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評者◆凪一木
その1 アリになれないブルース
No.3402 ・ 2019年06月08日
■「凪さんは、この仕事をやって、どのくらいになりますか?」
「五年です」 そもそも私、凪一木が、なぜ今の、この貧しくて、身動きの取れない状態になったのか。 あれは六年前。 五一歳の誕生日の朝の寝覚めのひとときである。 一通のメールが届く。 妻からだ。「誕生日おめでとう」……。 だが、その後がいけない。「働け」と書いてある。 「お金がありません。今月末の家賃の引き落としの金額も、通帳に残っていません」 誕生日は二〇日である。 月末までといったら、あと一一日間ではないか。 この夫へのダメ出しが、そもそもの始まりである。 「アリとキリギリス」という物語がある。 イソップ童話の一つとされている。 夏の間、のんきにバイオリンを弾くだけで、キリギリスは冬の生活の準備をしない。 一方のアリは、せっせと働き、キリギリスに馬鹿にされている。 夏が終わり、秋も過ぎ、冬が来る。 夏の間、怠けていたキリギリスは食べる物がない。 困り果てたキリギリスは、アリの家を訪ねる。 「食糧を恵んでください」 「なぜ食べ物がないのだ」 「夏の間、歌を歌ってばかりいたからです」 「夏の間、歌を歌っていたのだから、冬は、踊っていればいいではないか」 キリギリスは途方に暮れて、夏の間じゅう怠けていたことを後悔しながら餓死する。 大抵がそんな話だ。 別の結末もある。 波多野勤子監修『イソップ物語』(小学館)には、こうある。 〈「さあ、遠慮なく食べてください。元気になって、ことしの夏も楽しい歌をきかせてもらいたいね……」キリギリスは、うれし涙をポロポロこぼしました。〉 この物語では、働く者と歌を歌う者とが共存する。 アリ(働くだけの者)ばかりの世の中では、なんの癒しもなく、潤いも、彩りも、飾りも、まして華やかさもない。という考え方であろうか。 芸術や娯楽提供者の必要性、もっと言うと、そこまで価値がなくとも、人を和ませ、楽しませる存在の重要性を一面では認めているラストともいえる。 そんな作家だらけの許される世の中なら、私も生きていけたであろうか。 作家だけが構成人員である社会などあるはずもない。 「夏の間、歌を歌っていたのだから、冬は、踊っていればいいではないか」 これに対して、こう答えるラストもあるという。 「歌うべき歌は歌い尽くした。きみたちは、私の亡骸を食べて、生き延びればいい」 芸術家の本望か。 私は妻に対し、こう答えた。 「お金がなければ、霞を食えば良い。“パンがなければケーキを食べればいい”と、マリー・アントワネットも言っているし」 「そうね。わかったわ」 妻も了承する。 などという展開にはもちろんならない。 先ずは、どこからお金を借りようか、どこに借りに行こうか、というところから、五一歳の第一日が始まった。 キリギリスにはなれなかった。だが、アリになることは絶対に嫌だ。 私が歌を歌ってばかり生きてきたのは確かだ。 アリにお金を援助してもらえるほどの歌ではなかったのであろう。 歌がお金になる人もいるし、ロクでもない歌でも、お金を持っている人間(スポンサー、パトロン)の耳がおかしい場合もある。愚痴を言ってもしょうがない。 まずは歌うことを辞める。 歌わない。働く。はたらく。ハタラク。 だけど歌は忘れない。 これが私の五一歳の原点である。 いや、原点であった。 実はもう、今や歌など忘れかけているのである。 アリの普段の生活は、「セコい」としか言いようがないのは、かつてキリギリスであった私からすると、まさにそうだ。繰り返すが、アリになど絶対になりたくない。 しかし、調子よく生きているキリギリスの、いざという時の「セコさ」と言ったら、砂漠じゅうのアリを掻き集めても太刀打ちできないほどの、超情けないセコさなのである。 そのことを今、思い知らされている。 アリとなった今まさに、アリでありながら、キリギリス時代のセコさに始終、何事かあるごとに襲われ、痛感している。 サラリーマンと独立人・自由人の生き方をたとえて、「堅気かヤクザか」などと、かつて私はうそぶいていたが、堅気になったからといって、いきなり働き始めても、昔からアリだった人々と同じ扱いにさせてもらえるわけではない。むしろアリとしては、遅れてきたピッカピカの一年生でしかない。やっと掴んだ正社員。交通費を除いた給料は、手取り一七万九〇〇〇円。これが五年働いてのたった今の月給であり、この会社にいる限りは、永遠に増えない。資格手当ゼロ、昇給なし、話し合いの余地もない。心細さはキリギリス時代の冬とそうそう変わらない。怪我はもちろん、病気一つ出来やしない。 街を歩いている。 いきなりズキンと来る。歯だ。歯が痛い。どうしよう。歯科医に通うとなると、お金が掛かる。少々のお金があれば、どうってことはない。だけどギリギリで生きているということは、予定外のズキンは、これはもう大事件だ。歯のズキン一発で、肝っ玉も、別の玉も、冷え切って縮み上がる。 ズキン一発、数万円。昔、アッと思ったら八〇〇〇円という事例があった。 北海道は、部屋の中にある水道管が、ストーブを消すと、管内の水が凍って膨張し破裂する。そこで掛かるお金が、当時(約三五年前)八〇〇〇円だ。 一人住まいだったから、朝、部屋を出る時に、当然ストーブを消す。この時、水道管の中の水を空にしてから外に出ていかなければ、破裂して八〇〇〇円となるのだ。水道の蛇口から、思いっきり息を吹き込み、管内の水を吹き出し空にする。この作業を忘れると、アウトだ。 たとえば会社に出勤途中の電車内で気付く。戻って遅刻をしてでも八〇〇〇円の被害を防ぐか。それとも、そのまま電車に揺られるか。 キリギリスの感覚では、絶対に戻る。このことによってアリの生活の持続にひびが入る。 だがアリ一年生の元キリギリスは、水道管を破裂させてその分の残業をすることを覚えていく。 一瞬のヒヤリで終わるキリギリス。アリにもなれず、さらにヒヤヒヤ。 初めてのルールに怯えながら、やっと始めた新しい歌が、このブルースである。 声が震えている。水道管を破裂させ続ける人々。この国はどうかしている。 (建築物管理) |
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