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評者◆睡蓮みどり
傑作ぞろいのワールド・シネマ――第31回東京国際映画祭
No.3374 ・ 2018年11月10日
■ジムのお兄さんと絶望的に話が合わない。トレーニングのことはプロフェッショナルに教えてくれて、運動音痴な私にもとてもわかりやすいのだが、ちょっとした雑談のときが困る。大体は困ると天気の話か肩こりがひどいという話題で何とかやり過ごす。よほどコミュニケーション能力が低いやつだと思われているだろう。そのお兄さんがハロウィンの話題をふってきた。一度も参加したこともないし、今年もニュースでちらっと見たに過ぎない。アニメのキャラクターにも疎い。一応「仮装したんですか」と聞いてみるものの、特に興味がないという。しかし「自分は仮装はしないけど1時間だけ渋谷まで見にいった」と言うので驚く。あのような人混みのなか、彼は一体、どこからどんな表情で見ていたのだろう。それが異常に気になり、一度気になり出したら止まらなくなって、その日はあまりトレーニングに集中できなかった。
私が見かけたのはスパイダーマン一人だ。六本木の駅のホームでつまらなそうにケータイを見ていた。ハロウィンの最中、六本木TOHOシネマズ、EXシアターで開催中の東京国際映画祭(10月25日~11月3日開催)にせっせと通っていたせいか、仮装した人たちをほとんど見かけなかった。今年で第31回目になる。映画祭といえば華やかなイメージだが、舞台挨拶やパーティー以外はそんなお祭りモードでもなく割合、淡々としている。基本的に映画祭では海外の作品を見ることにしている。というのは、作品によってはこの映画祭で上映されても、必ずしもその後に日本で一般公開されるとは限らないからだ。配給が決まらなければ映画館では作品にお目にかかれない。 印象的だった作品をいくつか挙げてみる。タイから『ブラザー・オブ・ザ・イヤー』。韓国人の人気アイドル2PM(アイドルに疎くて全く知らず)のニックンが出ているのが一つの売りらしいのだが、役のなかで彼がタイ人の父と日本人の母をもつハーフということで、出身は日本だということになっている。決め台詞がたどたどしい日本語であるので(タイ語は非常に流暢)、どうしてもギャグにしか見えなくなってしまう。北九州で育った日本人という設定には日本語圏内に生きているとどうしても、違和感を覚えてしまう。そんなことを言ったら『お嬢さん』の日本語もかなりあやふやなところがあったが、だんだん慣れてきて何とも思わなくなった。とはいえしっかり者の妹と冴えない兄の姿を描くハートフルコメディなので、この違和感さえも楽しんだ方が勝ちだろう。 『靴ひも』はイスラエルの映画。母を亡くした発達障害を持つ35歳の息子ガディと、かつて彼らを捨てて出ていった父親との暮らしを描く。父のルーベンは腎不全を患っている。最初は息子との同居を拒んでいたルーベンだったが、次第に心を通わせていくようになる。不器用な父子の胸のうちが聞こえてくる。 パレスチナ、オランダ、ドイツ、メキシコ合作の『サラとサリームに関する報告書』は実話に基づく話なのである。イスラエル人女性サラとパレスチナ人男性のサリームのW不倫が、エルサレムを舞台に、勘違いにより政治的な事件だと見なされ、思わぬ方向に事態が大きくなっていく。人種の違い、宗教の違いが希薄な日本では不倫ドラマとしてはなかなか起こらないシチュエーション。不倫した側とされた側の女性同士がだんだんと互いに距離を変えていく様は胸に響く。 フランス映画『アマンダ』は、テロで不安が広がったパリが舞台となる。突然、テロで母親を失ってしまった少女アマンダと、若い叔父ダヴィッドの絶妙な距離感を魅せる。深い喪失感のなかで、彼らがどのように向き合い、進んでいくのか、丁寧に描いた本作。一般公募から選ばれた少女アマンダの表情はとても魅力的だ。人気俳優ヴァンサン・ラコストと恋人レナ役のステイシー・マーティンの繊細な感情の揺れにも胸を締め付けられる。 『世界の優しき無関心』はカザフスタンの映画。これにはかなり驚かされた。まず映像だけで、驚く。雄大な自然とそこに浮かび上がる印象的な色づかい。突然の父の死により、多額の借金が残され家が没落したサルタナットは、自分の身と引き換えに叔父の援助を受けるため都会に赴く。使用人のクアンドゥクは彼女と旅路を共にする。始終、印象的なサルタナットの赤いワンピースが黒いワンピースに変わる瞬間、それが何を意味するのか。映像で語る、まさに映画的映画。映像、音、全てにおいてセンスが良過ぎて思わず何度も震えた。この美しきハードボイルドは必見。アディルハン・イェルジャノフ監督は82年生まれの若手で、この先も世界的に注目される作家のひとりだ。 『堕ちた希望』は監督の出身地であるナポリ近郊の川沿いの街を舞台にしたイタリア映画。川沿いに暮らし、娼婦として生きる女性たちのダークサイドを描く。彼女たちは妊娠しても我が子を育てることはほとんど認められず、多くは産んだ赤ん坊もどこへ行ってしまうかわからない。主人公マリアの生きる世界には少しもぬるさがなく、隙がない。本当にこんな過酷な世界があるのだろうか、という気さえしてくる。ボルトゥルはかつて裕福な地だったという。現在は人口の約半分はアフリカ人であるとされており、ナイジェリアからやってきたマフィアが力を蔓延らせている。華やかな観光地や美味しいピザ、パスタとはかけ離れた過酷な世界が広がる。しかし訴えかけてくるマリアの切実さには力強い美しさが伴う。 ラヴ・ディアス監督といえば10時間以上にも及ぶ長編映画を撮っている怪物的作家であることで知られ(そのためなかなか映画祭以外、劇場で鑑賞の機会に巡り合いにくいのだが)、日本ではようやく一昨年、『立ち去った女』(2016)が劇場公開された。『悪魔の季節』は243分と4時間ほどの大長編。監督自らが作った歌で登場人物たちは言葉を交わす。独裁者ナルシスの下、暴力に溢れかえった村。彼を賛美する軍人たちは、村人を従わせることしか考えない。罪をでっち上げられた人々の抵抗の歌でもあり、嘆きの歌でもある。繰り返される歌は耳に張り付き、神経に揺さぶりかけてくる。モノクロの画面のなかで登場人物たちはあまり動かない。妻をひどい仕打ちののちに殺害された詩人フーゴの言葉は「この国には必要ない」とされ、文字通り前後に二つの顔を持つナルシスの怒号のようなスピーチには意味などない。長時間に及ぶ人々の嘆きが悲痛なのは、それが死をもってしか終わらないからである。フーゴは「暗闇の中でできるのは希望を抱き続けることだけ」と歌うが、彼は最後、究極の選択を迫られる。この作品は1970年代後半のマルコス政権支配によって虐げられた人々を悼んでいる。この4時間近い経験のラストに見出されるものが何であるのか、最後まで目を背けることができない。ぜひ劇場公開してほしい作品である。 (女優・文筆家) |
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