術的な修練をのみ志向した二次・補足的なスケッチではなく、むしろ思考を直截に表現することを可能とする、極めて重要かつ主目的な表現形式と認識されている。そこにおいて把握された「瞬間性」としての「描線」は画家の意識の深層に蓄積され、時間の新旧を超えた往還、反芻の末に濾過・純化されることで、絶えず新たなものへと「更新」されていく。内田の画業とはいわば、そうした偶然性の集積を意味のある必然(性)へと読みかえていくための転換点、創作上の反転の「座標」を把捉する無数の試行錯誤、知的考察の実践であり、その膨大さにより召喚されるべき不可視のイメージを「見えるようにするため」の営為は、その意味では誠に愚直、かつ地道な考古学考証にも似た、クロノロジカルな掘削の「不断の経緯」である、といい得るのかもしれない。
 本展新作の制作にあたり内田は、実に二十年という広範な期間に描き溜められたドローイング群より、その構想の基礎を設計していることが、直前までの調査によって明らかとなっている。
 その主なモティーフとなったのは、画家が三十年近くも毎日見、親しんでいる、神奈川県葉山にあるアトリエのそばを流れる下山川であり、画面を包む鮮翠色の水の印象に溶け込んだ数多の人物デッサンは、有機的な流体のフォルムへと併合・誘引され、重層的空間構成のもと織りなされた具象と抽象の狭間に、化石・結晶化しているのである。
 「残丘」という名詞は地質学的にいうと、岩盤や地盤の堅牢な部分が、時間の侵食作用に耐えて残り、山や丘のように隆起した地形を指すものと定義される。
 画家本人の考えにしたがうならば、内田にとっては人間もまた自然(物)の一部であり、またその逆に、自然も人間の形態と照応し合う巨大な身体として、地層のごとく堆積し、解体・再構成の末に形を変え、常に捉えなおされるものと認識されており、その変容の最中に様々な記憶や想い、風景を構成する物質・心
的な要素が混合する。
 歴史的にみて身体に対する強い主題的な関心を有さぬ我国の伝統において、肉体の死や闇、崩壊や暗黒へと向けられた内田の偏執なまでの視線は、別面極めて異質、かつ稀有なものというべきであるも、その実画家において追究されてきたのは、東洋の精神風土に顕著な美的水平性に基づいた時間構造に立ち上がる「特権的瞬間」、垂直的な時間構造の「線的な」回収であり、それは「永遠の相」として固定された身体を理想の造形主題と想定した西洋流の認識とは異なる「うつろいゆく相」においてしかし顕現され得るかもしれないもう一つの可能性、「無常にして永遠なる身体」という、人体把握の解釈における、二様の「振幅」であると看做すことも出来るであろう。
 さにあらぬか、今回新作の最上部に描画された蹲る女性の左側面には、うっすらと影のように寄り添う、刺青にも相似した、一筋の骸骨が氷結しているのである。

 「本画は破ることがあるがドローイングは捨てられない」

 このように述べる画家はまた「そういうことの積み重ねの結果がいつかタブローに繋がっていく」と発言しており、これは内田が単純な結果や成果以上に、その過程をこそ重視し、そしてそこに、優れた必然として結ばれる「いつか」という創造の可能性を、強く信仰していることをも意味していよう。
 「素晴らしき瞬間だけ」がある。
 しかし人が記憶(過去)を留め、未来(今日)に向き合い続ける限り、「その瞬間は過ぎ去らない」。
 だから画家の「残丘」は、これからも変化をし続けていくことであろう。
 内田のここに到る画業を寿ぐと共に、その退任と、以後更に歩まれん創造の果てしなき道程に、心からの祝福を贈りたい。
(刺青研究)







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