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評者◆藤田直哉
一九八四年の保守論壇 (二)――重要な分水嶺は、「事実」を尊重しようとする態度の有無にあったのではないか
No.3372 ・ 2018年10月27日




■『諸君!』は、一九八四年、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』にあやかったキャンペーンを行った。その論調に深い影響を与えたのが「グループ一九八四年」である。グループ一九八四年は、七〇年代に『日本の自殺』『現代の魔女狩り』を『文藝春秋』で発表し、話題となった。率いていたのは香山健一である。本稿では、グループ一九八四年名義のものも、香山の文章と見做して論じることにする。
 香山健一は、社会工学者・情報社会論者である。かつて共産主義者同盟を結成したことで知られる。「未来学」に携わり、後に共産党批判を行う保守論壇のスターとなる。一九八四年には、中曽根内閣で委員を務め、ブレーンとなる。そのころ香山が携わっていた研究の内容は、大蔵省から委託された研究を『高度情報社会のパラダイム』として刊行していることから窺い知れる。彼の保守論壇での新聞批判や歴史教科書問題、『一九八四年』への言及は、その情報社会論と不可分に結びついている。
 一九八四年に香山は、以下の文章を発表している。『文藝春秋』に長編評論「〓1984年〓の真実と幻 ジョージ・オーウェルの世界を検証する」、『諸君!』に「〓1984年〓の朝日新聞」「社会党・石橋委員長の二重思考」。
 彼の保守論壇への影響は、一九七五年に発表した「グループ一九八四年」名義の『日本の自殺』『現代の魔女狩り』が大きい。山本七平や小室直樹、渡部昇一など、この年の保守論壇のスターに引用され、引き継がれているのがその根拠である。そのロジックは現在にまで影響を及ぼしているように思われる。よって、この内容を検討してみたい。
 両方の著作は、当時の日本社会を「二分間憎悪」=「魔女狩り」をする社会であると分析している。「魔女狩り」の対象になっているのは、公害企業、自動車産業、総合商社だと言われる(後に、田中角栄も魔女狩りのターゲットになっていると主張し、山本、小室らが同調する)。
 「二分間憎悪」とは、『一九八四年』の中で、体制を維持するために憎悪を特定の対象に向ける儀式である。トロツキーをモデルにしたゴールドスタインという人物に、でっちあげの罪を被せ、体制の中で不都合なことは全部彼のせいにされる。それで人々の不満をガス抜きし、体制へ怒りが向かないようにしているのだ。元共産主義者同盟の結成者である香山が、トロツキー=ゴールドスタインに自分を重ねる部分が大であったことは、想像に難くない。
 香山の分析はこうだ。当時の日本社会の「空気」は既に全体主義的な権力に掌握され悪質な洗脳が行われており、人々は「事実」も「現実」も失った虚構・情報の世界に生きてしまっている。
 香山の考えでは、魔女狩りの犠牲者は、田中角栄や、チッソや、三井金属鉱業、自動車産業、総合商社である。公害運動や消費者運動が行われているのは、新聞などを通じて「二分間憎悪」が行われ国民が洗脳されたからだ。裁判での公害認定も厚生省(当時)の認定も「特定の魔女狩り運動の脅迫」の結果として起こった非科学的な判断とされている。どうして、自分がブレーンを務めている中曽根と近しい田中角栄や、旧三井財閥や大企業ばかりが犠牲者・被害者として擁護されるのか、不自然さを感じざるを得ない。
 なぜこの時期、香山はこのような考えに至ったのか。現実の日本社会を『一九八四年』モデルで捉えたのがその原因のひとつだろう。共産党・赤旗・朝日新聞・美濃部都知事らを批判し、「嘘を吐くな」としきりに言うのは、『一九八四年』的な情報操作を彼らが行っていると思ったからだろう。しかし、彼の主張に実証的な裏付けがあるようには見えない。心理的な背景を探るために彼の書いたものを読むと、七〇年代に、連合赤軍事件とソルジェニーツィンの『収容所群島』の衝撃を強く受けていたことが分かる。それで、スターリニズムや共産党に強い警戒を抱いたようだ。それから共産党や赤旗を批判する論調の議論が続くが、やがてそれが朝日新聞や教科書問題にスライドしていく。このスライドのきっかけは、公害問題を朝日新聞社がスクープしリードしていたことにある。香山はその背景に、全体主義的な権力の存在を見ている。
 「メディアが現実を作る」「人々は全体主義的ディストピアで洗脳されている」「歴史が作られている」という『一九八四年』的な認識が、『収容所群島』などの衝撃で共産党への恐怖心と合併したようだ(カンボジアでの虐殺も影響しただろう)。共産党は「全体主義的独裁への秘密戦術」(『幻滅の時代』p87)をしていると述べている。スターリニズムへの恐怖心は対象を拡大させ、朝日新聞・戦後民主主義・東京裁判などの背景にもそれを見出すようになっていく(東京裁判も「魔女狩り」なのだ)。その実証的な論拠・証拠は、香山の文章には見当たらない。
 公害問題は、「社会悪」をでっちあげ、「資本」「大企業」を分かりやすい敵として叩く「空気」を作る「朝日ジャーナル」などのキャンペーンだと『現代の魔女狩り』は主張している。公害などの問題が改善された社会で生きることが普通にありがたいと思っているぼくの目から見ると、些かバカバカしく思ってしまう主張である。
 「イタイイタイ病=カドミウム中毒説」は、「三流の左翼『科学者』たちや左翼『弁護士』『政治家』とマスコミが動員された」(p108)ものであり、科学的には証明されておらず、批判する人は非科学的な意見に洗脳されて魔女狩りに動員されている。そして、反対する意見は抑圧され「言論の自由も科学論争」(p108)もない全体主義になっていると香山は嘆く。
 「専門家でもない裁判官が、法廷でイタイイタイ病の原因はカドミウム中毒であると判定するというのは、まさに文字通り、近世の魔女裁判そのものというほかはない」(p110)。裏を取ると、イタイイタイ病の原因はカドミウムであるとする自然科学の論文は複数見つかる。人々が「科学的」ではないと嘆いている彼が、科学的に正しいとは、思えない。
 読んでいて腹立たしいのが、公害問題の被害者や、声を上げる人間の動機や背景の組織を捏造する論調である。日記に症状を書き込んで自殺した若い女性を「被害妄想」と呼ぶ意見を肯定的に引用し、遺体からカドミウムを検出した小林教授を捏造だと呼ぶ。「公害告発」が「大変もうかる商売」(p121)であるとか、「賠償金や治療費にありつくことができる人々はイ病になりたがり」(p122)など、被害者や活動家への人身攻撃が続く。
 光化学スモッグに関して「心因説」を主張し、マスメディアを批判もしている。「非科学的でセンセーショナルな、マスコミの報道の責任が問われねばならない」(p142)。自動車の排ガスのせいにするのは、トヨタなどの自動車会社に対する「魔女狩り」であり、集団ヒステリーだというのだ。原発事故関連の議論で、今もよく見る話法そのものではないか。
 これらの認識の背景には、ブーアスティンの『幻影の時代――マスコミが製造する事実』の影響がある。「マスゴミ」的な認識の起源の一つだ。『正論』の時評連載をまとめた香山の著作集は『幻滅の時代』と題されている。一九六七年の『未来学入門』でも、ブーアスティンの「疑似イベント」論への言及がある。彼の『一九八四年』的な情勢分析や情報社会論、そして朝日新聞批判に影響を与えた認識の枠組みの一つだろう。
 結論を出そう。香山は事実認識も状況認識も間違えている。したがって、この論調の影響を受けた八〇年代の保守論壇も間違えている。では、どこに間違いがあったのか。『一九八四年』と『収容所群島』の影響を受けるところまでは理解できる。カンボジアでの虐殺や宣伝・諜報活動に脅威を感じるのも理解できる。しかし、その恐怖心により過剰に陰謀論を読み取りすぎたのではないか。過剰で言いすぎな問題提起が有効に機能する場合もあり、それを計算して行っていたと言えるのかもしれないが、個人的にはその主張のある部分は否定し、継承するのを辞めなければならないと感じている。
 現実がメディアに構築されているかもしれないというポストモダン的認識はいいが、そこから政権や大企業ばかりに都合がいい図式に、事実を適切に検討することもなく落ち込んでいったことには重大な問題があるのではないか。そこでは、実際に苦しんでいる人や、被害に遭った人が無視されている。これでは資本主義や国家は支持されない。自ら敵を生み出してしまう。
 重要な分水嶺は、「事実」を尊重しようとする態度の有無にあったのではないか。主観的には香山はオーウェルに自分を重ねたかもしれないが、被害に遭っている人に接近し事実を確認しなかったことが、大企業・権力者ばかり擁護する不自然な「妄想」「陰謀論」(とぼくは断言する)を生んだのではないか。オーウェルは『パリ・ロンドン放浪記』で最下層の貧民と、『ウィガン波止場への道』で炭鉱夫と直接接触してルポをした社会民主主義者である。オーウェルと香山の決定的な違いはそこにある。今は詳述しないが、オーウェル気取りの現在の保守論壇人――城島了や三橋貴明――との決定的な差もここにあるのだろう。「事実」に接近する努力を行うヒューマニズムを忘れたら、オーウェルの後継者とは言えないのだ。
(文芸評論家)
――つづく







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