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評者◆睡蓮みどり
圧倒されたくて――関根光才監督『太陽の塔』、吉田恵輔監督『愛しのアイリーン』
No.3369 ・ 2018年10月06日




■アムロちゃんが引退した。微塵もアムラーではなかったが「世代」ではあったなぁ、とぼんやり。樹木希林さんが亡くなった。昔のドラマは観ていなくて、FUJIFILMのコマーシャルの印象と、実孫の内田伽羅と共演して話題になった『あん』(2015年、河瀬直美監督)、今年になってからは立て続けに『モリのいる場所』(沖田修一監督)、『万引き家族』(是枝裕和監督)、『日日是好日』(大森立嗣監督)と、観る映画に樹木さんが出演されていて、最近よく出ているなぁと思っていた。ちょっと意地悪いクセのある役でも、品のある役でも、ほのぼのした役でも、どれを観ても確かに樹木希林なのだが、技術だけでは語れない、しかし職人的な凄みがあった。昔から実年齢よりも上の役を演じることが多かったそうだ。内田裕也さん(ローックンロ~ル! より主演の似合う映画スターだ)との絶妙な距離感の夫婦関係も印象的だった。
 カメレオン俳優といえば安田顕さん。ちょっと前に放送されたテレビドラマ『問題のあるレストラン』は、現代の女性性のあり方についてストレートに問いかけてくる痛快な社会批判ドラマで好きだったのだが、彼が演じていたオネエのパティシエという役があまりにはまり役過ぎて、彼女(彼)を観るためだけにこのドラマを観ていたと言っても過言ではない。横浜聡子監督の『俳優・亀岡拓次』(16)で主演を務めたときも、俳優カメタクはやっぱり愛すべきキャラクターだったし、そんなヤスケンさんが主演というだけで非常に楽しみにしていたのが『愛しのアイリーン』(TOHOシネマズシャンテ他、全国公開中)だ。塚本晋也監督のもとで照明係として鍛えられたという吉田恵輔監督。漫画家・古谷実が原作の『ヒメアノ~ル』も、森田剛の狂気にゾクゾクさせられるバイオレンス万歳な映画だった。オリジナル脚本作品『純喫茶磯辺』(08)、『麦子さんと』(13)、『犬猿』(18)では、どちらかといえばほのぼのしていたような印象がある。
 95年に新井英樹さんが描いた漫画が原作であるというのは後になって知り、読んでいなかったので、予備知識はなく、ポスタービジュアルからちょっと過激なラブロマンスなのかな、なんて思っていたら痛い目に。「童貞」「田舎」「貧乏」……まさかの、私の最も苦手とする三大嫌悪マインドが、揃いも揃っているのである。非モテ、パチンコ、これでもかと歪んだ親子愛、女性蔑視に、〈後進国〉への差別意識。書いているだけで、クラクラしてくる……。生理的に受け付けないもののオンパレード。とはいえ、作品の根本にはそういった差別意識に対しての問いかけがある、ということはもちろん観ていてわかるのだが、パンチがきつ過ぎて失神寸前。なまじ家族愛とかでキレイにまとめられるより何百倍もいいのだけれど、キツイものはキツイ。もちろん褒めているつもりだが。ヤスケンさん、じゃなくて主人公の岩男は田舎で実家暮らし、42歳のほぼ童貞で、真面目な面もあるが女に飢えている。そう、飢えている感が凄まじい。
 ほのかに想いを寄せていた河合青葉演じる同僚にフラれ自暴自棄になり、貯金をつぎ込んでフィリピンで結婚相手を探す。下手したら自分の子供でもおかしくないくらいのフィリピーナ、アイリーンが〈嫁〉として岩男と一緒に戻ってくる。買った男と買われた女。閉鎖的な田舎において受け入れられるはずもなく、ほとんど言葉も通じないまま「何言ってるかわがんねぇ」アイリーンとの地獄のような新婚生活が始まる。アイリーンはフィリピンの貧しい漁村の出身で、お金のために結婚したのだが、いくら貧乏でも結婚しない方がまだ良かったんじゃないのか、というほど彼女に対する仕打ちが酷い。
 何といっても岩男の母親ツルを演じた木野花さんが猛烈で強烈だ(そういえば『童貞放浪記』でも山本浩司さん演じる主人公の母親役だった)。「子供(岩男)の幸せのため」と言いながら、自分の中にみっちり根を張った価値観でしか幸せを認められず、ついつい縛り付けてしまう、いわゆる毒親。えっと、幸せって何のことでしたっけ、ととぼけて逃げ出したくなる。どんどん内側へ、内側へと、岩男とツルの狂気が他人を巻き込んでいく。テンポが速すぎて苦しんでいる暇もない怒濤の感情合戦。
 続いて、パンチの強い作品をもう一本。岡本太郎といえば「芸術は爆発だ!」であり、「太陽の塔」がパッと思いつくのでは。渋谷駅構内にある巨大絵画「明日の神話」や、表参道にある「こどもの樹」、青山にある岡本太郎記念館……と、結構身近に作品があった。作品を一度も見たことがない人はさすがにいないんじゃないか、という芸術家のひとり。ピカソの影響を受け、バタイユとともに活動した。今年、「太陽の塔」の内部が公開されたことでも話題になった。是非、実物を見てみたい。
 70年の大阪万博でのメインパビリオン。不機嫌そうな目、歪んだ口――不思議な造形。このパビリオンを巡る見解について30名もの学者、学芸員、批評家、建築家、アーティスト、僧侶たちの言葉を紡ぐことにより浮かび上がってくる「太陽の塔とは一体何だったのか」が、関根光才監督のドキュメンタリー映画『太陽の塔』である。彼ら・彼女たちの言葉がテーマごとにつなぎ合わされ、編集されており、読書するような感覚でこの映画を観て、聞く。改めて気づかされるのは、価値観さえ古びなければ、決して〈過去の遺物〉にはならないということ。いつだったか、太郎の言葉「同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ!」を知ったときは胸が高鳴った。他の言葉にしても、確実に魂を掴んで離さないものばかりだ。作中、「太陽の塔」について出演者が語るときのどこか嬉しそうな感じが非常に印象に残った。
 大阪万博のときに造られた他のパビリオンは今ではもうなく、ただ一つ「太陽の塔」だけが同地に残されている。「世界が滅んでも太陽の塔だけは残るのではないか」というイメージについても言及され、畏怖の念を抱かずにはいられない。曼荼羅絵図からの影響、チベット仏教の供物トルマとの類似点――何か世界の大きなところで繋がっていて、捧げものとして存在しているかのような「太陽の塔」。人間はどこかで「圧倒されたい」という欲求があるのではないかと思う。少なくとも私はある。価値観の創造と破壊を繰り返して、今でも進化し続けている「太陽の塔」が次第にオブジェではなく生き物のように見えてくる。映画としては途中で挿入されるイメージとしてのドラマパートや、CG映像に思わず前のめりになるなど、その豊富さに驚き、全く飽きさせないのだが、とにかく各人のつなぎ合わされた言葉の結びつきによって、徐々にわかっていく興奮とともに、どんどんわからなくなっていくカオス状態にも陥ってしまうのが楽しい。
 余談だけど、岩男とアイリーンとツルは3人で大阪まで太陽の塔を見にいくべきだったと思う。そうしたら、あの結末には、ならなかったんじゃないかな。合掌。
(女優・文筆業)







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