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評者◆平井倫行
ボヘミアン・ラプソディ――神彌佐子個展「ソラワレル」(@東京九段耀画廊、九月一日~九日)
No.3374 ・ 2018年11月10日




■――天邪鬼の心持がやってきた。この心持を哲学は少しも認めてはいない。(中略)悪のためにのみ悪をしようとする、この不可解な切望
 エドガー・ポー『黒猫』(佐々木直次郎訳)

 ショーン・エリス監督の映画《ブロークン》は、そのシンメトリックかつ構築された描画により映し出される二重身、いわゆる「分身」の恐怖を冷感症的筆致から視覚した秀作であるが、一鑑賞者としてかねて興味深いと思っていたのは、本作が俗にいう探偵推理小説の祖にしてゴシック文学の巨匠エドガー・ポーの『ウィリアム・ウィルスン』末尾の台詞からの引用によって幕開けされている点で、これが、現代的洗練を通した王都ロンドンを舞台に展開する物語の背景に、どこかなぞらうべき古典的悲劇性、いうなれば、「古書的奇譚」とでも評すべき陰翳を添える、大きな要因となっているのであろう。
 本作の日本公開は今からおよそ十年前のことで、そのように考えるならば、この感想自体が随分と遅ればせな感想ではあるも、丁度九月頭、本連載第一回目にも取材をさせて頂いた日本画家・神彌佐子氏の個展に伺うために、大妻通りを傘をもたげつつ歩いていたおり考えていたのも、実にこうした古典的情緒性と新しい文脈との接続の問題であって、それはたとうれば、事物の裏側と、その表付けに関する「装幀(想定)」の問題でもあった。
 新しいものと古いもの、背後にあるものと実景するものとの狭間を隔てる覆いがたい差異、神氏の制作には、常にその境域にたゆたう混沌が充溢している。
 青森に住む叔母から届いた、とされる蚊帳を使用した今回の制作は、裂いた布地に色染めした和紙を幾層にも貼り、そこに顔料を落とすという手法によって生み出されたもので、平面作品とは違う空間的立体性を有した蚊帳の構成には実際、多くの加工工程が踏まえられつつも、しかし未だ「人の匂いや息遣い」といった生々しい印象が残存しており、ここには制作を「身体表現」と捉え、また今日に至るまでその創作行為の本質を一貫して生死の問題から描写してきた作家ならではの、強い肉体感情を読みとることが出来る。
 切り込む、開く、潜るなど、現実の「行為」を通して本作へと「関係」する時、それは反転した肉体を内側から侵すとも、あるいは閉ざされた身体を外側から開く行為とも限りなく隣接し、切断された皮膚を縫うごとき臍の緒の猥雑さは、葡萄の蜜を思わせる経血の色調によって、形づくられては壊され、また壊されては形づくられ、その生起せられる部分からは等しく、新たな免疫性を有した別個の秩序が浮上する。
 このせめぎ合う均衡、対峙、抵抗と調和は、崩壊を予感させる不定型の流脈の中に、日常と異常、快楽と痛み、生まれ出ることと死ぬこととの対立を幻惑するものとして、その交代・変動の容易さを、まさに「美醜」の問題として経験させる、一つの動的知性といってよいであろう。
 何かを破ることは自由を得ることであると同時に、不自由をも引き受けることである。
 このように述べる作家にとって、本展示のタイトル「ソラワレル」とはまた、「トラワレル」という語にも言葉として、意味として通じるもので、それは幼少期のある朝、家に迷い込んだ一匹の黒猫が家族に追い立てられ寝室に逃げ込んできた際、行き場を失った猫がついに縁側の窓硝子を破り外へと飛び出していった、という、忘れがたい記憶に由来した思考であるとされる。
 入ることと出ること、捕われることと逃げ出すこととの質的な差異は、その生存の価値論において神氏に、複雑に錯綜するものと影像されているようだ。

 「死は華やかであり、生は悲惨である」

 しかし「その逆も」、と付け加えることを作家は忘れない。
 内と外、外と内との対立は、事物の表裏における関係性の在り様として、鏡像の疑似態はこの時、弁証の詩学において、一度止揚される。ここで蚊帳は、あくまでもメタファーを生み出す装置として、現実に空間を隔てる皮膜に現象しながらも、あたかも虚実を別つスクリーンのように互いの価値を照合しつつ、その均衡を支持する相似の一方の優位性や価値の先行を無化するものと認識され、筆者が神氏の作品に、しばしば刺青にも通ずる独特な印象を感じるのは、恐らくこうした彼女の制作を基底する論理が、何かを「隔てる」という点に求められる一方、かく示現された「隔たり」は絶えず「自らの手で打ち破られるべきもの」として即座に「自己批判」を受けるという、ある種の禁欲主義によるものと思われる。
 「鏡が割れると七年の不幸が訪れる」という、古い信仰にも関与したものか、『ウィリアム・ウィルスン』が基本的に理解し易い「二重身(分身)」の問題と、そこに仮託されるもう一人の自分、自己を審判する他者としての倫理的影を主題とするものであったとして、しかし「実像よりも正しき存在として出現する影」を前に、鏡の両面、そのどちらが価値において是非の優劣を裁定するものであるかを決定付ける、絶対の根拠はない。
 この明晰の時代に、とはいえある価値の一方が正であり、あるいはその価値の反対が必ずしも負であるとは限らぬのを、我々は「すでに知っている」はずである。
 古いものと新しいものの価値もまた、無論「その逆も」、である。
(刺青研究)







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