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評者◆秋竜山
複雑な気持で飲んだ新茶の味、の巻
No.3371 ・ 2018年10月20日




■あったかいお茶をのむ。と、心まであったかくなるものであった。ところが、いつ頃からそーなってしまったのか。冷たいお茶が出まわった。ビンとかカンなどに入ったお茶である。冷たいお茶をのむと心まで冷たくなるのか……。そーでもないようだ。自動販売機などで売られているお茶には、あったかいお茶もあれば、冷たいお茶もある。しかし、冷たいお茶という発想は誰が考えたのか知らないが、冷たいお茶なんかのめるか!! と、いう時代であったかどうかは知らないが、今、冷たいお茶を出されても、そーいうものかという思いでのむ。だからといって、お茶の葉に水で湯のみ茶わんに冷たいお茶を客に出したら、どーなんだろうか。やったことがないからわからない。客でいって出されたことがないからわからない。
 田中修『植物のかしこい生き方――欲張らず、むだに戦わずしたたかに生きる知恵』(SB新書、本体八〇〇円)に、新茶のことが書かれてあった。
 〈五月上旬に、市場に出まわる新茶は、二月上旬の立春から数えて八十八夜に摘まれるお茶の葉で、これは「一番茶」「走り茶」と言われます。そしてこのお茶は、一年間の無病息災を願って、私たち人間に、ありがたく飲まれます。同じ木でも、新茶のあとに摘まれるお茶の葉が、二番茶、三番茶とよばれるもので、よく「新茶は甘く旨みがあり、二番茶、三番茶は渋みや苦みがある」と表現されます。しかし、これは「新茶の方がいい」などという、お茶の価値の優劣を言うものではありません。〉(本書より)
 で、思い出したのは、子供の頃、わが家にも山あいにすこしばかりの畑があり、家で飲むほどのお茶の木が植えられていた。そして、茶摘みの頃になると、父と母と、小さな子供づれで、そのお茶摘みをした。もちろん、家庭で飲むためのお茶であった。一日がかりの作業であったから、ほんのすこしのお茶であった。新茶を飲めるというたのしみであった。夕方になると摘んだお茶の葉を、近くにあるお茶の製茶所へ持っていった。そこで、お茶もみ器にかけられて、お茶にしてもらう。どこの家でも同じように摘んだばかりのお茶の葉を持っていった。わが家では自分たちが摘んだ新茶が飲めるのがたのしみで、摘むお茶の葉もいいお茶の葉を選んで摘んだ。ところが製茶所へいってギモンがわいた。持っていったお茶の葉は、それぞれ持ってきた家のお茶の葉と一緒にしてお茶もみ器にかけられるということであった。そうしないと、一軒分のお茶の葉ではお茶もみ器では量が少な過ぎて、お茶もみができないという。結局は、わけのわからないお茶の葉といっしょにさせられてしまうということであり、それがお茶としてでき上がった時、わが家の畑でとれたお茶でなくなるということである。「いったい、どーいうことだ」と、父がいったが、どーするわけにもいかなかったのである。そんな新茶を飲んだ。なんとも複雑な気持であり、新茶の木も複雑であった。これが世の中というものだ!! と、父がわけのわからないことをいった。







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