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評者◆秋竜山
大義名分のようなコーヒー、の巻
No.3387 ・ 2019年02月16日




■日本から喫茶店が無くなった、からって、どーなるもんでもないけど。喫茶店などというものがあった、なんていう人は古い人。新しい日本人は、「喫茶店て、なんですか?」なんていう。そんな日本になってしまった。まったく大笑いである。と、古い日本人はいうだろう。無くなってしまったのも時代のせいだろう。なんでもかんでも時代のせいにしてしまうことだ。別にコーヒー一杯分の値段が上がったわけではないだろう。もしかすると、そうかもしれないけど。はじめの頃はコーヒー代も、それなりに安かった。が段々と高くなっていって、そんな高いコーヒーを喫茶店でのむなんてバカらしくなってしまったのかもしれない。喫茶店へはいるということは別にコーヒーがのみたくてではなく、他の目的があったからであった。なのに、その目的よりかコーヒー代がバカらしくなってしまったというのも、いつわらざる理由かもしれない。喫茶店にはいると、とりあえず「コーヒー」を注文する。その、コーヒーものみたくてではなく、店内のテーブルの一つを自分のものにするためだ。喫茶店にはいって、テーブルにすわると、お冷が出される。そして、何になさいますかというような顔を店員がする。すかさず「コーヒー」を、たのむ。それで、そのテーブルは確保できたことになる。そのコーヒー代が高くなっていくあたりから、喫茶店という価値観にギモンをもちはじめるのであった。〽一杯のコーヒーから……なんて歌もあった。テーブルの上に大義名分のようなコーヒーがある。だから、口にはしない。のんでしまったら、店を出なくてはならないからであった。運ばれてきたコーヒーを、まず軽く一杯口にふくむ。「あったかいコーヒーをのみたいから……」であった。コーヒーの運命は、その後冷たくなって、のめるようなものではなくなったとしても、そのままにしておく。店によっては、早く出ていってほしいとばかりに、お茶を出したりする。もちろん出されたお茶はのむ。それくらい図々しくなかったら世の中をわたってはいけないようなものであった。
 諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』(NHKブックス、本体一〇二〇円)では、
 〈ニーチェによれば、一日のうち、三分の二以上の時間を自分のために持ってない人間は奴隷以外の何ものでもないのです。(略)まったく何のための人生か…。ニーチェの先の言葉は、しっかり噛みしめる必要があります。〉(本書より)
 これは、いつの時代でも通用しそうな格言であるだろう。つまり、仕事なんてつまらんことに時間をしばられるより、遊んで暮らすことである!! と、いう意味かしら。当時、私は、喫茶店文化といういいかたをするなら、〈孤独文化〉と、呼ぶべきではないだろうかと思った。なぜ、孤独文化というかというと、喫茶店のテーブルに座って、居眠りが多かったが、孤独をたのしむ場所はそこだけしかないと思った。たとえば、名曲喫茶などあったが、薄暗い店内に流れる名曲のクラシック音楽とは、そういうものであった。居眠り音楽といったらお叱りをうけるだろうか。そして、そもそも孤独というものは、そういうものであった。







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