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評者◆秋竜山
必要のないところで笑う日本人、の巻
No.3376 ・ 2018年11月24日
■アメリカ人は、「アハハハ」と、英語で笑う。それじゃあ、「アハハハ」と、笑う日本人は日本語で笑っているのか。なんて、子供の頃友達と話したものだった。
下重暁子『家族という病2』(幻冬舎新書、本体七八〇円)で、興味深かったのは、 〈アメリカの友人がいった。「日本人はなぜ同じところで笑うのか。誰かタクトを振っているみたいだ」音楽家らしい表現をした。私もずっと前から気になっていた。昼食を食べに行ったホテルのレストランで、奥様方が食事を終えて歓談中だ。奧の席から笑い声があがる。振り返ってながめると、一際華やかで目立つ女性が中心にいた。彼女が声をあげると、他の女性たちがいっせいに笑う。(略)喋り声や笑い声は外国人だって同じだ。互いに自分の意見をいい合って、自分が可笑しいと思ったところで笑うのだが、日本人はそろって笑うから目立つのだ。〉(本書より) たしかに、そーいうところがある。誰か、ひとこというと、いっせいにドッと笑う。はんのうするということである。そういう時間のやりとりの繰りかえしのようでもある。外国人は違って、それぞれペチャクチャやりあい、それぞれ自分勝手に「アハハハ」と、笑う。らしい。その場の雰囲気は外国人と日本人では大いに違ってくるだろう。外国人の笑いはバラバラであり、その場に笑いの要素がたくさんあるだろう。日本人の場合は一つの笑いということになる。外国人は、そんな日本人の笑いの場を不思議と思ったとして当然だろう。 日本人である私なども、日本人同士の集まりの中で日本的に笑っている。先輩の一人がペラペラ喋っているのを聞きいっている。それがエチケットというものか。そして、ここ一番というところで、いっせいにドッと笑う。そんな和の中で個人的のように二人で別の話をして、お互いに「アハハハ」と、笑ったとする。まわりのものは一瞬ギョッとする。「なんだ、和を乱して!!」と、いう目でみられることになる。高座の落語を客席で聞いている。そんな中でその落語に耳をかさないで二人で話しあう。そして、「アハハハ」と、笑った時と同じようなものかもしれない。 〈日本人の笑いを、曖昧な笑いと称した外国人がいたが、必要のないところで笑っている人は多い。日本人は異論を唱えることを良しとせず、人に同調する、和することが美徳だと思っている。本心では自分の意見と違っていても、表面的には笑顔をつくってごまかしている。心が同調していないから表面的な曖昧な笑いにならざるを得ない。日本人の笑いは、はっきり意見をいわないためのごまかしの技術。家庭内でもそれはまかり通っている。〉(本書より) 酒を飲みながら、みんなと違う笑いをすると、叱られることになる。「また、あいつ始まった」と、苦笑されるのである。その場は別の話でもりあがっているのに、二人で、「どう、最近おもしろい本を読んだかい」なんて話をしている。みんなから、「あっちへ行け」ということになるだろう。当然のことだろう。笑えぬ奴らだということになるのである。 |
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